なぜ怖いのか|土屋賢二

ツチヤの口車 第1287回 2023/04/08


 わたしの妻を知っている人は、わたしを怖い物知らずだと思うかもしれないが、わたしは正真正銘の怖がり(coward)だ。地震も病気もジェットコースターも怖い。

 だが、なぜ怖がるのか。危害を及ぼす(およぼす)物が怖いのは分かる。だが無害なのに怖い物もある。心底(しんそこ、しんてい)怖いのはこちらの方だ。

 たとえば幽霊(ゆうれい)は怖いが、これは危害を加えるからではない。たぶん日常、意識から締め出している死の世界や超自然を想起させるから怖いのだ。だから自然に触れるとホッとする。

 では自然なら怖くないのかというと、自然も怖い。子どものころ谷をはさんで草木のない黒々とした岩石(がんせき)が広がる光景を見て、無生物の殺伐とした世界に足がすくんだ。 むき出しの自然、生命の痕跡も見当たらない光景は恐ろしい。たぶん地獄には草木が1本も生えておらず、部屋に一輪挿しも絶対にないと断言できる。

 では生物なら怖くないのかと言えば、非常に怖いものが生物の中にいる。

 毒をもつ生物(トリカブト、毒キノコ、フグ、サソリ、細菌)は危険だが不気味な怖さはない。

 危害の恐れがなくても怖いのはクモとヘビだ。

 子どものころ、風呂場にはよく7、8センチもある真っ黒なクモが壁に張り付いていた。父が捕まえて食べるふりをして無害だと教えたが、怖さは1ミリも減らなかった。

 無害だと分かっても怖いのだ。有益で絶滅危惧種で高価で幸運をもたらすと思っていても怖いだろう。

 バッタ(飛蝗)は平気なのにクモは怖い。クモは昆虫より足が2本多いからだろうか。そういえば足の多いムカデも怖い。ムカデ((百足、蜈蜙、蜈蚣)は刺さなくても震えるほど怖い。

 足が少なければいいのかというとそうでもない。ヘビもウツボも怖い(だがウナギやアナゴはおいしい)。

 クモの足が8本だから怖いというわけでもない。八という数字は末広がりで縁起がいいはずだ。それにタコは8本足だが、おいしい。八岐大蛇(やまたのおろち)は怖いが、千手観音は怖くない。数は怖さには無関係に思える。健康診断の数値は怖いが。

 昆虫と違ってクモには毛が生えている。では毛が怖いのか? 最近の若者が脱毛するのは、女子が体毛を嫌悪するからだ(ハゲを嫌うくせに)。だが犬にもネコにも毛が生えており、だからこそ愛くるしいのだ。クモと同じぐらい怖いヘビにも毛がない。だから毛が怖さの原因とは思えない。

 クモやヘビが怖い理由は進化論的に説明されることがある。人類が樹上生活をしていたころ、ヘビと毒グモは天敵だった。進化の過程で、危険を避ける個体だけが生き残り、それが遺伝的に受け継がれてきた。そのため、赤ん坊にヘビやクモの画像を見せると特別な反応を示すという。

 だが進化論的説明も納得できない。ヘビを怖がるどころか、平気でヘビを触る人や、飼いさえする人がいるのはなぜなのか。奇怪な深海生物や、ダニやクモの拡大写真など、進化の過程で一度も出会ったことがないはずなのに身震いするほど怖いのはなぜなのか。

 これまで納得のいく説明に出会ったことがない。だが恐怖は明確すぎるほどだ。怖い生物がウヨウヨいる中に投げ込まれるぐらいなら、ライオンかクマの群の中に身を投じるだろう。

 一番怖いのは、宇宙空間を1人で漂っていて(果てしない宇宙も怖い)、総毛立つほど怖い姿の宇宙人に捕獲され、可愛がられることだ。それぐらいなら、宇宙人が、わたしの姿を死ぬほど怖いと思い、駆除してしまう方がよっぽどいい。

 色々想像しているだけでも恐怖で身がすくんでくる。横でテレビを見ながら大福をほおばる妻を見て、ここ数十年で初めてホッとした。