ツチヤの口車 第1288回 2023/04/15
人のやさしさに触れて
久しぶりに感激した。喫茶店でアメリカンを受け取るとき、女店員から「もし濃すぎるようなら、遠慮なくおっしゃってくださいね」と 労る(いたわる)ようにやさしく言われたのだ。薄くするには湯を足すだけでいいのだが、胸に大きく響いた。
「それぐらいのことで大げさだ」と思うかもしれないが、それほどやさしさに飢えているのだ。思えば中年のころから世間の風が冷たくなり、 いつしか秋風(あきかぜ)が木枯らし(こがらし)に変わり、いまでは自分でも社会の邪魔者としか思えなくなっている。相手にしてくれる人もいない。 たまに近づく者がいたら、オレオレ詐欺か強盗だ。だから店員のやさしさは、わたしにとっては干天の慈雨(かんてん‐の‐じう)だった。
数日後、さらに感激した。妻の具合が悪くてすべての家事をやっている中、わたしも風邪で熱が出た上に締め切りが重なる日が続き、心身ともに弱っていた。 こんなときに、もう一つ仕事が加わったら(領収書の整理をする、机の上を片付けるなど)ポキンと音を立てて折れてしまうだろう。まして、大 地震か火事に見舞われでもしようものなら……疲れが吹っ飛ぶだろう。
このときちょうど何も知らずにメールしてきた友人に、愚痴を書き連ねた(かきつらねた)メールを返したところ、驚くべき返信が来た。
「僕なんかでよければ力になりますので、できることがあれば言ってくださいね」
驚きのあまり目を疑った(うたがった)。パソコンを疑い、メールソフトを疑い、脳を疑い、意識を疑った。「できることがあれば言ってくださいね」の後に、 「言ってくれれば、聞くだけ聞いて何もしませんから」とか「言ってくれれば、家政婦紹介所の電話番号を教えます」とか「言ってくれれば、風邪が治り、 原稿がはかどるよう、念を送ります」と続くのではないかと、目を皿にして探したが、余計なことは何も書いていない。「これでおいしい物でも食べてください」と 送金した形跡もなかった。
人々が自己中心的になっている時代に、地獄にホトケに思えた。
やさしさに涙が出そうになる。涙を拭くティッシュを探そうとして空腹に気づき、パンを焼いて食べた。
何より、やさしいことばをかけてくれたのが、こともあろうにこの男とは、だれが想像しただろうか。わたしが「わたしのまわりにはロクな者がいない」と書くとき、念頭にあるのは、主としてこの男なのだ。
この男からは、ふだん家で飲むコーヒーを買っている。豆の買い付け、焙煎、販売をしているのだ。腕がいいのか、香りがよく、おいしい。ただ一つ残念なのは、わたしにはコーヒーの味が分からないことだ。
感激がさめないうちに感謝をこめて返事を書いた。
「あたたかいお言葉、ありがとうございます! おことばに甘えて申し上げます。無給で働く下僕が1人ほしいのですが」
返信のメールが届いた。
「その条件ですと2人おります。若さが売りです。エントリーナンバー1番××彦。あらゆる物を分解するのが好きです。フルスイングで物を投げます。エントリーナンバー2番××子。世話好きなので色々やりたがります。うまくできない場合は癇癪を起こして30分くらい泣き喚きます」
メールには、わがままいっぱいに育てられたとおぼしき男児と女児の双子の写真が添えられていた。一番厄介な魔の2歳児だ。返事を書いた。
「か、可愛い! 写真が。残念ながら、どう考えてもわたしの方が下僕にされるのが目に見えています。目下、下僕の役を引き受ける余裕はありません。20年後、要介護になったときにお願いします」