池上彰のそこからですか!? 第597回 2023/12/15

香港を捨てたアグネス・チョウ|池上彰

 香港の民主活動家の周庭(英語名アグネス・チョウ,周 庭(しゅう てい、(英: Agnes Chow Ting、アグネス・チョウ、1996年12月3日 - )氏が留学先のカナダで「香港には戻らない」との声明をインスタグラムで発信しました。香港の人は、中国名とは別に英語の名前を持っている人も多く、周庭氏も「アグネス・チョウ」の名前を使っています。これまで私も彼女に会ったときにはアグネスの名前で呼んできましたので、ここでもアグネスの名前を使います。

 アグネスに初めて会ったのは2018年6月のこと。テレビ東京の「池上彰の現代史を歩く」シリーズで香港の現代史を取り上げたときのことです。香港の民主化に取り組む彼女にインタビューし、スタッフとみんなで夕食を共にしました。

 彼女が日本語を流暢(りゅうちょう)に話すことはよく知られています。民主化運動に取り組み始めた頃には、日本語は覚束ないもの(おぼつかないもの)だったのですが、民主化運動について日本の人たちにも知ってほしいと日本語での発信を増やしているうちに、みるみる日本語が上達しました。

 それにしても、なぜ日本語を話せるのか。彼女に聞いたところ、「日本のアニメが大好きで、日本語も勉強したくなったから」とのことでした。なんと独学なのです。

 夕食の席で日本について話しているうちに、マツコ・デラックスのファンだと判明。本人はこれまで二宮和也のファンだと公言していたのですが、ほかにも推し(おし)がいたのですね。そこでマツコと電話で話せるようにとマツコの携帯に電話したのですが、本人が出なかったため、珍しい会話は実現しませんでした。

 アグネスが知られるようになったきっかけは、2014年9月に起きた「雨傘運動(あめかさうんどう)」です。

 イギリスの植民地だった香港が中国に返還されたときに、「一国二制度」の下で50年間の高度な自治が認められていました。その自治のひとつとして、香港の行政のトップである行政長官を選ぶ選挙は、2017年から18歳以上の香港市民が1人1票を行使(こうし)できる普通選挙として実施されることになっていました。

 ところが、2014年8月、中国大陸の全国人民代表大会の常務委員会が、行政長官選挙に立候補するには「指名委員会」の過半数の支持が必要で、その候補は2〜3人に限定すると決めてしまったのです。

 つまり、香港市民は1人1票で投票できるけれど、候補者は親中派が多数を占める「指名委員会」が決める仕組みにしたのです。「民主的な選挙を認めるよ」と言いながら、実際には中国共産党に忠実な人間を行政長官に選ばせる仕組みでした。

 このインチキな制度に学生たちが怒り、大規模な抗議行動を開始します。香港の中心部で学生たちが座り込むなどの抗議行動を始めると、警察は放水や催涙弾(さいるいだん)で学生たちを解散させようとします。学生たちは雨傘を使ってこれを防ぎ(ふせぎ)ました。この様子から「雨傘運動」と呼ばれたのです。このときの指導者の一人がアグネスでした。彼女は「民主の女神(めがみ)」と呼ばれる人気ぶりでした。

逮捕され消息が絶えていたが

 結局、この運動は尻すぼみになって終わりましたが、次に学生たちが立ち上がったのが2019年のことでした。香港で「逃亡犯条例」を改正する動きが出たことに対して学生たちが反対したのです。

「逃亡犯条例」の改正案とは、中国大陸やマカオ、台湾で容疑者とされた人物を香港で逮捕して引き渡しができるようにするというものでした。ところが、この改正案が成立した場合、香港で中国共産党を批判した人物を、中国が「中国の法律に違反しているから引き渡せ」と要求できるようになるのではないかという不安が広がったのです。

 この改正案に対する反対運動は香港で空前の規模となり、結局、香港政庁は改正案を撤回します。

 しかし、学生たちは、2014年に実現できなかった「真の普通選挙」の実現を改めて求め、抗議活動をエスカレートさせます。

 これに対し、中国は2020年6月、香港に対して「国家安全維持法」を制定します。香港政庁に反対する運動を取り締まることができるようにするものです。こうした法律は、本来は高度な自治を認められている香港が独自に制定すべきものでしたが、香港政庁が反対運動のために動揺しているのを見た中国が押し付けたものでした。これ以降、民主化を求める運動は徹底的に弾圧されます。アグネスも無許可のデモを組織したなどの公安条例違反罪(いはんざい)で逮捕・起訴されてしまいます。

 実は彼女は2017年までカナダ国籍を持っていました(ウィキペディアには英国籍を持っていたという記述がありますが、私がアグネスから直接聞いたところではカナダ国籍でした)。香港が中国に返還されたとき、多くの香港人が、いざというときに逃げられるようにと考え、取得が容易だったカナダ国籍を取得したのです。英国籍の取得を考えた人もいましたが、イギリスは香港を植民地にしていたのに簡単には国籍を認めませんでした。アグネスの親も家族でカナダ国籍を取得していました。

 しかし、アグネスは2018年に香港の議会である立法会議員の補欠選挙(ほけつせんきょ)に立候補しようと考えます。このとき「外国籍の人間は立候補できない」と言われてカナダ国籍を放棄したと私に語りました。背水の陣で臨んだのですね。

 ところが、いざ立候補しようとしたところ、「主張が香港基本法に反し、立候補の資格がない」と申請が却下されてしまったのです。

 このため逮捕・起訴されても守ってくれる国はありませんでした。

 アグネスは釈放された後、一切の発信をしていなかったため、どうしているのだろうとやきもきしていたのですが、なんとかカナダに留学し、事実上の亡命を果たしていたのですね。アグネスは、「香港は私の家です。香港が民主化されたら帰りたい」とも話しています。その日が来ることを願っています。