三木谷浩史「未来」 第95回  2023/06/28

ハーバード女性教授の助言

 日本興業銀行(こうぎょうぎんこう、現みずほ銀行)に勤務していた20代だった僕がハーバード・ビジネス・スクールで2年間を過ごした時、自分の中の価値観を大きく変化させることになったのは、MBAプログラムの授業の面白さだけではなかった。

 同スクールには、アメリカをはじめ世界のビジネスを牽引していくであろう若者たちが数多く集まっていた。マッキンゼーやゴールドマン・サックス、P&Gやコカ・コーラなど名だたる企業で働く同世代たちの中で、僕はたくさんの刺激を受けながら学ぶことになった。そして、その時に出会った仲間とのネットワークもまた、楽天グループを経営するにあたって、自らを鼓舞(こぶ)する重要な要素になっている。

 例えば、楽天で後に英語の社内公用語化を行った時、僕がよく相談に乗ってもらったセダール・ニーリーも、ハーバード・ビジネス・スクールでの経験で繋がった一人だ。同スクールの経営学の教授を務める彼女には、今年の3月から楽天の社外取締役にも就任してもらっている。

 僕が英語の社内公用語化の方針を発表したのは、2010年。社内での会議や使用する資料を原則全て英語にして、楽天を真のグローバル企業としてさらに成長させていく――。英語の社内公用語化なくして、グローバル市場での成功はないという信念のもとに考えた施策だった。

 以前も書いた通り、当時、英語の社内公用語化には様々な否定的な意見もあった。しかし、結果として、現在の楽天では全ての社員が英語でのコミュニケーションを図っているし、グループ全体では外国人のエンジニアや人材もこの10年で実に約20倍にまで増えている(エンジニアに限って言えば、外国人の採用が今では8割を超えている)。

最も順応した「二重疎外者」

 このようにして、英語の社内公用語化は人口減少の進む日本で優秀な人材を得る武器となり、会社にとっての「未来」を創り出すイノベーションとなった。まさに今の楽天の土台となった試み(こころみ)だったのだ。最近、朝日新聞(5月22日付朝刊)が〈英語の社内公用語化 「第2波」来た?〉と報じていたけれど、コロナ禍も落ち着き、ここに来て、英語の社内公用語化を始めようとしている企業も増えているようだ。

 ただ、英語の社内公用語化を実際に進めようとした当初は、かなり大変だったのも確かだった。社内には英語を全く使わない部署もあった。施策の意味や重要性を全ての社員に理解してもらい、英語習得のためのプログラムを作ることには大きな苦労があった。

 そんな中で僕が頼ったのが、前述のハーバード・ビジネス・スクール教授のセダールだった。協力を頼んだところ、彼女は快く受けてくれた。そして数百人規模の社員を調査し、英語の社内公用語化に必要な要素を専門的な視点からアドバイスしてもらったのだ。後に彼女はその時の知見を『英語が楽天を変えた』という本に書いている。「なるほど」と思ったのは、英語の社内公用語化を行う上で、社員を3つのカテゴリーに分類して分析した手法だった。

 楽天に限った話ではないが、グローバル企業には「日本で働く日本語を母語とする社員」「欧米で働く英語を母語とする社員」「アジアなどで働く英語も日本語も母語としない社員」がいる。彼女はこれらをそれぞれ、「言語的疎外者」「文化的疎外者」「二重疎外者」と言い表した。そして最も英語の社内公用語化へ順応しようとしたのが、「二重疎外者」だったというのだ。「企業文化と言語の両方から『疎外』されている社員群だからこそ、会社から与えられたミッションへ適応しようというやる気が最も高かった」という指摘には、思わず膝を打った。

 楽天の英語の社内公用語化の過程では、そのような彼女の専門的な視点からのアドバイスをもとに、社員のモチベーションをも仕組み化していった。あの時セダールの力を借りることができたのも、まさにアメリカ留学時代に作った人的ネットワークゆえだったと思う。

授業の外(そと)での交流も

 ハーバード・ビジネス・スクールには経営上の多種多様な「問題」に対し、どのように向き合い、課題を解決するかという無数のデータベース(database)が蓄積されている。もしそのケーススタディを全て統合すれば、「経営」ができるAIだって開発できるだろう。実際、楽天での英語の社内公用語化の試みも、一つのケーススタディの教材として使われているようだ。

 また、授業の外での交流も僕にとって大きなものだった。様々な場所で知り合った仲間と一緒にスポーツやコンサートを観に行ったり、お酒を飲んだりするうちに、そのネットワークはみるみる広がっていった。

 日本興業銀行から派遣されてアメリカに行った僕はまだ、20代である自分が起業をするというイメージは持っていなかった。けれど、ハーバード・ビジネス・スクールに学びに来ている同世代の学生には、日本企業の文化の中で働いていた僕とは全く異なる価値観で「ビジネス」というものを捉える(とらえる)視点があった。

 例えば、僕が起業する上で強い刺激を受けた一人に、現在はハーバード・ビジネス・スクールの教壇に立っているジョン・キムという男がいる。彼は学生時代から会社を経営しており、まだ「アントレプレナー」という言葉も知らなかった僕は、「大学院生が会社をやっているんだ」と驚いたものだ。

 当時の僕と彼らの最大の違いは、「個人としての自分は社会にどのような価値を創り出せるか」「個人はビジネスで何を創り出せるか」という考えを持っているかどうかだった。「いかに稼ぐか」ではなく、「新しい何かをいかに開拓するか」。そんな未来志向の生き方で周囲をエンパワーメントする人に、モノとお金が集まる。そのことを僕は彼らとの交流の中で学んだのだった。

「未来」に目を向けるために、今でも時折、あのハーバードでの2年間のことを思い出している。