ツチヤの口車 第1303回 土屋 賢二 2023/08/05
残り5時間になったら
確実なことは少ないが、一つだけ確実なことがある。確実なことがないという事実である。次に確実なのは時間ほど貴重なものはないということだ。若いころそれに気づいたにもかかわらず、時間を浪費(ろうひ)してきた。それどころか、無駄なこと以外した覚えがない。
昔、ギターのアンプがほしくなったとき、市販の製品が高価だったため、自作しようと決心した。何度も電車で電気街に通って電子部品を買い揃え、それを組み立ててアンプを作ったが、雑音(ざつおん)が大きくて使い物にならない。さらに研究を重ね、部品を買い換えて完成させると、雑音はさらに悪化していた。このとき費やした時間、金、労力がすべて無駄だった。市販の製品を買うより自作する方が高くついた上に、使い物にならなかったのだ。わたしの人生はこんな無駄の連続だった。
ピアノを練習した膨大な時間も無駄だったし、哲学も、見当違いの方向を模索した最初の20年は無駄だった。考えていくと、わたしの一生全体(いっしょうぜんたい)が無駄ではないかとの疑いが浮上するから、これ以上追究したくない。突き詰めって(つきつめて)いくと、人類を含む生物は生物学上、種の存続を目指しているように見えるが、最終的にはたぶんすべての種は絶滅する(太陽系が消滅する)。種を存続させる努力は、壮大な無駄に終わるのではないかという疑問を振り払うことができないのだ。
わたしの無駄は小規模だがタチが悪い。アンプの既製品を買う出費を惜しんで膨大な時間を無駄にしたのだ。その根底には大きい誤解がある。
人生があと5時間で終わるとしよう(巨大隕石の衝突を考えてもいい)。その場合、時間が金で買えるものなら、どんな出費(しゅっぴ)も厭わない(いとわれない)だろう。「あと5時間」になるときは空想ではなく、必ずやってくる。だからふだんでも、金をいくら払っても時間を買わなくてはならないのだ。既製品のアンプを買うはした金のために何百時間も無駄にしたのは許しがたいミスだ。
こういうミスを避けるには、ふだんから「死を思え」という格言(かくげん)に従うべきかもしれない。5時間後とか明日死ぬと分かったときの気持ちで生活するのだ。だがそのときは未納の税金を払うだろうか。借りている本を返すだろうか。部屋を片づけるだろうか。健康診断を受け、定期券を買い、定期預金をし、日記帳を買い、ポイントを貯め、虫歯(むしば)を治すだろうか。
ふだんからこのやり方を貫くと健全な生活を送ることができなくなる。では死が1年後に訪れるとしたらどうか。部屋の片づけや税金の支払いはするかもしれないが、学問や外国語の勉強、楽器の練習、健康診断、アンプの自作、妻への抵抗などの無駄は避けるだろう。
では死が訪れるのが3年後になったらどうするか。現在わたしは死は3年以上先だと楽観視しているが、それと大差ない生活になるような気がする。納税その他の義務は果たすが、仕事を先延ばしにし、片づけをサボり、ダイエットと運動は中途半端、妻には逆らわない(さからわない)生活。全体として行き当たりばったりで中途半端な生活になる。
だがこの場合も、5時間後に死ぬという事態が確実に訪れる。そのときには中途半端なところは跡形もなくなる。納税も片づけもアンプの自作も節食も運動もサプリメントも散髪も全部やめ、仕事は先延ばし、時間を金で買えるなら、有り金をはたいて時間を買い取ろうとするだろう。
買い取った時間をどう使うだろうか。ぼんやり景色を見て過ごすだろうか。それとも何もする気になれず、時間をもてあまして、売れるものなら時間を人に売るだろうか。それともアンプの自作に取り組むだろうか。
- 高くつく; 高く付く 【たかくつく】 (exp,v5k) to be expensive; to be costly
- この車の維持は高くつく。 It is expensive running this car.