夜ふけのなわとび 第1821回 林 真理子 2023/12/08

カレンダーとスマホ|林真理子

 暮れ(くれ)になると、いくつかのところからカレンダーをいただく。

 大きな豪華なものもあるが、わりと嬉しいのが小さな卓上(たくじょう)カレンダー。友人が昨年、宝塚のスターさんのものをくれた。それをテレビの横に置いて、いつも美しい姿を楽しんでいる。私が毎週通うバレエ・ヨガ(寝っころがって脚をバタバタさせるもの)の仲間は、熱狂的なヅカファンの集まり。そもそもどうしてこのヨガをみなで習い始めたかというと、いつか7人でラインダンスを踊りたいという願望によるものだ。ゆえにグループLINEの名称も「夢組」という。彼女たちはしょっちゅう、3、4人の単位で博多や本場宝塚の公演に出かける。

 〇〇さんがどうした、△△さんの今度の公演見た?と、毎回毎回その話題がとびかう。宝塚にはあまり詳しくない私には、ちんぷんかんぷんだ。

 その中の一人が今年の正月、

「〇〇さんから、夢組(ゆめくみ)にカレンダーいただきました」

 と配ってくれた時は、わー、キャーッとすごい騒ぎであった。ファンでもカレンダーをいただけるということは、すごい特権らしい。

 が、来年はどうであろうか。いろいろな事件に、ヅカファンの皆はずっとふさぎ込んでいる。

 そして今日月刊誌「味の手帖」と附録のカレンダーが届いた。これが可愛いの何のって。一辺20センチくらいの正方形(せいほうけい)で、食べもののイラストだ。表紙はおにぎり、1月2月は鍋、3月4月はお団子、最後にきて、11月12月はすっぽんだ。これは仕事場に飾ろう。

 そうそう、亡くなられても瀬戸内寂聴先生の卓上カレンダーも送られてくる。先生の若々しいお顔と有難い言葉が綴られていて、これは居間の棚の上に置く。

 カレンダーというと思い出す光景がある。山梨の小さな書店、林書房(はやししょぼう)でも毎年年末になるとカレンダーをつくる。もちろんどこかがつくったものの下に、名前だけを入れたもの。しかし古代の象形文字(しょうけいもんじ)の絵とか、わりとセンスがよかったような。くるくる巻いたそれを持って、父が学校にやってくる。そしてお得意さんの先生の机の上にだけ、それを置いていくのだ。

 学校で仕事にやってくる父を見るのは、ちょっと恥ずかしいような気分。バイクに乗ってくる父親を窓から眺めたのは、もう遠い昔のこと……。

 ところで私のまわりの若い人たちは、カレンダーなど見ないし、持っていないという。

「だってスマホを見ればいいんだし」

 予定を手帳に書き込んだりするのは、もうかなり年代が上の人だ。

「来月の7日、予定どうですか」

 などと言おうものなら、みんなさっとアプリを開く。

あなたの声は届かない

 なんでも入れていて、なんでもわかるスマホ。スマホは現代人の命綱(いのちづな)といおうか、全てを担って(になう)いるもの。だから紛失すると大変なことになる。

 ソコツ者(粗忽者)で知られる私であるが、スマホを失くしたことはない。時計は2回、はめていて落とし、涙が出るほど口惜しかったことがある。が、スマホは紛失経験はなく、ただ一度、タクシーの中に忘れたことがある。その時は親切な運転手さんがすぐに届けてくれた。私はそこに来るまでの料金くらい払うつもりであったのに、お店の人に渡してすぐに立ち去ったらしい。運転手さんに申しわけないことをした。

 先週のことである。友人たち何人かで食事をすることになった。そのうちの一人が到着するやいなや、

「スマホを失くした(なくした)」

 と真っ青になった。タクシーの中に忘れてきたという。領収書(りょうしゅうしょ)をもらっていたのですぐに連絡したが、引っ剥がして(ひっぺがして)探しても座席にないという。私も彼のスマホにかけ続ける。ちゃんと鳴っている。誰でもいいから早く出て。

「そういえば」

 と1人が言った。

「ここに来る前の野球場であなた缶ビールやおつまみの空袋(からぶくろ)を、ビニール袋に入れて持ってたじゃない。その時、左手にスマホ持ってたよ」

「そうだよ、きっとそうだ」

 彼はそこにいた友人と2人、すぐに車で野球場へ向かい、席の近くのくず箱を見せてもらった。しかしやはり見つからない。今だと位置特定が可能なのであるが、オジさんなのでそういう設定をしていなかったのだ。

 私は次の日もその次の日も、彼のスマホに電話をかけた。電池はあるらしく健気に(けなげに)鳴り続ける。いったいこの都会のどこにいるのか。どこかのくず箱の中か、ひょいと置いたどこかの塀の上か。

 しかしこの東京で、誰にも見つけられずにスマホがひっそりと存在出来る場所があるのだろうか。

 スマホよ、スマホ。

 あなたは今、どこで孤独に呼吸しているのだろうか。

 時折、あなたの眠りは破られる……。

 持ち主やその友人たちが、あなたの体を震わせる。そのたびにあなたは小さな悲鳴をあげるが、その声は誰にも届かない。

 スマホよ、スマホ。

 あなたの寿命はもうじき終わるだろう。

 あれほど酷使された(こくしされた)人生は、永遠の眠りにつく……。

 こんなヘタな(下手な)詩をつくった3日後、

「新しいのを買ったよ。もうOK」

 と友人からLINEが届いた。

 そして同じ日、弟からLINEが。

「Y子(娘の名)が、出張先のロンドンでスマホを盗まれました。しばらく連絡出来ないけど心配しないでと」

 姪のスマホはロンドンの誰かの手に渡った。これはおっかなくてとても電話出来ない。「ハロー」と犯人が出たらどうしようかと。