三木谷浩史「未来」 第97回 2023/07/12
イニエスタ選手との5年間
6月6日、楽天グループのJリーグ・ヴィッセル神戸は、スペイン1部リーグを4季ぶりに制覇したFCバルセロナとの親善試合(しんぜんしあい)を行った。この試合は、両チームに所属したアンドレス・イニエスタ選手にとって象徴的なものとなったと思う。彼は幾つもの見せ場を作ってくれ、スタジアムに詰めかけた多くの観客を大いに沸かせてくれた。試合後、FCバルセロナ時代の盟友だったシャビ・エルナンデス監督と抱き合うシーンは、胸が熱くなるものがあった。
そして、ヴィッセル神戸でのラストマッチとなったのが、7月1日の北海道コンサドーレ札幌戦。スタジアムには2万7630人のサポーターが駆け付けた。試合後のセレモニーでイニエスタ選手は「すべては皆さんが示してくれたリスペクトや愛情のおかげです。また会いましょう」と話し、僕は日本文化を象徴する刀をプレゼントした。
今夏限りでの退団は、イニエスタ選手自身が悩んだ末に決めたことだった。チーム成績は好調なものの、イニエスタ選手の出場機会(しゅつじょうきかい)は限られていた。感情を表には出さなくても、今季の状況には複雑な思いがあったことだろう。その中で彼が下した決断を、僕はリスペクトしたい。
ヴィッセル神戸にイニエスタ選手が加入したのは、今から5年前のことだった。当時スペイン代表で、世界的な大スター選手だった彼の存在は、Jリーグにとても大きなインパクトを与えることになった。
中国チームへの移籍が
僕がイニエスタ選手に会いに行くのを決めたのは、2018年春のことだったと思う。その前の2016年にはFCバルセロナと楽天のパートナー契約を発表しており、その並々ならぬ(なみなみならぬ, extraordinary)存在感を目の当たりにしていた。2018年4月にFCバルセロナを退団し、中国のクラブチームへの移籍を考えているという話を聞き、それならば、ぜひとも日本に来て欲しいと強く思ったのだ。もし彼のような選手が日本に来てくれれば、人気が下火になっていた(したびになる〖火の勢い・人気などが〗die down)Jリーグの大きな起爆剤にもなる。
そこで、すぐに僕はイニエスタ選手側にアポイントを取った。
これと決めた時はすぐに動く。迷っている暇はない。ビジネスの鉄則(てっそく)だ。そうして数日後にはバルセロナにある彼の自宅を訪れたのだが、第一印象は「なんて謙虚な人なんだろう」というものだった。スーパースターでありながら物静かで、とても礼儀正しく人と接する彼の人柄(ひとがら)にあっという間に惹きつけられた。
中国のクラブチームへの移籍はほとんど決まりかけていたようだが、自宅に隣接したオフィスで僕はイニエスタ選手にこう伝えた。
「日本のサッカー界を引っ張っていってほしい」
これは今でもJリーグの抱える課題だが、サッカーの日本代表に選ばれる選手はほとんどが海外でプレーしている。日本を離れてヨーロッパの2部リーグを選択する選手もいる。しかし、本来は「日本」という舞台が、選手たちにとってもっと魅力的でなければならない。
- ヴィッセル神戸でのラストマッチで刀をプレゼント
それはJリーグの発展のためにとても重要な視点だ。経済力や人口を考えても、GDPが日本より小さなヨーロッパの国に日本選手が行くのはもったいない。Jリーグは、ヨーロッパのクラブで活躍する選手を育成するための場所ではないはずだ。例えば、アジアの中でのトップリーグとしての価値を高めれば、周辺の国々からJリーグに有能な選手が集まってくるはずだし、ビジネス的にも大きな可能性が生まれる。
もちろん、そのためには外国人枠の撤廃などの課題があるとはいえ、日本のサッカー界は「リーグをいかに拡大していくか」という戦略的な視点を持てば、ヨーロッパのリーグに勝る(まさる)ポテンシャルを本来持っている。
プライベートジェットで
僕がどうしてもイニエスタ選手を獲得したかったのは、現状では先細って(さきぼそって)いくしかないように見える日本のサッカー界の悪循環を、彼という大スターの存在によってひっくり返したかったからだ。それが「日本のサッカー界を引っ張っていってほしい」という言葉の意味だった。
その想いをイニエスタ選手は深く理解してくれていた。そうして何度か話す機会を得て、彼の実家があるラ・マンチャのブドウ畑を案内してもらったりするうちに、日本でプレーするという選択肢を前向きに考えてくれるようになったのだ。
今でもよく覚えているのは、その後、彼とヴィッセル神戸の契約を交わした時のことだ。ちょうど休暇でパリにいた彼を、僕はプライベートジェットで迎えに行った。
「飛行機で来ているから、一緒に行こう」
「オーケー」
そんなシンプルなやり取りをして、そのまま彼をプライベートジェットに乗せて日本に連れて来た。〈これから新しい友達を連れて東京に帰ります!〉とイニエスタ選手との写真をツイッターに投稿すると、その反響は本当に凄まじかった。
イニエスタ選手に日本のサッカー界の「変革」を託してみたい――2018年5月24日、彼の加入をサポーターに伝えた瞬間は、日本のサッカー界を変えるための確かな一歩を踏み出したという高揚感を覚えた。年俸(ねんぽう)もそれまでのJリーグの常識を覆すような金額だったかもしれないが、イニエスタ選手にはそれだけの価値がある。僕はそう考えていた。
あれから5年の月日(つきひ)が経った。イニエスタ選手の退団発表会見の際、僕はこう話した。
「彼が5年間、神戸に在籍してくれたことは、クラブ、日本サッカー界にとって大きな財産となった」
イニエスタ選手を獲得したことで、ヴィッセル神戸は実際に世界的にも知られるクラブチームになったと自負している。そして、それ以上に彼がこの5年間でもたらしてくれたのは、Jリーグは世界のトップ選手がプレーするのに相応しい舞台の一つなのだと知らしめた(しらしめた、 知っていらっしゃる)ことだと思う。
イニエスタ選手が日本でプレーをしてくれたことに心から感謝したいと、改めて感じている。
- 2017-イニエスタ
アンドレス・イニエスタ・ルハン(スペイン語: Andrés Iniesta Luján、スペイン語発音: [anˈdɾes iˈnjesta luˈxan]、1984年5月11日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州アルバセーテ県フエンテアルビージャ出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。元スペイン代表。ポジションはミッドフィールダー。