三木谷浩史「未来」 第90回 2023/05/24
ソフトバンク孫さんへの電話
今年も新年度になってから、瞬く間(まばたく)に2カ月近くが過ぎた。楽天グループにも多くの新入社員が入ってきてくれた。仕事にも慣れ始めた頃だと思う。僕にはそうした若い社員たちにいつも伝えたいと思っているメッセージがある。
「このままでは、国の将来は暗いぞ。だからこそ、日々の中で常に考え、必死にがんばれ」
というものだ。
僕が同じように20代前半だった1990年代直前、日本は産業競争力が世界ナンバーワンだと言われていた。国際経営開発研究所(IMD)の「世界競争力年鑑」によれば、89年から92年までの間に日本は4年連続で1位だった。ところが、今に至るまで下降線をたどり、昨年の日本の順位は34位。これはニュージーランド、マレーシア、タイに次ぐ順位である。
30年間でそれだけの競争力が失われた国に、僕らは暮らしているのだ。まずはそのことの意味を、この社会で働く上でしっかりと認識しなければならない。少なくともこのままの延長線上【えんちょうせんじょう】には、この国の「未来」はないのだ――と。「このままでは、国の将来は暗いぞ」とは、そういう意味だ。
この30年間で国力がここまでズルズルと後退した理由としては、経済政策やビジネスのあり方など様々な背景が指摘されているが、根底(こんてい)にあるのは日本全体を覆う(おおう)「マイナス思考」だと思う。
政府は国民が未来に希望を抱けるような新しく明確なビジョンを示すことができず、マスコミは揚げ足取り(fault finding)のような報道ばかりを続けてきた。このような空気感の中で人々の意識が侵食され、何かに挑戦する人を応援したり、鼓舞(こぶ)したりする雰囲気が失われてしまったのではないだろうか。そこが例えばアメリカなどとは全く異なる点だ。
僕の新入社員時代
だから、僕は入社してくる社員たちに、口を酸っぱくして、クラーク博士ではないけれど、「若者よ、大志(たいし)を抱け」と伝えている。「君たちは楽天という会社に来たんじゃない。楽天という“プロジェクト”に参加して自分の最高の力がどこにあるのかを見つけるんだ」と。
人には自分の力を最も発揮し、チームの力を高めていく上での「適材適所(てきざいてきしょ)」がある。エンジニアやデザイナー、法務、営業――と様々な職務や部署がある中で、会社は社員一人ひとりの適性に応じて各部署への配属を行い、活躍のフィールドを用意する。社員は、それぞれ与えられた場で全力で仕事に打ち込む。「やり遂げた」という経験は自信となって、その人のキャリアを作っていくことにも繋がっていく。会社は若い社員が成長し、挑戦し続けることができる環境を提供し、仕組みを整えるのが役割だと思う。
翻って(ひるがえって)自分自身について思い出してみると、一橋大学商学部を卒業して1988年に日本興業銀行で働き始めた新入社員の時は、「何も考えていなかった」というのが正直なところだ。
何しろ当時はバブルの絶頂期。ジャパン・アズ・ナンバーワンの世界だから、誰もが有頂天になっていた。僕自身もそうだった。
興銀に入社した僕が名古屋支店勤務を経て配属されたのは、本店の外国為替部(がいこくかわせぶ)だった。そこで主に外国為替取引(がいこくかわせとりひき)の仲介業務を担当し、毎日、数千億円という規模でお金を送金する仕事をしていた。当時の僕にはベンチャー企業を立ち上げるという思いはなく、考えていたのはとにかく目の前の仕事を全力でやり切るということだけだった。
ここでいう「仕事」とは文字通り業務の全てで、書類のラベル貼り、資料のフォントと色を決めること、事務作業をパソコンでシステム化することだった。
僕は、どんな些細な(ささいな)業務であっても、常に改善マインドを持って取り組むように心掛けた。言われることをそのままやっているだけでは、いつまで経っても自分が成長しない。その思いだけは若くても強く持っていた。
なんて元気のいい人なんだ
会社員時代の経験で今でも胸に残っているのは、アメリカのハーバード・ビジネス・スクールのMBAプログラムで2年間学び、帰国してM&Aに関わる部署で働き始めた1994年のことだ。朝、日経新聞を読んでいると、まだ上場したばかりだったソフトバンクの孫正義社長が、アメリカの大手メディア企業ジフデービスの一部門を買収するというニュースが出ていた。
孫さんはその頃、30代半ば。当時のソフトバンクはパソコン向けのパッケージソフトの流通業やパソコン雑誌を発行する会社というイメージだったから、僕は「そんなことが本当にできちゃうの? なんて元気のいい人なんだ」と思ったことをよく覚えている。そして、人生というのは面白いもので、そのジフデービスはアメリカにいた時に知り合った友達の父親が経営する会社だったのだ。
僕はすぐ孫さんに電話をすることにした。
「ジフデービスだったら僕を雇って欲しい。友達の父親の会社ですから」
いわゆるM&Aのアドバイザリー契約を結べば、大きな利益を生み出せるはずだと考えた。たとえそれが新聞の一つの記事であっても、チャンスがあると思えばすぐに行動を起こす。
そしてその電話がきっかけで孫さんと仕事をすることになった。それから四半世紀の時を経て、今ではソフトバンクとしのぎを削っているのだから、何が起こるか分からないのが人生だとつくづく思う。
僕はこの間、仕事も、そして私生活も常に「全力」で取り組んできた。この春、新社会人となった若者たちにも、常に「全力」で生きていって欲しいと思っている。その姿勢からキャリアは切り拓かれ、いずれ自らがこの社会にどんな貢献ができるか、ということもきっと見えてくるはずだ。
- しのぎ【鎬】 を 削(けず)る
- 互いの刀の鎬を削り合うようなはげしい斬り合いをする。転じて、はげしく争う。