西浦 博(にしうら ひろし、1977年 - )×池上 彰
池上彰のそこからですか!? GWスペシャル対談 2023-04-30
コロナは本当に終わったのか
コロナ禍が始まった2020年、接触8割減を提案した「8割おじさん」こと西浦教授。今では世間は収束したかのようなムードだが、今後どうなっていくのだろうか。この3年間で得た知見(ちけん)をもとに、池上彰氏と語り尽くす。
池上 新型コロナウイルスの感染者数は、今年に入って減少傾向です。世の中には「ようやく収まったんだね。ああ、よかった」と浮かれたムードもあります。
西浦 いえ、コロナは終息していません。今後も再感染や、未感染の高齢者などが初めて自然感染するような流行を繰り返し、徐々に先細りしながら常在化していきます。ヨーロッパやアメリカなど常在化のプロセスに入っている国々と行き来する環境に戻った以上、日本でも常在化させる以外に選択肢がないんです。
- 池上
- いわゆるウィズ・コロナですね。
- 西浦
- 日本の免疫状態を献血などのデータから見ると、英国の去年2月くらいに相当します。英国はその後、大きな感染の波を3、4回経験して、常在化に移るまでの間に多くの高齢者が亡くなっているんです。必ず同じ道を辿るとは言えませんが、日本にもリスクはあるわけです。
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池上
- マスクの着用について、3月13日から個人の判断に委ねられました(ゆだねられました)。
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西浦
- 着用の緩和は、ひとつの失敗だと思っています。予防効果が証明されていますし、日本人の免疫状態はマスクの着用が求められている段階です。また、マスクを着用することで、経済が痛むといったマイナスがない、つまりトレードオフがない。なのに、なぜ、ここで自ら捨てるのか。僕は専門家の会合でも、「オペレーションをやっている人たちが、カッコつけたいだけじゃないですか」と、叫ぶように反対意見を言わせていただきました。
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池上
- 専門家からすれば、「外していいというエビデンスはない。これはあくまで政治判断だ」ということですね。さらに政府は5月8日から、感染症法上(かんせんしょうほうじょう )の位置づけを季節性インフルエンザと同じ五類に変更します。これも、19日から始まるG7広島サミットを睨んだ政治的判断でしょう。
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西浦
- 僕が問題意識をもっているのは、政府や行政からじゅうぶんな説明がないことです。「英国のような完全緩和に移ると、これぐらいの被害が想定されます」とか、「医療に一定のインパクトはかかるけれども、このままでは社会活動がもたないので緩和を決断しました」といった、システマティック(systematic)な説明がなされるべきです。
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池上
- この先も油断は禁物(きんもつ)ということですね。
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西浦
- その通りです。
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池上
- そもそも西浦先生は理論疫学者で、「感染症の数理モデルを利用した流行データの分析」が専門です。2020年1月にコロナの国内感染が始まると、翌月から厚労省クラスター対策班の一員になりました。そして、1回目の緊急事態宣言が4月に出される前から、「人との接触を8割削減する必要がある」とおっしゃっていましたね。しかし、安倍晋三総理(当時)が記者会見して、「最低7割、極力(きょくりょく)8割」と訂正しました。政治家の立場で経済への悪影響(わるえいきょう)を考えて、値切ったのかなと思いました。
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西浦
- サイエンスに基づく提言を取り込んでくださったことには、安堵する気持ちでした。僕たちはさまざまなシミュレーションを行なって、「8割削減なら感染者数は1カ月で減るが、7割だとかなり時間がかかる」という結果が出ていたんです。ところが内閣官房(ないかくかんぼう)の誰かにより、「7割削減」と書き換えられてしまいました。それを分科会会長の尾身茂先生が、「極力8割」まで押し戻してくださったんです。
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尾身茂氏(おみ しげる,1949年6月11日—) - その後の専門家と政府との軋轢(あつ‐れき)や、泥縄式(どろなわしき)にバランスを取らざるを得ない政府のやり方の問題点が、凝縮されて最初に見えたのがあのときだったと感じます。
- 池上
- 西浦先生には「8割おじさん」というニックネームが付きました。
あの記者会見は残念だった
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西浦
- ポップ(popularの略から)な名前だったのはよかったなと思っていますけれども、人前に出るのはあまり得意ではないほうです。僕自身にとっても、この3年は特別でした。普段の物事が完全に吹き飛んで、ほぼ100%コロナに対し奮闘してきました。いまでも要対応メールが1日に5000通から1万通ぐらい来て、処理しきれません。
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池上
- エーッ、そんなに。
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西浦
- 他の人にも手伝ってもらいながら見ています。レジリエントな((resilience, 回復力のある)精神という面での適性はないけれど、どんな濁流が来てもなんとかギリギリ前を向いて立ってこられたかな、と思っています。
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池上
- 最初の頃はずっと厚労省の庁舎に詰めていたためご自宅へ帰れず、奥さんに洗濯物を送って、着替えを送り返してもらっていたそうですね。
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西浦
- はい。虎ノ門(とらのもん)のビジネスホテルに5カ月近く泊まり込み、1週間から10日ごとに段ボールのやり取りをしました。小さい子どもが3人いるのですが、届いた段ボールに手紙が入っていて「あんまり無理するなよ」とか書かれているんです。家族って大事なんだな、と実感しましたね。
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池上
- 西浦先生は「8割削減」の直後にも、「対策をまったく取らなければ、国内で約85万人が重症化し、その半分が死亡する恐れがある」と警告を発して、世の中に大きな衝撃を与えましたね。「外出自粛に代表される行動制限によって被害を軽減できる」と説明したにも関わらず、また数字だけが一人歩きして「必要以上の恐怖を与えた」と批判を浴びました。一方で、「勇気を出して呼びかけてくれたからこそ、感染拡大を抑えられた」という評価もあります。
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西浦
- いまようやく言えますけれども、一介の研究者としてあの発言をしたことは、決して正しいやり方ではありませんでした。
- 政府は当時、流行リスクを正しく評価できていなかったし、行政は政府の顔色を窺わなければいけないのが日本のメカニズムです。けれども緊急事態宣言に踏み切る理由として、クラスター対策班で計算した被害規模を発表しないわけにはいきません。どうしてもやらざるを得なかったのが、あの会見でした。残念だったなと感じています。
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池上
- 「残念だった」とおっしゃるのは、あのような形で発表せざるを得なかったからですか。それとも、何かコミュニケーションギャップがあったという意味でしょうか。
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西浦
- コミュニケーションギャップがあったのはその通りですけれども、あの話は絶対に、総理大臣が発表して、質問が出たら科学者が横で説明を加える形でやるべきでした。その体制を作れなかったために、ザワザワとした騒ぎが起こったわけです。
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池上
- アメリカでは当時、トランプ大統領が会見する横に国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長がついていて、トランプさんがとんでもない発言をするたびに「それは違います」と割って入っていました。
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米ファウチ博士
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西浦
- ファウチ先生は尊敬する先輩ですので、いつも「頑張れ」と思って見ていました。
- 日本では尾身先生を始めとする先輩方が、流行制御と政治行政の間を立派に調整されました。大阪から第四波が発生した際など、僕は「対応が遅い。『何をやってるんだ。命の問題だぞ』と叫ばなければいけないときですよ」と暴発しそうになったんです。けれども尾身先生はクレバーですから、「いや、そうじゃない。政治とは手を組んでいくんだ。効果が上がったら政治の手柄にすることで、日本の対策は成り立っているんだ」と諭されました。
- 尾身先生は臨時科学顧問的な役割を果たされて、政府と手を組みながら対策を進めることに一定の成功を収めました。ただ、その反動として、政府を正面から批判できませんでしたよね。
日本の制度の問題点が凝縮(ぎょうしゅく)
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池上
- 確かにそうでした。
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西浦
- ファウチ先生の姿には、僕を含む現在の専門家が次の世代に残してしまった日本の制度の問題点が、凝縮されていたと思います。
- 英国では僕の先輩が、英政府が行なったロックダウンを分析して、科学雑誌『ネイチャー』に論文を載せました。「あと1週間早かったら、2万人が助かったのではないか」と、疑問を呈しているんです。実は僕らの手元にも、日本の感染経過を分析したデータがあります。研究成果をどんどん発信し、オープンサイエンス((英: open science)とは、研究者のような専門家だけでなく非専門家であっても、あらゆる人々が学術的研究や調査の成果やその他の発信される情報)にしながら、政治と一定の距離をもつことは、日本のように政治に対策をお願いしている体制では成し遂げられなかった課題です。
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池上
- 1年延期されて21年夏に開かれた東京オリンピックを巡っては、政府とどんなやり取りがありましたか。
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2021年夏東京五輪の開会式
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西浦
- 実施される場合や、有観客と無観客との違いなどのシミュレーションを元に、議論を行ないました。スタジアム内での伝播(でんぱ)自体はあまり心配ないのですが、開催に伴う世の中の雰囲気に、専門家としては恐怖を感じていました。
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池上
- 業を煮やした尾身先生が、6月に「普通は(開催は)ない。このパンデミックで」とおっしゃって、政界から「開催の可否は政治家が決めることだ。学者は口を出すな」といった批判を受けましたね。
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西浦
- 専門家が気づき始めたのは、中止や再延期がないことは政治的に決定済みなんだということでした。厚労省や分科会の会議で「こういうリスク評価の分析をしました」と報告しても、「その資料はペンディングで」と指示されました。僕は21年6月のアドバイザリーボードの会議で「オリンピックのリスクについていまこの場で話し合ってないというのは、みんな異常ですよ」と話したんですが、厚労省は静観でした。また、五輪担当大臣や菅義偉総理(当時)に近い議員から一日に何度も電話を受けて、圧力を感じたメンバーもいました。
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菅義偉前総理
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池上
- 振り返れば、20年3月に始まった第一波から今年1月に終わった第八波まで、大きな流行が繰り返されました。その間に、東京などには緊急事態宣言が4回発令されました。あるいはGo Toキャンペーンを始めて止めたりと、いろいろな局面がありましたね。最も危機的だったのは、どの時点でしたか。
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西浦
- ずっとヒヤヒヤでしたけれども、最も危機的だと感じたのは、まさにオリンピックが開かれていた21年の8月です。年初から変異株のアルファ株が出てきて、次のデルタ株では若い人も肺炎を起こして死んでしまうケースも稀ではなかったんです。社会経済活動とのバランスを取りながら流行対策を続けてきたのに、変異株への対策が難しくなった厳しい時期でした。
- 感染爆発と大量死を避けるという命題の下、1人2回のワクチン接種が終わるまで、緊急事態宣言や蔓延防止(まんえんぼうし)等重点措置を出して感染者数を減らすという時間稼ぎをしました。あの時期には、もしかしたら感染爆発を避けられないかもしれないという危機感が、強くありましたね。
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池上
- 21年2月から始まったワクチン接種は、あの頃になると毎日100万人ずつが受けていました。
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西浦
- ダイナミックなスピードでした。ワクチン接種があと数週間遅かったら、人口の半分ぐらいが感染して数十万人が亡くなっていたと計算しています。現在、研究テーマとして検証作業を続けていて、数値に基づいて確実にそう言えます。国民の皆さんに肌で感じてもらうことができないのは、次の危機管理を考える上でとてもマイナスです。
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池上
- この3年間を、どう総括されますか。
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西浦
- 「最悪の想定」に比べれば、大量死を避けることができました。他の先進国よりも被害を制御(せいぎょ)できたのは、国民の皆さんが接触の削減も含めて努力し、高齢の方々を中心に現在も自粛を続けている効果です。こうした日本の社会であったから、対策がうまく機能したんです。率直に感謝したいです。
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池上
- いまも街では、多くの人がまだマスクを付けています。
人出はコロナ前に戻りつつあるが…
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西浦
- 科学的なエビデンスがない中で政治主導で判断された緩和だと、知っているからでしょう。個人が自分の考えで緩和と向かい合えるところまで来たのは、専門家として感無量です。
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池上
- 日本では、みんながマスクをしているから自分もする。みんなが外すなら、目立つのが嫌だから外すという同調圧力が働きます。個人で考えるようになったのなら、前進ですね。
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西浦
- すべての流行対策を専門家に丸投げせず、各人(かくじん)が思考停止しないという意味で、社会が一歩成熟したんだと捉えています。
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池上 しかしこれから五類になると、普通の内科や呼吸器科をコロナの患者が訪れます。医療体制は大丈夫でしょうか。
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西浦
- 新たにコロナ診療を始める医療機関は、残念ながら少ないでしょう。コロナ専用ベッドを確保していた病院も、補助金が出なくなるという理由で通常のベッドに戻していく動きが、水面下で始まっています。
- したがって、これまで診療してくれていた医療機関の数が若干減る状態になると思います。一気に緩和が進むと流行の規模が大きくなりますから、これまでのようには受診や入院ができなくなる恐れがあります。
とても難しいフェーズに入った
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池上
- そうなると、私たちはどのような心構えをもつべきでしょうか。
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西浦
- この緩和は国民にとって、マインドセット(マインドセット(mindset)を直訳すると人の考え方や好み、習慣ですが元々は心理学の用語で人間が持つそれぞれの「無意識の思考・行動パターン」「固定観念や思い込み」「物事を捉える時の思考の癖」を意味する言葉です。無意識の思考パターン)を変えなければいけない壮大な課題です。コロナが日本社会に突き付けたのは、「病気になったら医者に診てもらえるのが当たり前という常識は、もはや通じない」という現実でした。
- これから向かっていこうとする緩和後の社会では、短期であるにせよ、その現実にいっそう直面せざるを得ません。あと数回の流行リスクを受け入れる代わりに、社会経済活動と自由を手に入れるという決断をしたことを、みんなで理解する必要があります。
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池上
- 国民一人一人のマインドセットが、問われているわけですか。
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西浦
- とても難しいフェーズに入ったと思います。本当はその点を、政府に説明していただきたいんです。医学の専門家には、あまりにも重いテーマです。
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池上
- 「政治の責任で国民に覚悟を求めるんだ」と、わかりやすいメッセージにして発するべきですね。
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西浦
- そう思っています。ワクチン接種が一通り終わったあと、21年末にオミクロン株が登場して、世界中でゲームチェンジが起こりました。同じように、より毒性の高い変異株の生じる可能性が一定の度合いで残っていることを、僕は心配しています。そうなったとき、法制度上の取り扱いや行動規範をどうするのか。
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池上
- いま私が気になっているのは、世界中でまん延している鳥インフルエンザなんです。哺乳類への感染が各地で広がっていますし、カンボジアでは11歳の女の子が亡くなりました。
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西浦
- 今回の鳥インフルについては、僕も考えを変えざるを得なくなっています。皆さんに理解していただきたいのは、今回のコロナ以上の毒性のものもそれ以下のものも含めて、自然界にはたくさんの病原体がある、という事実です。
- 相当な準備をしておかないと痛い目を見ることを、我々はこの3年でじゅうぶん学んだはずです。政府、国民、専門家それぞれの立場で、“想定外”をなくす備えをしなければいけないと強く思います。
(にしうらひろし/1977年生まれ。京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻教授。北海道大学教授などを経て、2020年より現職。編著書に『感染症流行を読み解く数理』。)
(いけがみあきら/1950年生まれ。ジャーナリスト。2005年にNHKを退局してフリーに。著書に『独裁者プーチンはなぜ暴挙に走ったか』など。)