ツチヤの口車 第1312回 2023/10/14

謝罪の極意(しゃざいのごくい)

 謝罪の専門家、斜財御免氏は何万回と謝罪してきただけあって、すでに坊主頭だ。謝罪の極意を聞いた。

「謝罪はいいよ〜。謝っても価値は下がらない。もともと価値はないんだから。謝罪すれば裁判でも『反省の色が見られる』と情状酌量までしてもらえる」

――気を付ける点は?

「ふつうのやり方はこうだ。謝罪の前にすべきことがある。まず不祥事を起こさなくてはならない。不祥事を起こしても、バレなくてはならない。バレても十分な証拠が必要だ。動かぬ証拠が出されても『記憶にない』『意図しなかった』『認知症だ』などと言い訳する。これは最悪のやり方だ。有罪が立証されたら心証が悪くなる。言い訳も厳禁だ。上司の頭を叩いて『すみません。スイカと間違えました』と言い訳して許してもらえるか?」

――悪くなくても謝罪を求められることもあります。

「善悪は無視しろ。怒りを買ったら即座に謝れ。土下座の練習は必須だ。わたしは何もないうちから店に入ると土下座する場所の見当をつける。土下座したら、ポケットをひっくり返して有り金を差し出し、『お金の問題ではないことは分かっていますが、受け取ってください。これだけしかありませんが、何かしないと気がすみません』と言う。100回練習すれば自然に言えるはずだ。なお、お札は靴の中に入れる習慣をつけておけ。土下座する人に怒り続けるのは大人げない。謝られる側の器量が問われることになる」

――憎たらしい相手にも土下座するんですか?

「当然だ。ただ謝罪の中に攻撃を含めることもできる。例を列挙しよう。

・『わたしさえいなければ、偶然がいくら重なってもご迷惑はおかけしなかったでしょう。もちろん、あなたがいなければ、被害にあう人もいなかったでしょう。さらに、あなたのご両親が出会わず、わたしの両親も出会わなければ、あなたもわたしもこの世にいませんから、わたしがあなたの自転車を盗むことはありえなかったでしょう。盗んだ盗まれたという形にせよ、ともにこの世に生まれてきたことを手を取り合って喜ぶのが、成熟した人間関係です。ですが、わたしはそんな理屈で自分の行為が許せるとは思っていません。むしろわたしの両親が出会わず、わたしが存在しなければよかったと思っています。タイムマシンがあったら、自分を抹殺したい。タイムマシンがないなら鉛筆で書いた文字になりたい。消しゴムで消せるように』

・『だれにも間違いはありますから、更生のチャンスが与えられるのが普通です。だれが就職、結婚、子育てに間違いはなかったと胸を張れるでしょうか?

だからやり直しの機会を与え合い、許し合うことが、人間として最低限の度量であり、最小限の良識であるべきです。でもそんな原則論ではわたしの倫理観が納得しません。ムシがよすぎます。これから出家します』

・『お怒りは当然です。自分の価値を認めない人には腹が立つものです。尊敬する大谷翔平選手から同じことをされても、また暴力団員や格闘家に同じことをされても腹は立ちません。自分より強い人、自分よりエラいと思う相手には怒りは起きないのです。でも自分より格下の相手から被害を受けるのは、自分は大物だと勘違いしている人には耐えられないことです。あなたが怒るのは、わたしを格下だと思っておられるからです。それこそ失礼ではないでしょうか。それを踏まえ、わたしがあなたより格下のつまらない人間であることも併せて謝ります』」

――ありがとうございます。すみません。謝礼ですが、205円しか手持ちがありません。土下座します。

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