THIS WEEK「国際」 名越 健郎(なごし けんろう) 2023/12/07
“独裁者たらし”キッシンジャー プーチンと意気投合した理由
ロシアのプーチン大統領は、11月29日に100歳で死去したヘンリー・キッシンジャー元米国務長官の夫人に弔電(ちょうでん)を送り、「傑出した外交官で、先見の明(せんけんのめい)がある賢明な政治家。類まれな(たぐいまれな)人物だった」と称えた。
中国の毛沢東国家主席以来、多くの政治家と渡り合い( 相手になって争う)、キッシンジャーには「独裁者たらし」という側面もあった。最後まで親しかったのがプーチンだった。
- プーチンとの会談は10回以上
2人は1991年頃、サンクトペテルブルクで出会った。市長の外交顧問だったプーチンがキッシンジャーを空港で迎えたのだという。プーチンは車内での会話を自伝的なインタビュー集『ファースト・パーソン』で明かしている。キッシンジャーが「君はこれまでどこにいたのか」と尋ねたところ、プーチンは「情報機関にいました」と率直に答えた。するとキッシンジャーは「まともな人間は皆情報機関からキャリアの第一歩を踏み出す。私もそうだ」と話し意気投合したようだ。
プーチン政権誕生後、頻繁(ひんぱん)に訪露し、2001年から17年まで計10回以上会談。プーチンはクレムリンでキッシンジャーを丁重にもてなした。
13年、ロシア外交アカデミーの名誉博士号(めいよはかせごう)を受けると、プーチンは「私が非常に尊敬する人物。世界観や国際政治の考え方を説明してくれる」とコメントした。キッシンジャーは伝統的な大国間(たいこくかん)の勢力均衡論者で、「ロシアは冷戦後も世界の新システムで重要な役割を与えられるべきだ」「米露の勢力均衡が世界の安定を高める」と主張してきた。これは大国ロシア(たいこくろしあ)を指導するプーチンには願ってもない考えだった。
プーチンは米外交の重鎮である彼を厚遇して米政府を懐柔しようとし、トランプ前大統領と自身の橋渡しを頼んだともいわれている。
ロシアの野党活動家、ガルリ・カスパロフ氏は「もはや冷戦時代ではない。プーチンや習近平に譲歩することは、不道徳であり逆効果だ」とキッシンジャーを批判したが、本人は意に介していなかった。
ウクライナ侵攻が始まると、さすがのキッシンジャー理論も混乱をきたした。当初は「ウクライナはロシアと西側のかけ橋として中立国になるべきだ」と主張したが、各方面から批判され、今年初めには「私は間違っていた。ウクライナはNATOに加盟すべきだ」と軌道修正した。
近年は、プーチンについて、「両面性と満たされない願望に悩まされる彼はドストエフスキーの小説の登場人物のようだ」と述べている。結局のところ、独裁者の内面までは、理解できなかったのだろう。