池上彰のそこからですか!? 第598回

「未承認国家」を行く

 国家とは何か。それを定義する「国家の三要素(ようそ)」というものがあります。まずは領土があり、国民がいて、主権があること。それはその通りですね。一方で、それに加えて、他国から国家として承認されて初めて独立国(どくりつこく)として認められることになります。

 では、「国家だ」と自称していても他国の承認がなければ、どうなるのか。これが「未承認国家」です。そんな不思議な「国家」である「沿ドニエストル共和国(えんドニエストルきょうわこく)」をテレビ東京のクルーと共に取材しました。この「国」に行くと知人(ちじん、知っている人。知り合い。)たちに言っても、「なに、それ?」という反応でした。知らない人がほとんどでした。そこで今回は、この不思議な存在を報告しましょう。

 そもそも「沿ドニエストル」というのが不思議な名前ですね。これはモルドバ東部を流れるドニエストル川(がわ)の沿岸(えんがん)の「国家」という意味です。

 モルドバは、もともとルーマニアの一部でしたが、ルーマニアは第二次世界大戦でドイツ側についてソ連と戦って敗北(はいぼく)。東部をソ連に割譲(かつじょう)する羽目になりました。これがモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国としてソ連を構成する15の共和国の一つとなりましたが、1991年にソ連が崩壊すると共に独立。モルドバ共和国となりました。

 モルドバの人たちはルーマニア語を話していましたが、ソ連のスターリンは、ラテン文字をロシア風のキリル文字に切り替え(きりかえ)、「モルドバ語」だとしてしまいます。

 ソ連時代、モルドバを流れるドニエストル川沿いには火力発電所や製鉄所(せいてつしょ)などが次々に建設されて工業地帯(こうぎょうちたい)となり、ロシアから大勢の人が労働者として移り住むようになります。ちょうどウクライナのソ連時代、東部の工業地帯にロシア人が多数移住してきたのと同様の構図です。

 ところが、ソ連末期(まっき)の1990年になると、モルドバがソ連からの独立の動きを強めるようになります。自分たちはルーマニア人だという民族意識が高まったからです。

 これに対し、今度はロシア人が多く住む東部が反発。「沿ドニエストル共和国」としてモルドバからの分離独立を宣言します。モルドバはこれを容認せずに武力弾圧したため、軍事衝突が発生。すると、ロシア軍が介入して「沿ドニエストル共和国」を支援します。結局、ロシア軍に軍事力で敵わないモルドバは、1992年、しぶしぶ停戦に同意。現在の「国境線」が生まれました。いまも「沿ドニエストル共和国」にはロシア軍1500人が「平和維持軍」の名で駐留しています。

では、ここにどうやって入るのか。モルドバからの陸路(りくろ)がルートです。「国境」には数か所の検問所が設けられており、ここでパスポートを見せて「入国」するのです。

 但し(ただし)、パスポートにスタンプが押されると、モルドバから出国するときにモルドバが承認していない「国家」に勝手に入ったとしてトラブルになりうるため、「沿ドニエストル」側からは「入国」を認めるスタンプを押したシール(seal; (n) (2) sticker)が渡されます。「出国」のときには、このシールを見せるのです。

「ソ連」が残っていた

「沿ドニエストル」の「国旗(こっき)」には、ソ連時代の「鎌とハンマー」の印(じるし)が残っています。ソ連への郷愁(きょうしゅう)が強いのです。「国内」はロシア語だらけ。各所にロシア軍の基地が存在しています。

「ソ連にようこそ」という名前のソ連式レストランが存在していました。中に入ると、マルクス、レーニン、スターリンの肖像画が迎えます。結構な繁盛(はんじょう)ぶりでした。なんでこんなレストランを作ったのだと経営者に聞くと、「ここにソ連という国があったことを若い人たちにも知ってもらいたいからだ」とのことでした。

 多くの人々は、「ソ連が崩壊して競争社会が生まれ、所得格差が激しくなった。みんなが平等でアクセク(busily)働かなくても社会保障が充実(じゅうじつ)していたソ連時代が懐かしい」というのです。これも現実です。

 この「国」の人口は約46万人。自称「首都」はティラスポリです。驚くのは、首都の中心部にレーニン像が立っていたことです。ソ連時代、各地にロシア革命の指導者レーニンの像が立っていましたが、ソ連崩壊と共にほとんどが引き倒されました。それが残っているのです。

 この「国」は、独自の政府、議会、警察、軍隊を持ち、独自の通貨「沿ドニエストル・ルーブル」を持っています。この通貨はモルドバでは使えません。

 それにしても、どうして経済的に存続できているのか。そこには不思議な構造がありました。ロシアはこの「国」を国家として承認していませんが、天然ガス(てんねんがす)を無償で供給(きょうきゅう)しています。「国」は、これを火力発電(かりょくはつでん)の燃料として使用。作った電力を、なんとモルドバに売っているのです。モルドバが電力の購入代金を払うため、「国」は経済的にやっていけるというのです。対立しているようで、持ちつ持たれつの関係なのですね。

 この「沿ドニエストル」が注目されるようになったのは、去年2月にロシアがウクライナに侵攻したから。当時、ロシアのプーチン大統領の盟友のベラルーシのルカシェンコ大統領が、ロシア軍の進軍の計画を政府首脳に説明している内容がテレビで放送されました。その地図には、モルドバをロシア軍が攻撃予定であるかのような表記があったのです。

 ロシア軍はウクライナ南部の黒海沿い(こっかいぞい)を攻撃し、あと少しでオデーサを占領できるところまで来ています。もしオデーサを占領したら、そのすぐ西の「沿ドニエストル共和国」とつなげたいという思惑があるのではないかと考えられました。

 こうすれば、ウクライナは黒海から切り離された内陸国になり、経済が衰退。ロシアに対する脅威がなくなるというわけです。

 こうなると、ロシア軍がいつモルドバに侵略してくるか。それに備えるにはどうしたらいいのか。モルドバは戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていました。

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ランスニストリア(Transnistria)、沿ドニエストル(えんドニエストル、Transdniestria、Pridnestrovie)、公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(えんドニエストル・モルドバきょうわこく、ロシア語: Приднестровская Молдавская Республика; ルーマニア語: Република Молдовеняскэ Нистрянэ[注釈 1]、ウクライナ語: Придністровська Молдавська Республіка)は、東ヨーロッパにある事実上の独立国家。モルドバ東部を流れるドニエストル川と、モルドバとウクライナの陸上国境とに挟まれた南北に細長い地域に位置する。首都はティラスポリ。ロシア連邦の支援を受けているものの、国際的にはほとんど承認されておらず、モルドバの一地域として広く認識されている。

本記事では原則として、事実上の独立国家については「沿ドニエストル(共和国)」、地理的な範囲については「トランスニストリア」と呼ぶこととする。

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