夜ふけのなわとび 第1801回  2023/07/07

クマさんとシビウへ

 まるで映画のような展開であった。

 ワグネルのプリゴジン氏が、プーチンに反旗を翻し(ひるがえして)たら、ベラルーシ大統領のルカシェンコ氏が間に、まあまあと入ってきて、

「俺の顔を立てて、こらえてくれや」

 ということになった。

 プリゴジン氏はもちろんであるが、このベラルーシ大統領が、とんでもない悪相(あくそう)。プーチン氏も加わって、悪相三人衆が織りなすドラマであったが、単に面白がってはいられない。現にこの間にも、ウクライナには攻撃があり、何人もの人が亡くなっているのだから。

 ロシアのウクライナ侵略は、世界中のいろいろなところに暗い影を落としているのであるが、それをつくづく感じたのは今回のルーマニアのシビウまでの旅である。

 成田からフランクフルトに行くまで、なんと15時間半のフライトだ。今までは12時間ぐらいで行けたのに、ロシア上空を避けているためである。

 そしてここからがさらに遠かった。フランクフルトからミュンヘンへ飛び、そしてシビウの小さな空港へ。

 到着した時はもう息もたえだえ、という感じ。時計は真夜中の1時をさしている。が、空港には何人かの人たちが出迎えてくれていた。国際演劇祭のスタッフの方から美しい小さなバラの花束(はなたば)をいただく。

「ようこそシビウへ」

 そう、私はこの演劇祭でお芝居をすることになっているのだ……というのはもちろん嘘で、建築家の隈研吾(くま けんご)さんと日本文化について対談する予定だ。

 縁というのは不思議なもので、今、日本のルーマニア大使になっている方とは、三十数年前に知り合った。当時若き官僚だった彼であるが、エリート臭は全くなく、サッカー好きのとても感じのいい青年であった。彼が結婚する時には、京都での披露宴に参列しスピーチをしたものだ。彼が外務省に出向し(しゅっこうし)、ルーマニア大使になっていたことは知っていたが、まさか自分が行くことになろうとは思ってもみなかった。

 その大使が昨年の秋、日本に出張した際、私と隈研吾さんを食事に招いてくれた。そして私たちに、シビウの演劇祭で講演してくれませんかと言ってくださったのである。

 有難いお話であるが、ルーマニアはあまりにも遠く、今は大学の仕事もある。どうしようかなと一瞬迷ったら、

「行こうよ、行こうよ。ルーマニア楽しいよ」

 というクマさんの言葉。結局シビウ3泊(さんぱく)の弾丸旅行(だんがんりょこう、very fast)ということになったのである。

 そのクマさんであるが、成田で待ち合わせて驚いた。革の大ぶり(おおぶり)のバッグひとつなのである。これひとつにすべて収めているという。

「カートをひっぱってると、いざという時に空港走れないから」

 ということである。そういえば、4年前に一緒にネパールを旅行した時も、バッグひとつだった。

 びっくりすることはさらに続く。ホテルに到着した後、倒れるようにベッドに直行した私と違い、クマさんは飲みに出かけた。

「ビールをひっかけた方がよく眠れるから」

 ということである。世界的に活躍する人はこうも違うか……。

 やがて、クマさんのパリ事務所から、女性スタッフ、ミルナさんが合流。2人はさっそく出かけていった。

「お散歩に行くの?」

「ちょっとクライアントとミーティング。こちらに来てもらったんだ」

 あまりにも忙しいので、こうして出張先に、ヨーロッパの人には来てもらうらしい。今、世界30カ国でプロジェクトが進行中ということ。

 次の日、クマさんはブカレストの国立大学建築科の学生に講演をしたのであるが、立ち見も出て100人が受講。終った後は列が出来てサイン会になったそうだ。

 なんかすごすぎる、世界のクマケンゴ。同い齢で30代からの友人の私は感無量である。私だけがドメスティックな物書きであるが、クマさん、大使、まあ、これからも皆さん仲よくしてください……。

街中でパフォーマンス

 いけない、話がすっかりそれてしまった。シビウの演劇祭は、世界の三大演劇祭の1つといわれ、夏の10日間、世界中の演劇人が訪れて300以上ものパフォーマンスを繰りひろげる。これを観るための観光客は70万人にのぼるそうだ。

 この期間中は、街のいたるところで、小さなパフォーマンスが繰りひろげられている。それを見る市民の楽しそうなことといったらない。気づいたのはスマホを構える人がほとんどいないこと。

「禁止されてるの?」

 ボランティアの人に尋ねたら、今、目の前で起こっていることに夢中で、スマホで録ろうとは思わないのではないかということ。さすがである。

 昨日の夜は夏木マリさんが手がける『ピノキオの偉烈』を観劇。串田和美さんらと並んで今年の日本からの出品作品だ。これは共産党時代の工場を改装した小さな劇場で行なわれた。しかし始まりは夜の10時! 時差でコックリしたらどうしようと気が気ではない。

 しかし全くそんな心配はいらなかった。若い舞踏団との素晴らしいダンスと、それぞれのシーンがつくり出す幻想的な世界。終ったとたん、満席の300人の観客がスタンディングオベーション。ミルナさんは感動のあまり泣いていた。

 拍手が鳴りやまない中、大使がマリさんに花束を贈呈。とてもいい光景であった。

 終了後、皆で楽屋にうかがったらマリさんは、

「お客さんが目が肥えた方ばかりだからとても心配だったの」

 と言っていた。そう、ここでは出演者も観客となる。シビウの演劇祭、この魅力的なお祭りについては、続きはまた来週。といっても3泊しかしていないが。


シビウ(Sibiu、ハンガリー語: Nagyszeben ナジセベン、ドイツ語: Hermannstadt ヘルマンシュタット)はルーマニアのトランシルヴァニア地方南部の都市である。人口は170,000人(2002年)。シビウ県の県都である。