三木谷浩史「未来」 第93回 2023/06/14

ゼレンスキー大統領に送った『武士道』

 今年5月19日から21日まで、G7広島サミットが開かれた。世界で唯一(ゆいいつ)の被爆国(ひばくこく)の日本、そして広島での開催は、とても意義のあるものだったと思う。

 僕自身も広島には何度も訪れているけれど、いかなる場合でも核の使用は絶対にあってはならない(must not be)。広島でのG7サミット開催が、その共通認識を改めて高める契機(けいき)になってほしい。確かに、日本政府は核兵器禁止条約への署名に後ろ向きだし、G7各国は核やその傘による安全保障に依存している状況がある。そうした現実を見た時、今回のG7サミットは、世界にとって「一歩前進」とまでは言えないかもしれない。それでも、仮に0.1歩であっても前に進めていくことが大切だ。

 他国の領土を核兵器の使用をちらつかせながら侵略することが許されてしまえば、あらゆることが国際社会のなかで許されてしまう。中国や北朝鮮の脅威にさらされる日本にとっても、他人事ではない。だからこそ、ウクライナがこのロシアとの戦争に勝利をすることは死活的に重要だ。

「礼」を大事にしている

 そうしたなかで、広島に各国の首脳が集まったことには象徴的な意味があった。なかでも大きな話題を集めたのは、戦時中(せんじじゅう)のウクライナからゼレンスキー大統領が来日して、G7サミットに参加したことだった。僕はビジネスの商談があって、G7サミットのタイミングでは海外に滞在していたが、彼が日本にやってくると聞いて、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)の『武士道』と次のような書簡を大統領宛に送った。(原文は英語)

親愛なる大統領

 祖国を守るために戦う勇気と献身に対して、あなたとウクライナの人々に深い称賛と敬意を表します。

 楽天グループ本社の私のオフィススペースには、ウクライナから届けられた旗を置いています。ロシアと戦う歩兵部隊の方々の名前が記されたもので、500台の発電機をウクライナの避難所に届けた「Samurai Donation Project」に対する返礼の贈り物でした。

 大統領、1899年に日本の教育者である新渡戸稲造によって書かれた『武士道』をお送りします。新渡戸はこの本の中で武士道の教義を7つの徳目として描きました。すなわち「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」(「ぎ」「ゆう」「じん」「れい」「まこと」「めいよ」「ちゅうぎ」)です。

 私はウクライナで戦う兵士がこの武士の徳目を体現していると信じています。これが、私たちが寄付の名前に「サムライ」と付けた理由です。

 日本政府はウクライナ支援の取り組みを始めました。政府と協力し、あなたの勇敢な努力を支援するために、引き続き貢献できることを光栄に思います。

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 ゼレンスキー大統領が『武士道』を読むかどうかは分からないけれど、長く厳しい戦局の中で「こんなものもあったな」とふと思い出すこともあるかもしれない。そんな想いを書簡のメッセージには込めたつもりだ。今後も僕は彼とウクライナを全面的に応援するし、僕にできる支援の形を考えていきたいと思っている。

 この『武士道』は、多くの政治家や経営者も手にしてきた一冊だ。新渡戸は当時の武士が重視していた価値として7つの徳目を掲げたが、僕自身は、そのなかの一つである「礼」、いわば「謙虚であれ」という姿勢を特に大事にしている。

 楽天グループの中での経営者としての役割は、「未来」を創り出すために、ビジネスの全体を俯瞰(ふかん)しながら、各事業を推し進めていくことだ。ただ、一方で実際にモノを作ったり、お客さんに売ったりしているのは現場で働く社員たちにほかならない。そして、楽天市場に出店してくださっているパートナーの方々や商品を買ってくださるお客さんの一人ひとりを、心から大切だと考えている。だからこそ、経営者として、彼らに対し、常に感謝の気持ちを失ってはいけないと肝に銘じている。

米海軍コマンダーの言葉

 その意味で僕が折に触れて思い出すのは、アメリカ海軍のコマンダー(司令官)だったウィリアム・マクレイヴンという人が、母校であるテキサス大学の卒業式で学生に贈った有名なスピーチだ。

 マクレイヴンは現在67歳。アメリカの特殊部隊で司令官を務め、2011年にはアルカイーダの指導者、ウサマ・ビンラディンの掃討作戦(そうとうさくせん)を指揮したことでも知られている。スピーチでは、その彼が特殊部隊の基礎訓練を受けていた時のエピソードが語られていた。それは、

「毎朝、ベッドメイキングをすることが世界を変える一歩になる」

 というものだ。

 彼の部隊の訓練では毎朝、指導教官が訓練生のベッドがきちんと整えられているかをチェックする。角が四角くなるくらいにベッドメイキングがなされ、シーツはシワなく伸び、毛布がきちんと折り畳まれているか――。

 多くの人が、マクレイヴンの求めるベッドメイキングという単純な作業を完璧にこなすことに「この作業にどんな意味があるのか」と感じるだろう。しかし、訓練の日々の中でその大切さに気付いていく。毎朝のベッドメイキングは単純な作業だけれど、毎朝の確実な「達成」の一つでもある。その小さな達成を積み重ねることが、多くの仕事の成功へと結局は繋がっていくのだ、と。

 逆に言えば、小さな仕事や努力を積み重ねられない者は、大きな物事を達成することもできない。マクレイヴンのこのスピーチは書籍化されベストセラーにもなった。

 Make your bed。世界を変えたいのであれば、ベッドメイキングから始めよう――そう語る彼のスピーチは、武士道の「礼」、日本文化の「謙虚さ」という言葉にも繋がるものではないだろうか。僕は、事業で「未来」を創り出すとともに、「礼」と「謙虚さ」を常に大事にして、社員やパートナーの方々、お客さんを守るために引き続き経営を舵取りしていきたいと思っている。