三木谷浩史「未来」 第96回 2023/07/05

日経新聞がベンチャーを応援すれば

 もう長い間、日本の新聞というものをあまり読まなくなってしまっている。銀行員時代はよく目を通していたけれど、最近はご無沙汰だ。会社の経営をしていると「新聞にこんなことが書いてありましたね」と聞かれる場面もあるけれど、会社の机に置かれているのを目にしても、意識して読まないようにしているくらいである。

 僕が現在、情報源としているのは、英BBCや米NBC、米ウォール・ストリート・ジャーナルなどといった海外のメディアが多い。国際的なニュースはそれらを見たり、読んだりしている。また、日本経済の状況について深く知りたいことがあれば、証券会社、経済評論家などの知り合いから生の声を聞くようにも心掛けている。

 なぜ、僕が日本の新聞から情報を得なくなったのかというと、日本の新聞が古い価値観にとらわれたままで、「未来」を大きくとらえようとする視点を持っていないと感じるからだ。

 1995年には世界のGDPのうち17パーセント超のシェアがあった日本が、なぜ今では5パーセント程度になってしまったのか。1989年には時価総額で世界のトップ企業20社のうち14社を占めていた日本企業が、なぜ今ではゼロになってしまったのか。その背景の一端には、日本の経済紙の報道姿勢もあると僕は思っている。

 読者離れが進んでいると言われる新聞だが、今でもその社会的な影響力が大きいのは確かだろう。発行部数は100万単位だし、インターネットメディアなどに比べ、情報の信頼性も高いとされている。だからこそ、僕が経済紙に期待するのは、新しいビジネスに挑戦したり、規制の枠を逸脱しながらでも社会に変革をもたらそうとしたりする起業家たちを、前向きに応援するような視点だ。

経済紙の役割とは

2015英フィナンシャル・タイムズ買収した日経新聞.png

 例えば、「日本経済新聞」という名前を持つからには、日本がこの30年間の低迷を抜け出し、再び経済発展をしていくためにはどうすればいいのか、という根源的(こんげんてき)なフィロソフィーやビジョンを明確に提示すべきなのではないだろうか。だが、日本の新聞は新しい挑戦に対して、いつもどこか冷ややかで批判的である。

2015年には英フィナンシャル・タイムズを買収した日経新聞  そのような保守的な眼差しは、前述のように旧来の価値観に未だとらわれているからだろう。

 この30年の間で、世界には明確に終わりを告げたものがある。それは「良いモノ」を作りさえすれば経済は発展するという原則だ。しかしながら、ロボティクスの進化に加えて、インターネットによって情報の流れが自由になったことで、今では技術やデザインといったあらゆる「モノづくり」の要素が瞬く間にフラット化されるようになり、その原則は崩れた。

「貨幣(かへい)」について考えても同じようなことが言える。

 情報テクノロジーの進化によって、貨幣もまたその根本的な役割を改めて問われることになった。「お金は、価値が保存できて、コピーされずに、交換ができるもの」という基本原則を前提にすれば、貨幣価値の保存は国ではなく、アルゴリズムでも同じことができる、という考え方が出てくるのは時間の問題だった。そうして開発されたのが、ビットコインをはじめとする、ブロックチェーン技術を用いたクリプトカレンシー(暗号資産)だった。

 この30年間で世界は「モノを作る時代」から、「情報とIP(知的財産)の時代」に変わったということだ。当然ながら、日本もその革命的な変化に合わせて国や産業のあり方を、ドラスティックに変えていかなければならなかった。

 クリプトカレンシーの話にしても、シェアリングエコノミーの話にしても、「未来」を創るテクノロジーや考え方は、常にそれまでの規制とぶつかり合いながら社会に広がっていく。その時、社会に対して影響力を持つ経済紙には本来、「世の中を変革すべきだ」というメッセージを出し、新しい社会観を醸成させていく役割があるはずだ。

TBS買収で目指したこと  しかし、日本の新聞には、そのような「変化」を推し進めながら、新しい社会観の中で様々なトピックを報じていこうという雰囲気は未だ感じられない。それどころか、既得権益を持つ上の世代が作ってきたシステムを守ることを、背後で支えているような有様にすら見える。実際、中堅や若手の有望な記者が新聞社から転職していき、残っているのは、ベテランの記者ばかりという例も少なくないようだ。

 果たして、それでいいのだろうか。僕がかつてTBSを買収しようとした時に目指していたのは、挑戦を応援する「メディア」を作ることだった。例えば、海外に出て行って挑戦する日本人たちの姿を前向きに伝え、国際社会の中で活躍する人々を応援するような、そんなコンテンツを作りたいという想いがあった。

 日本が長く抱えている病理は、物事がすでに手遅れとなる寸前まで現状維持を続けようとし、「未来」へ先手を打って現状を打破しようとしないことだ。それは、政治家も経済人も同じだろう。

 しかし、本当に追い込まれるまで待っていては手遅れだ。

 マスメディア、特に経済に関する報道を担う機関には、短期的に「起きたこと」「発表された数字」を単純に伝えるだけではなく、長期的な視野に立って「日本がもう一度、世界でナンバーワンになるためにはどうしたらいいか」を議論し、そのための社会観を作り上げていくような姿勢を持って欲しい。それこそ「日本経済新聞はベンチャーを応援していて、日本の変革を力強く後押ししているよね」ということになれば、世の中の流れは確実に変わり始めるに違いない。

 僕が期待を込めてそう言いたくなるのは、日本の新聞は、それだけのブランド力や、社会に火を点ける力を今もなお持っているからだ。その力を大いに生かして欲しいと思っている。