第579回 池上 彰 2023/07/21

韓国の大学入試の難問改革は難問

 今年6月、韓国の大学入試の試験問題について、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「難問を出すな」と指示したことから、韓国の教育界は大きく揺れています。難問を出さずに生徒を選抜(せんばつ)するのは難問だからです。

 問題になっているのは、日本の大学入学共通テストに該当する「大学修学能力試験」(修能)です。毎年11月に実施されます。日本の場合は共通テストの結果で志望校を選定し、各大学で実施される個別の試験で合否(ごうひ)が決まります。これに対し韓国は個別(こべつ)の大学の筆記試験(論述を除く(のぞく))が禁止されています。ここで難問が出題されることになると、その準備のために受験生が塾や予備校で対策を取るようになり、教育費がかかり過ぎるからというわけです。

 となると、修能の成績次第で入れる大学が決まってしまいます。このため、試験日(しけんび)は遅刻しそうな受験生をパトカーが試験場(しけんじょう)まで送り届けたりと、毎年大騒ぎ。この様子は日本のニュースでも取り上げられます。

 学校外(がっこうがい)での教育費がかかり過ぎないように個別の大学の筆記試験を禁止したところで、結局は修能の試験のために、受験生はやはり塾などに頼ることになります。

 一方、修能の試験問題を作成する教育課程評価院も大変です。易しい問題を出したら、優秀な受験生はみんな高得点(こうとくてん)を取り、差がつきません。その結果、名門大学を目指す成績優秀者(ゆうしゅうしゃ)の中でも差がつくような問題を作成するようになってしまいました。これが「キラー(殺し屋(ころしや))問題」と呼ばれます。高校までの教育では扱わない分野の超難問が出るようになったのです。

 こうなると、名門大学を目指す受験生たちは、高校の授業を受けているだけではダメだと塾や予備校に通うようになり、結局は学校外の教育費が嵩む(かさむ)ばかり。子どもの教育にお金がかかり過ぎるからと子どもを産むことに消極的な家庭も増え、少子化に歯止めがかかりません。

 尹大統領としては、少子化に歯止めをかけるためにも子育てにかかる教育費の負担を軽減したいところ。これが塾に行かずに高校できちんと学んでいれば解ける問題を出せ、という指示につながったのです。

 でも、今年の11月の試験まで、指示が出た時点では残り5カ月。そんなに短期間で試験問題が作れるのかと疑問視する声も上がっています。

 こうした「難問」は、かつての日本でも大きな問題になっていたことがあります。それは戦後1978年まで実施されていた国立大学の一期校と二期校の区分けです。一期校は旧帝国大学や戦前から存在した伝統校が多く、二期校は戦後に新設された大学や単科大学が中心でした。一期校は総合大学が多く、一般教養を担当する先生も多く在籍していたので、多数の先生によって問題の内容が検討され、高校の学習指導要領から逸脱することのない出題になっていました。

 しかし二期校は規模が小さく、問題作成を担当する先生も限られていたため、難問・奇問が頻出すると批判を受けていました。

共通一次で「良問」を

 そこで1979年から導入されたのが「国公立大学共通第一次学力試験」(共通一次)。大学入試センターに全国の大学から先生たちが集められ、試験問題が作られました。国立や公立大学を受験する生徒は、まず一次として共通試験を受け、それから志望校で実施される二次試験に臨む形にしました。これで、入試問題を作る先生が少ない大学でも、二次試験は少数の科目の試験だけで選抜できるようになったのです。

 共通一次は多数の受験生が受け、短期間で採点を終えなければならないため、マークシート方式が導入されました。このため「まぐれでも点数が取れる方式」などと批判されましたが、実際にはよく練られた問題が出題され、難問・奇問は姿を消しました。

 共通一次は、その後、大学入試センター試験、大学入学共通テストと形式を変え、私立大学も参加するようになりました。

 これで韓国のような「キラー問題」は出現しないで済みますが、それでも受験産業は隆盛(りゅうせい)を極め、学校外での教育費の負担は、やはり重いものになっています。

 また、試験問題の難易度を動かすことで、大学が求める生徒を合格させることができるのではないかと話題になったことがあります。それは2017年に実施された東京大学の二次試験で数学の問題が易しくなったことです。それまで東大の数学の問題はキラー問題ではないけれど、受験生がじっくり考えないと解けない難問として知られていました。ところが、この年は急に易しくなったというのです(いずれにしても私には解けませんが)。

 そこで東大が地方の公立高校の出身者を合格させようとしたのではないかという推測が広がったのです。

 というのも、東大の合格者は首都圏の中高一貫校の出身者が多数を占めるようになっていたからです。こうした学校の生徒は数学がよくできるため、東大は数学の問題を難しくして選抜していたと言われます。でも、こういう生徒ばかりでは学生の多様性が担保できません。数学の問題を易しくすれば、地方の公立高校出身者にもチャンスが広がるというわけです。中高一貫校の出身者には、受験勉強で燃え尽きてしまい、入学した後に伸び悩む学生も多いと言われます。その点、受験産業の手を借りずに勉強してきた地方の公立高校の出身者は伸びしろが大きいと言われます。東大は、数学の問題を易しくしたことで、そういう生徒に来て欲しいというメッセージを発信したのだと話題になったのです。

 しかし翌年は、いつもの難問に戻りました。結局、単に試験問題の作成に失敗しただけではないかという見方に落ち着きました。試験問題を作成するのがいかに難しいか、日本の経験が物語っているのです。

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