ツチヤの口車 第1295回 土屋 賢二 2023/06/10

選択の幅を広げる方法

 選択の余地がなさすぎる。言いたいことも言えず、やりたいことも禁止され、使える金も限られている。

 自由を求めてこう叫ぶと、「禁止されるようなことしか考えていないからだ」と一喝(いっかつ)される。このように思想の自由も奪われている。

 人間の自由を奪う権利はだれにもないはずだ。一体だれがこんな非人道的な禁止をするのか。禁止するのは法律か行政か配偶者(はいぐうしゃ)か妻か家内か女房かツチヤ家の重鎮(じゅうちん)だ。その結果、行動の自由は奪われ、眠っても悪夢しか見ない。

 だが、実際には選択の余地がないわけではない。昼食(ちゅうしょく)に500円以内で何を食べるかは選び放題だ。神戸から大阪へ行くにも、四国、バンコク経由、ヒッチハイクで行くこともできる。さらに遅刻する、会社を休む、引きこもる、家出する、ホームレスになる、会社を辞めてマグロ漁船に乗る、放浪の旅に出る、全財産を全部宝くじに投じるなど、選択肢は無限だ。ある意味で、洋々たる未来が開けている。

 豊かな可能性の世界はまわりにも広がっている。図書館には存在も知らない本が無数にあり、世界には見たこともない景色、食べたこともない食べ物がある。スマホの機能の9割は知らず、ピアノには一度も弾いたことのない鍵盤(けんばん)があり、テレビは一度も聞いたことがない大音量が出せる。頭の中には一生使うことのない脳細胞がある。可能性の大海(おおうみ)の真っ只中にいるのだ。

 ではなぜ選択肢がないと感じるのか。

(1)どんなに選択肢が多くても、実際に選ぶことができるのは1つだけだ。わたしのように、1軒の食堂では1つのメニューしか選ばないのなら、店のメニューがいくつあっても1つしかないのと同じだ。実際には選択肢は多いのに、自分で選択肢を狭めているのだ。

(2)若いころから大きい選択をするとほぼ失敗に終わった経験から、失敗を恐れて選択を避けるようになる。失敗も立派な経験だが、歳を取ると失敗は致命的だ。転職しようにも、老人を雇うところはなく、アパートも金も貸してくれず、ユニセフも助けてくれない。

(3)情熱がない。これまでの経験から選択の結果が見える。ギャンブルに全財産をつぎ込めば、ほぼ確実に無一文になり、無一文(むいちぶん)でホームレスになったら数日で死ぬだろう。全財産をギャンブルに投入するという選択肢は、数日で死ぬ覚悟がなければとても選べない。

(4)選択に失敗していつまでも引きずると、他の行動の可能性を奪うことがある。1ケ月1度に制限しているカツカレーを食べ、量が少ないことに腹を立て、やけ食いに走り、ダイエットをやめてしまうなど。

 明日から行動を改めたい。

 第一に、1つの選択に拘泥(こうでいするのを防ぐため、「断念する」という選択肢を優先的に採用する。とくに

(1)探し物は5分過ぎたら断念する。経験上、5分で見つからなければ、見つけるのに最長数ヶ月かかる。探し物が何であれ、原始時代の人類はそんな物なしでちゃんと生きていた。

(2)読むのをやめようか迷っている本は迅速に読むのをやめる。いま読んでいるミステリがそうだ。面白いのだが(ミステリのベストテンに入っている)、この先どう展開しても想像の範囲に収まりそうだ。打ち切るかどうか迷っている時間に他の本を読む方が賢い。

 第二に、至難(しなん)の業だが、高潔上品な大人物になる。近づきがたい人物、恐れ多い人物にはだれも禁止しようとは思わないはずだ。

 第三に、「買うな」と禁止される前に、「もうネットで買わない」と声高らか(こえたからか)に宣言する。品物が届いたら「以前注文していた物だ。注文から届くまで何年もかかることがある」と説明する。

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