ツチヤの口車 第1318回 土屋 賢二 2023/11/24
もらわれるところだった|土屋賢二
教え子に言った。
「これから養子だった人を列挙する」
「待ってください。何をなさりたいんですか?」
「やがて分かる。驚愕(きょうがく)の事実が」
「驚愕するほどくだらない結論にならないことを祈るしかありません」
「養子だった人は多い。スティーヴ・ジョブズ、マリリン・モンロー、ビル・クリントン、ジョン・レノン、ネルソン・マンデラ、トルーマン・カポーティ、エドガー・アラン・ポー、道元、親鸞、吉田松陰(よしだ まつかげ)、関孝和、夏目漱石、芥川龍之介、それから室生犀星(むろう さいせい)もそうだ。知ってるか?」
「知りません」
「無教養すぎる。わたしと同じでいいのか」
「絶対によくありません」
「とにかく錚々たる(そうそうたる、distinguished)人たちが養子だ。キリストだって養子みたいなものだ」
「それが先生の自慢になるんですか? もしかして先生、養子なんですか?」
「違う」
「じゃあ言わせていただきますが、養子でも偉人だとはかぎりません」
「浅いっ! 養子にもらうとき、だれだって利発で性格がよく、見目麗しい子(みめうるわしいこ、容貌が美しい)を選ぶ。ペットを選ぶときもそうだし、書店で山積みにしてある本を買うときだって、なるべく下の方を取るだろう? 子どもは手間も金もかかる。それだけの価値があるいい子を選ぶのは当然だ。だから偉人になる確率は高くなる。それが頭に入ったところで言うが、実はわたしは小学6年生のとき、わたしを養子にくれと言われたことがある。わたしは長男なのに」
「えっ、先生、もしかして小学生のころ犬かネコだったんですか?」
「そんなわけないだろう! 長男でもほしがるほど気に入られたんだ」
「先生の中身を知らなかったんですね」
「わたしのルックスで見誤った可能性は否定できないが、その人は担任の先生で、夏休み中、毎日その先生の家に遊びに行っていたから、わたしを熟知していた」
「どうなったんですか?」
「わたしの親が断った。わたしのようないい子を手離すはずがない。まだある。深川(ふかがわ)のお寺の住職(じゅうしょく)が養子にほしいと言ってきた。わたしが40歳すぎのころだ」
「お坊さん! お知り合いだったんですか?」
「一、二度会っただけだ。その住職はわたしの哲学の恩師と東大在学中からの親友で、わたしの恩師から話を聞いたんだろう。住職は後継者が必要だったんだ。そこで人格識見ともに非の打ちどころのない人物としてわたしに白羽の矢が立った。もし養子になっていたら仏道をきわめ、人々の尊敬を集めていたはずだ」
「でも大学教授よりはるかに高潔な人格を求められますよ。品行不良でお寺を追われるのがオチです。それにいまは檀家の寺離れで経営も難しいらしいですよ」
「そう言えば、親しいお坊さんが埼玉と山梨の2か所を掛け持ちしていた。無理がたたったのか、早死にしてしまった。幼稚園をやろうにも少子化だし。墓じまいも増えている。経営に失敗する恐れが強い。ただ、考えてもらいたい。わたしをほしがったのは学校の先生と住職だ。人を見る目があり、世間から尊敬される人がわたしを選んだのだ。この事実は重い」
「なのに人間は軽い。かつ薄い。かつ浅い」
「いくらでも言うがよい。わたしには選ばれたという確たる実績がある」
「わたしも実は高貴な家の子に違いないと思うんです。そう考えないと、わたしの気品が説明できません」
「よくそこまで勘違いできるね。感心するよ。きっとご両親も『こんな愚かな子がうちの子であるはずがない』と病院の取り違えを疑っているはずだ」