ツチヤの口車 第1322回  土屋 賢二 2023/12/23

ツチヤ師の師走

 ツチヤ師に聞いた。

――師走(しわす)です。走るんですか?

「走らない。教師は引退したから走る必要はない」

――では走らないんですね。

「わたしは必要がないからといって手を抜く(手数を省き(はぶき)、いい加減に事をする。)ような人間ではない。原則として毎日ウォーキングする」

――歩いているんですね。

「もちろん暴風雨の中を外出するほど杓子定規(しゃくしじょうぎ)ではない。臨機応変に、寒すぎる、暑すぎる、雨が降っている、数時間後に雨が降る予報が出ている、2日後に雨が降る予報が出ているなどの場合は、外出を控える」

――2日後の降雨予報でも休むんですか?

「予報はズレる。油断は禁物(きんもつ)だ。そのほか、身体がだるい、気が乗らないなどの場合や、悪い予感がすると外出はしない。予感に従ったおかげでどれだけ災難から逃れて(のがれて)いるか数えることもできないほどだ」

――そんなもの、数えられませんからね。じゃあほぼ運動しないんですね。

「毎日貧乏ゆすりは欠かさない。それに食事を制限している。『食べられる以上に食べない』という原則を一度も破ったことがない」

貧乏揺すり(びんぼうゆすり)は、座っている時などに、下半身の鬱血(うっけつ)などが原因で身体の一部(特にヒザ)を揺らし続けることをさす。

――食べられる以上に食べることは論理的に不可能ではありませんか?

「わたしは不可能を可能にする男だ。油断できない」

――はいはい。大掃除はいかがですか?

「掃除も片付けもそっちのけだ。買い物に専念している。昔は買い物すると相当の運動になった。だが最近の買い物は指でスマホをタップ(tap)するだけだ」

そっちのけ 0【其方退け】構わないで放りっぱなし(ほうりっぱなし)にしておくこと。相手にしないこと。そちのけ。「勉強―で遊ぶ」

――運動になりませんね。

「立派な運動だ。長年意識不明だった人が指を動かしたら奇跡だ。ただ、指を動かして買うと、物が増えて部屋が狭くなる」

――買うと空間が失われますからね。

「買ったからといって空間を圧迫するとはかぎらない。株、権利、恨み、不評、反感など、買っても空間を圧迫しない物もある。だがわたしが買う物は物体、デカルトの言う『延長する物』、空間を占める物だ」

――その上肥満がさらに空間を圧迫しますよね。

「今朝届いた加湿器の体積を腹の脂肪で増やすのは無理だ」

――なぜ買うんですか?

「セールなんだ。ほとんどは不要な物なのになぜ買うか。所有したいからとでも言おうか。では所有とは何か。わたしはこの右手を所有している。なぜそう言えるのか」

――針で刺すと痛みを感じるからですか?

「麻酔で痛みを感じなければわたしの手ではなくなるのか? 考えよ。わたしの所有物なら、その部分もわたしの所有物である。机を所有していればその脚や天板もわたしの物だ」

――初めて同意できます。

「だが、細胞の一つ一つ、さらにそれを構成する原子までわたしは所有しているのか。原子は宇宙の始まりから存在し、だれの所有物でもない。一方わたしの身体全体も原子の集まりだ。だれの物でもない物がだれの物でもない物を所有することがありうるだろうか」

――ではこう言います。所有とは思い通りにできることです。土地や預金を所有すると思い通りに使えます。

「思い通りになるか? 預金は使うと減る。30坪の土地に50坪の家は建たない。スマホもペットも空間も思い通りにならない。ピアノなんか自由に蹴り飛ばせるだけだ。身体だって勝手に太り、眠り、病気になる。心も勝手に忘れ、怒る。何一つ思い通りにならない。だからわたしは無一文だ。どんな物も所有できないのだから、いくら買ってもかまわない」

――ご自分の所有物ではない物が手に負えないほど増えているんですよね。ひょっとしたら師は倉庫ではないでしょうか。

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