林真理子

夜ふけのなわとび 第1809回 2023/09/08

西武の恩

 西武デパートが、大手百貨店では61年ぶりのストライキをした。

 あまりにも赤字がたまり、親会社のセブン&アイ・ホールディングスから見捨てられることに反抗してだ。

 ニュースによると、社員はデパートの従業員として就職したのだから、それを全うしたいという。これを我が儘と見るかどうか、議論が分かれるところであるが、私のように縁のある者から見ると、

「やはり西武の社員としてのプライドがあるんだなぁ」

 と懐かしい。

 若いコメンテーターの人たちには到底わからないであろうが、80年代の西武文化というのは本当にすごかった。ひとつの企業が、時代をつくり出していたのだ。

 コピーライター(opywriter、広告文を作る人。広告文案家)の糸井重里(いとい じゅうり)さんと、デザイナーの浅葉克己さんのコンビが、次々と広告をうち、それが世間を席巻(せっけん)していった。ウディ・アレンがどてらを着て、自筆の書をひろげているポスター。そこには墨で「おいしい生活」と書かれていた。あれを見た時の衝撃。当時の空気がすべて集約されていたし、ハリウッドの大スターをこんな風に使える資金力。

 そしてこの頃、私の人生も動き出していく。このあたりのことは何度も書いたり言ったりしているので気がひけるのであるが、あえて今回も言わせてほしい。

 大学を卒業したものの、全く就職先を見つけられなかった私は、アルバイト生活をおくっていた。住んでいたところは、上池袋(じょういけぶくろ)といって池袋のはずれ。西武デパートのある東口からは20分ぐらい歩く。ごちゃごちゃと小さい家が立ち並ぶ界隈(かいわい)で、襤褸アパート(ボロアパート)の四畳半だ。

 ある時、そのアパートに、一人の女の子が引越してきた。銭湯(せんとう)の帰り、たまたま一緒になった彼女は言った。

「私はコピーライターをしてるの」

 それがすべての始まりである。なんだか私にもできそうな気がして、夜の養成講座に通った。卒業、プロダクションへの就職、しかし全く芽が出ない。やがて憧れの糸井重里(いとい しげさと )さんの塾に通い、面白そうなコがいると電話番に拾ってもらった。

 この頃、糸井さんは沢田研二(さわだ けんじさん)の「TOKIO」の作詞などもしていて、「おいしい生活。」「不思議、大好き。」で、世間をアッと言わせた。

 糸井さんはすぐに、私に全くコピーライターの才能がないことに気づかれたようであるが、それでもほってはおけないと、フリーランスで仕事がくるようにしてくれた。それだけでは食べていけないので、西友ストアの宣伝部に、嘱託として勤めるようになったのは、宣伝部長が私を可愛がってくれたからだ。

 ちゃんと机ももらい、サンシャイン60ビルの中にある、西武グループの一員になった。これがどんなにすごいことだったか、私は後に知ることになる。

 赤坂プリンスホテルで行われた、

「西武クリエイターの集い」

 というものに私も出させてもらった。あの時のことははっきりと憶えている。

 当時カリスマ中のカリスマだった堤清二さんもいらして、糸井重里さん、浅葉克己さん、仲畑貴志さん、秋山道男さん、日暮真三さんといった、スター級のクリエイターがいっぱい。キャビアだって出た。生まれて初めて食べたキャビア。

 そして池袋にあった西武美術館のパスだってもらった。西武はコンテンポラリー美術を中心とした、美術館を持っていたのだ。

最後の意地

 やがてなんとか私にチャンスを与えようと、宣伝部長さんたちが大きな仕事をくれた。そのプレゼンテーションの日、私たちはサンシャインの上の階にある社長室に向かう。赤絨毯(あかじゅうたん)が敷きつめられたフロア。ふだんはTシャツのデザイナーも、この日はスーツを着ている。社長の堤清二(つつみ せいじ)さんにポスターの試作品を見せる日だ。みんな緊張している。

 が、私が書いたポスターのコピーを見て、堤さんはひと言、

「まるでヘタな現代詩だね」

 みんな真青になる。後に作家になった私に、堤さんはよく言ったものだ。

「僕のあの言葉で、今の林さんがいるんだよ」

 恩を忘れたことはない。私は35年間、ずっと西武に外商をお願いしている。前はよく宝石を持ってきて見せてくれたりしたが、今はお中元とお歳暮ぐらいであろうか。しかし大量の内祝いが必要な時は、やはり西武に頼む。

 しつこいけど私たちの時代、デパートは三越ではなかった。伊勢丹でもなかった。西武だったんだ。あのキラキラした感じを、今の人に伝えるのはむずかしい。西武を核に、クリエイターという言葉が一般的になり、メジャー、マイナー、金魂巻、ルンルン、やがてバブルがやってくる。その最中、やはり西武はカッコいいイベントを次々とうち出していったはずだ。そう、西武は間違いなく日本をリードする文化であった。

 今の店員さんは、その西武の光芒を知っている人たちだろう。そのプライドをかけて、みんなストライキを始めたに違いない。そして海外ファンドやセブン側の株主に、意地を見せたのだろう。ストライキの次の日に売却されたが、まあこれだけ話題になったのだから、当初の目的は果たしたことになろう。

 話題になったといえば、ジャニーズ事務所の問題に触れて、ニュース番組のMCやコメンテーターが、みんな神妙な顔をして同じことを口にする。

「問題が起こった時に、真摯に向き合ってこなかった私たちマスコミも、きちんと反省しなくてはいけませんよね」

 これを言いさえすれば、ミソギは済んだと言わんばかり。木原問題を全くスルーしようとしている人たちが、どのクチで言うんだと私はひとりテレビに向かってつぶやいている。