夜ふけのなわとび 第1814回 2023/10/13

クッキー工場

 先々週号(せんせんしゅうごう)の週刊文春のスクープは、貴乃花さんの再婚であった。

 これは世間の皆が祝福した。17歳の時に知り合った初恋の女性と、めでたくご結婚なさったというのだ。好きでつき合ったけれど、成就出来ずに別れた2人。中年になった時に、男性の方はバツイチになり、女性の方はご主人を亡くしていた。共通しているのは、どちらも立派にお子さんを育て上げたということ。

 世の中の人たちは、いろいろな出来ごとで、貴乃花さんの誠実で不器用(ぶきよう)な性格をよーく知っている。

「これでやっと幸せになれるんだね。よかった、よかった」

 とたいていの人は拍手をしている。私もケチをつける気は毛頭ないのであるが、作家であるからして、言葉の使い方をちょっと考えてみたい。

 この記事の最初の方は、いかにも初恋のイメージにふさわしい文章が書かれている。

 十両昇進のパーティーで知り合った17歳と高校3年生。

「渋谷のハチ公前で待ち合わせをした」

 初めてのデート。そして横浜でデートを重ね、

「海沿いのベンチに腰掛け、時間を忘れて2人の将来を語り合った」

 ふむふむ、最近のインタビューでは、

「17、18歳の頃に、デートらしいデートをすることができた。今も心の支えですね。その思い出があるから、少々のことがあっても耐えられたような気がします。たった一度きりの青春でした」

 ここまで読むと誰だって、10代の2人は、何回かのデートという淡い関係だと思う。が、後半で衝撃の展開が。

「東中野にアパートを借り、家内と暮らし始めました」

 つまり同棲ということですね。まだ10代の2人は一緒に暮らしていたというのだからびっくり。

 ここで意地悪な私は、あのテレビのシーンを思い出す。中学を卒業した貴乃花は、兄と2人揃って藤島部屋(ふじしまへや)に入門する。お父さんとはもう親子ではない。弟子と師匠になるのだ。2人を送り出す憲子夫人(当時)は涙ぐんでいた。感動的な場面だ。が、あの後、ずっと部屋に住んでいたわけではなかったんですね。

 いや、同棲が悪い、というのではないんですよ。ただ記事の書き方が、アレっと思っただけ。

 これほど「初恋」を前面に押し出すのは、3時間も話してくれた貴乃花さんへの感謝と遠慮があったのかな。

 何はともあれ、今度こそ幸せになってくださいね。

 幸せといえば、週刊文春で連載中のコミック「沢村さん家のこんな毎日」の3人は、本当に幸せそうだ。平均年齢60歳で、お父さん70歳、お母さん69歳、娘のヒトミさんは40歳とある。

「娘が結婚してくれれば」

 とか、

「孫の顔が見たかったのに」

 などと、無いことを考えたりしない。両親の仲はよくて、お父さんは図書館に通う知的で穏やかな人。娘のヒトミさんは、かなり奥手(おくて、late bloomer)であるが、とても優しく両親思い。私はこの一家が大好きだ。

「悪くなかったヨ」

 が、先々週号のヒトミさんはちょっと怒っていた。いや、悔しがっていたというべきか。歩いていたら、歩きスマホの人とぶつかりかけた。躾(しつけ)が行き届いて(ゆきとどいて)いるヒトミさんは、

「あっ、ごめんなさい」

 ととっさに謝ったのに、相手は迷惑そうな顔をしたのだ。非常に珍しいことであるが、ヒトミさんはムカつく。

 私は悪くない、向こうが悪いんじゃん、と思う。が、さらに彼女は考える。

「わたしは悪くなかった、と思った時、人はなぜこんなに悔しくなるのでしょう。誰にも庇ってもらえない空しさ。『悪くなかったよ』と言ってもらえない無念」

 ヒトミさんはとぼとぼ夜道を歩きながらつぶやく。自分で自分に。

「悪くなかったヨ」

 これ、わかるなーと声をあげた人は多いに違いない。

 最近の世の中は、小さな悪意に満ちている。街に出れば、ちょっとしたことでこづかれたり、舌うちされることはしょっちゅうだ。ヒトミさんのように、歩きスマホの人にぶつかりそうになったり、カートにつまずきそうになるのは数知れず。そんな時、

「気を付けてくださいよ!」

 という言葉をぐっと呑み込むと、とたんに心が苦しくなる。しかし文句を唱えるのは、気力体力をぐっと使うことだ。ふつうの人はしない。そしてその苦しい心をどうするかというと、ヒトミさんのように、自分で自分を宥(なだ)めるのである。

 さて、またまた話は変わるようであるが、最近尊敬する先輩や知り合いの訃報が、次々と届けられる。同い年ぐらいだと、まだ「アクシデント」と思いたい自分がいる。

 が、自分よりかなり年上の方だと、

「やっぱりなあ……」

 という気持ちが強い。

 101歳で亡くなった私の母は、よく言っていたものだ。

「人間、死なないわけにはいかないんだから」

 そりゃあ、そうだと当時は軽く受け流していたが、この言葉が年ごとに重くなってくるのである。

 この頃、私の頭の中に、大きなクッキーのオートメーション工場の風景が出来上がっている。ちょうどいい焼き具合になると、ベルトコンベアはザザーッと音をたてて、クッキーを下に落としていく。

 まだこんがり焼けていなくても、ちょっとコゲがついたりすると、クッキーははじかれてしまうということもある。つまりボケてしまうということですね。

「私、最近もの忘れひどくて。おかしなこと言ったり、固有名詞が出てこないようになったら言ってね」

 と編集者に頼んだら、

「ハヤシさんは昔からそうだったから気にしなくていいですよ」

 と慰めてくれる。しかし彼らも次々と定年退職に。そしてクッキーのベルトコンベアに並べられている。まあ、落ちていく前まで幸せに暮らしたいものだ。