[未来」 第94回 2023/06/21

ハーバード留学で学んだこと

 僕がアメリカのボストンにあるハーバード・ビジネス・スクールに留学し、MBAプログラムを学んだのは1991年からの2年間だった。そして、その地で学んだことが、後に楽天を創業する大きなきっかけになったと言える。

 僕が日本興業銀行(現みずほ銀行)を辞めて、楽天を興した(おこした)1997年頃は、大企業を飛び出して起業する道を選ぶこと自体が日本では珍しく、今と比べてずっと理解されない時代だった。実際に当時の僕の決断を支持してくれたのは、父や妻、そしてほんの一部の同僚だけだった。多くの人からは「そんな大それた(だい‐それた)考えはやめて、安定した銀行にそのままいた方がいい」というアドバイスを受けたことをよく覚えている。

 だから、多くの人たちの「反対」にくじけることなく、それでも起業という選択をするためには、自分を奮い立たせ、突き動かすような強く大きな力が不可欠だった。従来の日本のルールを書き換え、シリコンバレーのアントレプレナーのように、「常識」に捉われないビジネスを自分自身の力で作り上げたい。そして、日本社会の「未来」に前向きな息吹をもたらす何かを、ビジネスの世界で作り出したい――。

 そんな想いを実現するための心の大きな拠り所、もっと言えば自分の目標や計画を実現していこうと奮起する気持ちの原点の一つになっていたのが、2年間のハーバード留学で触れたアメリカでの体験だ。そこで学んだのは、シンプルに言えば、「『ビジネス』とは問題に直面し、それを解決するためにやるものだ」という考え方だったと感じている。 ビジネスとは「問題」ありき

 当時、僕は新卒で入った日本興業銀行の3年目。日本の大企業文化にどっぷりと浸かって生きていた。日本では得てして、「問題」というものが必要以上に忌避されるところがある。仕事の中で何か「問題」が生じると、「それは誰の責任だ」と犯人探しが始まったり、「ああ、もうダメだ」と諦めたり、時には「これが問題、あれも問題」とパニックになったりする。日本のビジネスの現場には、なるべく「問題」が起きないようにすること自体が、ビジネスの目的のようになってしまっているところが、少なからずあった。

 しかし、問題に直面することを避け、事なかれ主義を続けてきたことが、この30年で国際競争力がずるずると後退した要因、もっと言えば日本が抱え続けてきた大きな病理だと僕は思っている。

 ただ、留学した時点ではもやもやとした感情を抱えながらも、僕自身もそうした価値観の中に身を置いていたように思う。けれど、アメリカで授業を受けるうちに、僕は自分の中にあったビジネスに対する日本的な価値観が、内側からガラガラと音を立てて崩されていくのを感じた。

 ハーバードのMBAプログラムに集まっているのは、アメリカにおける次世代のリーダーたちだ。その中で、僕らが学んでいったのは、「ビジネスとはそもそも『問題』ありきのものである。『問題』のないビジネスはなく、その『問題』にどのような手を打ち得るか」という実践的なテーマだった。

 ビジネスにおける「問題」とは、大きなものから小さなものまで、多種多様なものがある。それらに対する「もしあなたがこの会社の社長だったらどうするか」という問いに答えることを、禅問答のように何千回、何万回と繰り返すわけである。

 僕がその中で身に刻み付けるように学んだのは、いわば「問題」を避けようとする日本企業とは全く正反対の考え方だ。楽天グループの事業でも当然、様々な問題が生じる。そんな時でも「問題が起きるのは当たり前だ。そのために俺がいるんだ」と胸を張って言えるのは、この時の経験が自分の根底にあるからだ。 「I Challenged」

 新しいビジネスにチャレンジするということは、洪水のように押し寄せる「問題」を解決しながら進むということだ。例えば、イーロン・マスクも、OpenAIのサム・アルトマンも、フェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグも、そうしたマインドセットを持っている。

 スペースXの巨大ロケット「スターシップ」が打ち上げ後に爆発した時、イーロン・マスクは、こう述べていた。「おめでとう。エキサイティングな打ち上げだった。次のテストに向けて多くのことを学んだ」。これも、揺るぎないマインドセットから生まれ出た言葉だろう。

 アメリカを代表するアントレプレナーである彼らも、おそらく似たような考えを持っているはずだ。

「ビジネスとは降りかかってくる問題を解決しながら進む、何が起こるか分からない冒険のようなものである。冒険ではないビジネスは他の人がやればいい」と。

「失敗」を楽しみながら学び、それこそが「新しいことにチャレンジする醍醐味」だと感じるマインドセット。イーロン・マスクはスペースXにしてもツイッターの買収にしても、最初の「成功か、失敗か」はどうでもいいことだと思っているに違いない。「I Challenged」(私は挑戦した)ということに価値を感じているからだ。そして、そのマインドセットこそが1980年代に一度は日本に抜かれながらも、30年で10倍もの経済成長を成し遂げたアメリカの原動力と言える。

 ボストンにMBA留学に行っていた当時の僕は、「アントレプレナー」という言葉も知らなかった。「中小企業と何が違うの?」とさえ考えていたものだ。

 だからこそ、20代で経験したアメリカでの2年間は、「ビジネス」に対する価値観を大きく変える時間となった。指示待ち型が残る日本の社会では、他人と違ったことをすると批判を受けるところがある。けれど、アメリカでは同じことが逆に称賛される。僕はアメリカでそうした世界に触れて、「常識」に捉われないビジネスを自分自身の力で作りあげたい、という想いを強く抱いた。

 それが、経営者としての自らを支える一つの原点となっている。

(みきたにひろし 1965年神戸市生まれ。97年にエム・ディー・エム(現・楽天グループ)を設立し、楽天市場を開設。現在はEコマースと金融を柱に、通信や医療など幅広く事業を展開している。本連載をまとめた『未来力 「10年後の世界」を読み解く51の思考法』が好評発売中。)