ツチヤの口車 第1311回 2023/10/07

いままでで一番衝撃を受けた一言(ひとこと)

 他人の目は節穴である。その証拠に、わたしを尊敬する者が一人もいない。

 だが、他人の目に驚かされることがある。

 東大に入って1年後、真冬でも裸足(はだし)にサンダル、ジーンズにジャケット1枚、風呂は月1回というホームレス風の姿で渋谷を歩いていて、衝動的に占い師に見てもらったところ、「惜しいねぇ。あんた、真面目に勉強していたら東大にだって入れてたよ」と言われた。知性は隠せないものだ。この占い師も実に惜しい。もう少し見る目があったら競馬で食っていけただろう。

 大学教師になり、池袋の喫茶店で論文を読んでいると、横に座っていた中年男が「えらいなぁ。どこ受けるの?」と声をかけてきた。受験勉強をしていると誤解したのだ。

 立教大学の近くだったので「立教です」と答えたところ、「おれ、立教出身なんだ。立教のどこ受けるの?」と聞いたので、「哲学です」と答えると、「おかしいな、哲学科はないけど。キリスト教学科かな」と勝手に納得し、「がんばれよ」と励まして店を出て行った。自分の志望学科も分かっていないやつが合格するはずがないと憐れみながら。嘘はついたが、憐れむことがなかっただろう男の心に憐れみの情を芽生えさせることに成功した。

 50歳でイギリスに渡ったときは、絶対に日本の恥を晒すまいと誓っていた。そのためには国籍を偽る(いつわる)ことも辞さない覚悟だった。

 だが実際には国籍を偽る必要はなかった。中国人だと思われたからである。後で知ったが、当時、イギリス人はアジア系で高価な服装なら日本人、貧しい服装なら中国人、という見分け方をしていたらしい。

 欧米ではアジア人の年齢は若く見られるものだが、ほとんどの人はわたしの年齢を20代と思っており、50歳だと言うと非常に驚いた。いっそ90歳だと言えばよかった。そうすれば「この中国人は嘘つきだ」と思われていただろう。

 いままで言われた中で一番衝撃的だったのは、40代の新進気鋭(しんしんきえい)の助教授(じょきょうじゅ)のころ、哲学の問題と格闘しながら池袋を闊歩(かっぽう)していたとき、男に「にいちゃん」と声をかけられたことだ。

 どう考えても保険の勧誘ではない。宗教や自衛隊の勧誘でもない。こういう勧誘をする人は「にいちゃん」と呼びかけない。

 夜なら「かわいい子がいるよ」「3000円ポッキリだよ」と続くのがふつうだが、このときは白昼だ。東京ドームの近くなら「チケット買わない?」「チケットもってない?」と続くが、場所は池袋駅だ。

 声をかけたのは20代のチンピラ(不良行為少年や暴力団の末端組員に顕著に)風の男だ。わたしは瞬時に見抜いた。この男はキンピラではないと。

 スーツを着ていないからサラリーマンではない。白昼ぶらついているから職人でも商人でもない。勉強とは無縁の様子だから学生でも浪人生でもない。時代が違うから武士でも貴族でも豪族でもない。定職をもたず、社会からあぶれた男はチンピラ風に見えるものだ。その男がこう言った。

「にいちゃん、仕事する気ない?」

 衝撃だった。わたしは、仕事もせず、ぶらついているチンピラ風の男だと思われたのだ。男の方はスカウトの仕事をしているだけマシだ。実はわたし自身、哲学者は社会のあぶれ者ではないかと薄々疑っていたのだ(ソクラテスも市民から「社会の片隅でボソボソしゃべってばかり」と見られていた)。

 わたしは「仕事なんかしたくない」と断った。本音である。似たもの同士、気持ちが分かるのか、男はあっさり「あっそう」と言って立ち去った。男に親近感を覚え、隠していた自分の本性を初めて暴かれた(あばかれた)ような気がした。

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