池上彰のそこからですか!? 新春スペシャル対談 飯塚正人(いいづか まさと ) 池上 彰 2023/12/28
イスラエル・ハマス問題『宗教戦争』という危ういデマ|飯塚正人×池上彰
飯塚正人 (いいづかまさと/1960年生まれ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。専門はイスラーム学、中東地域研究。2008年より現職(15年〜19年は所長)。著書に『現代イスラーム思想の源流』など。寄稿、メディア出演、番組監修多数。)
池上彰(いけがみあきら/1950年生まれ。ジャーナリスト。2005年にNHKを退局してフリーに。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授などを務める。著書に『池上彰の「世界そこからですか!?」』『昭和の青春 日本を動かした世代の原動力』ほか。)
依然、凄惨な紛争が続く今回のハマス・イスラエル軍事衝突。「複雑さ」ばかり強調される中東問題だが、果たしてその実態と解決の道筋は。池上彰氏と中東地域研究の第一人者、飯塚正人・東京外国語大学教授が徹底解説。
池上 私が出演する『池上彰のニュースそうだったのか!!』(テレビ朝日系)で中東やイスラムを扱うときに間違いが起こらないのは、飯塚先生に監修をお願いしているおかげです。いつもありがとうございます。
飯塚 いえいえ、とんでもない。私がやっているのは「池上さんのお話に続くナレーションとテロップを少し直さないと、誤解を招きますよ」といった程度です。
テロップは、テレビや映像制作において画面上にテキスト情報を表示する手法です。 テロップは一般的に画面の上部や下部に短い文章をスクロールさせる形で配置され、視聴者に迅速に情報を伝える役割を果たします。 その特徴的なスタイルと目立つデザインにより、情報を引き立たせ、重要な点を視覚的に強調する効果があります。
池上 とかく「中東情勢はわかりにくい。パレスチナ問題は特に難しい」と言われます。今回のイスラム武装勢力ハマスとイスラエルの軍事衝突についても、なぜこれほど犠牲者を出しても終わらないのか、理解できないという声を聞きます。
飯塚 最も大きな誤解は、「パレスチナ問題は、ユダヤ教対イスラム教の宗教戦争だ」という説です。専門家にさえそうしたデマを流す人がいて、「宗教の対立だから解決しようがない」と言うんです。
池上 実態は、パレスチナの土地は誰のものかという争いですよね。それがたまたま表層的に、ユダヤ対イスラムに見えてしまう。土地争いだとはっきりさせれば、話し合いによる解決の道筋が、全くないわけではありません。
飯塚 イスラエルはガザ地区を50年以上占領していますが、特にここ十数年は周りに高さ8メートルもの壁を作って囲み、人々の生活を破壊しておきながら、ガザの面倒を見るのはハマスだと放置してきました。
池上 私は2013年に取材に行きましたが、インフラが貧弱で実に悲惨な生活環境でした。「天井のない牢獄」と呼ばれる所以(ゆえん)を実感したものです。イスラエルは「あとは勝手にやっとけ。我々は責任を持たないぞ」というやり方をとっていたら、今回のような事態を招いてしまったんですね。
飯塚 非武装の市民を多数殺害したり、女性や子どもを人質として連れ去るなど、ハマスが今回行なった蛮行は擁護のしようもありません。けれども、そこを問題のスタート地点と捉え、イスラエルの報復に正義があると考えたら、理解を間違えてしまいます。
池上 発端まで遡れば2000年前の話になってしまいますが、1948年にイスラエルが建国されたのは国連決議に基づいていました。周りのアラブ諸国がこれを認めずに攻撃を仕掛けた結果、イスラエルが勝って、認められた場所以外まで占領してしまった。同時に、70万人のパレスチナ人が住処(じゅうしょ)を追われて難民になりました。問題はそこから始まったわけですね。
飯塚 ただし、1967年の第三次中東戦争で占領したヨルダン川西岸とガザ地区以外はすでにイスラエルの領土だと、世界が事実上認めていると思うんです。一方で、ヨルダン川西岸とガザに関しては、国連安保理で即時撤退を求める決議が出ているのに、イスラエルは従いません。
イスラエルはその後、両地区のパレスチナ人を些細な(ささいな)理由で逮捕・拘留したり、射殺したりしてきました。誰がテロリストかというのは、実際にテロを行なう瞬間まで誰にもわからないわけですよね。ですから射殺してしまっても、「あいつはテロリストだったんだ」と言えば済んでしまう。恐ろしいことです。
池上 それで言うと、今回イスラエル側が釈放したパレスチナ人の中に、イスラエル軍に石を投げただけで長期拘留されていた子どもがいました。この程度の罪でずっと捕まっていたのか、と驚いてしまいます。
飯塚 1993年のオスロ合意でパレスチナ自治政府ができたことで、イスラエル側が簡単に人の命を奪えるようになった面もあります。それまでは難民キャンプから石を投げていただけのパレスチナ人が武器を手にしたため、「相手も武器を持ったのだから、こっちも武器で応じて当然」と正当化できるようになったんです。
池上 オスロ合意には明るい兆しを感じたものですが、30年たったんですね。
飯塚 パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とイスラエルのラビン首相が、お互いの存在を承認したのに、やはり折り合えませんでした。
池上 アラファト、ラビン、イスラエルの外相ペレスの3人は、翌年のノーベル平和賞を受賞。しかしラビン首相は、ユダヤ教徒の青年に射殺されてしまいました。
飯塚 その後の状況は悪くなる一方です。パレスチナ問題は、どんどん想定外の方向へ進んでしまうんです。
ある意味で“世界最強国”
池上 イスラエルには「今回の攻撃はイスラエルという国ではなく、ユダヤ人が狙われたんだ。1日に1200人も殺されるのはホロコースト以来だ」という危機意識があります。
飯塚 自国への攻撃とユダヤ人に対する殺戮を、意図的に混同させている面があると思います。「パレスチナ人はナチスと一緒だ」という主張もしていますが、パレスチナ人はヨーロッパで起きたホロコーストに何の責任もありません。
池上 ホロコーストを防げなかった、あるいは見て見ぬふりをしたドイツやフランスを始めとする国々には、ある種の贖罪意識(しょくざいいしき)があるので、イスラエルに強く言えない状態になっています。アメリカも同じです。うっかり批判すると「反ユダヤ主義だ」とバッシングを受けてしまう。イスラエルへの批判はイコール反ユダヤ主義ではないのに、難しいところです。
飯塚 結果としてイスラエルは、一切の批判を許さない、ある意味で世界最強の国になっています。
池上 イスラエルの言い分はそれとして理解もできる一方、ガザへの報復であれだけ多くの民間人が亡くなっているのを見ると……。
飯塚 おっしゃる通り、あまりにも酷い。ハマスをせん滅するためなら、どれだけの犠牲が出ても構わないという攻撃です。誰が戦闘員かわからないという理由でしょうし、ハマスをのさばらせてきたのはパレスチナの一般市民の責任だという理屈もあるでしょう。
しかしやりすぎることによって、イスラエル自身が新たな反ユダヤ主義を生み出してしまいかねません。国外にいるユダヤ人への迫害やテロが懸念されます。
池上 国際世論にも、さまざまなハレーションが起こっています。
飯塚 ホロコーストに直接絡んでいない国やグローバルサウス(主に南半球の新興国・途上国)の国々には、罪の意識がないせいもあるのでしょう。南アフリカ共和国などは、イスラエルの主張はおかしいと言っています。「不当に占領し続けている場所で、そこに住む人たちからの抵抗に対して自衛権を主張するなんてあり得ない」という議論を始めているんです。
これから先、世界は様々に分断されていくかもしれませんが、今回の事態で北と南の違いが顕在化してきたような気がします。
池上 アメリカの大統領選挙にも、影響が出るでしょう。トランプ前大統領はイスラエルべったりだし、バイデン大統領も一応イスラエル寄りだけれど、民主党の支持者の中には反発もあります。来たるべき選挙で「トランプには入れないけれどバイデンにも入れたくないから、棄権する」という人が増えたら、結果的に民主党の票が減って、トランプ前大統領が当選してしまう可能性が高まります。
飯塚 毎回注目されるフロリダなど、ユダヤ系の票が多い州もありますからね。
テロか正当な抵抗運動か
池上 メディアが使う「ガザ地区を“実効支配”しているハマス」という言い方にも、説明が必要ですね。
飯塚 2006年にパレスチナ自治政府が国会にあたる立法評議会の選挙を行なったところ、ハマスが過半数の議席を取りました。すると国際社会は「ハマスは自爆テロをやるテロ組織だから認められない」と言い出しました。だったら選挙をやる前に言えばよかったのに、まさか勝たないだろうと思われていたんです。
池上 ヨルダン川西岸ではPLOの主力だった穏健派のファタハがハマスを追い出し、ガザ地区では過激派のハマスが銃撃戦の末にファタハを追い出して、現在に至ります。そのあと選挙は行なわれず、2018年には立法評議会自体が解散。選挙によるハマスの任期は切れていますから、正当性は失われています。なので“実効支配”と言うわけです。
ハマスが行なってきたテロ行為は、イスラムの考え方として認められるのでしょうか。
飯塚 これも誤解が多い点ですが、イスラム教徒のやることは全てイスラムの教えに基づいている、と思い込まれている節があります。すると、テロが起これば「イスラムは危険な宗教だ」という決めつけになってしまいます。教えに基づいてテロを行なっているとしたら、20億のイスラム教徒が全員テロリストにならなければおかしいですよね。
池上 アメリカでも、中絶を認めているクリニックを襲撃するキリスト教徒がいて、聖書に基づいていると主張します。しかし、キリスト教徒がみんなテロリストではありません。
飯塚 ハマスが自らを正当化するためにジハード(聖戦)を持ち出しても、すべてのイスラム教徒が賛同しているわけではありません。
池上 しかし周りのイスラム諸国は、消極的にではあるにせよ、ハマスを支持しています。どういう理屈でしょうか。
飯塚 パレスチナ人が住んでいた土地を追われて、ガザでは過酷な生活を数十年も強いられてきた。それに対して戦うのは自衛だという支持、ないし同情があるのは確かです。
2004年と少し古いのですが、ヨルダン大学の戦略研究所が行なった「アラブの街角再訪 内側からの調査」という世論調査があります。エジプト、シリア、レバノン、ヨルダンのアラブ4カ国とパレスチナで、ハマス、ヒズボラ、イスラム聖戦、アルカイダなどについて「この組織をテロリストだと思いますか。それとも正当な抵抗運動だと思いますか」と尋ねたんです。
アルカイダについては、評価が二分しました。しかしハマスやヒズボラがテロリストだと答えた人は、キリスト教徒が多いレバノンで少し数字が上がりますけれど、他の国々では1%から3%にすぎません。
池上 かなり低いですね。
飯塚 逆に80%を超える人たちが、「合法的な抵抗運動だ」と答えました。むしろ「イスラエルによる罪のない市民の殺害が、最悪のテロだ」と考えられています。20年後のいまも、この認識はあまり変わっていないと思います。
池上 今回ハマスが攻撃を仕掛けた背景には、サウジアラビアがイスラエルとの国交を正常化しようとしていることに対する焦りもあったでしょうね。
飯塚 サウジがイスラエルと国交(こっこう)を結んでしまったら、アラブの国々は右へ倣え(ならえ)になる可能性が高いです。ハマスにとってもガザ地区の住民にとっても、同じアラブ民族から見捨てられるという絶望感は強かったに違いありません。
イスラムの聖地メッカとマディーナを抱えているサウジがイスラエルと国交を結ぶなんて、以前は考えられませんでした。そうした動きが現実になること自体、ユダヤとイスラムの間に宗教戦争など存在しない証しです。
池上 今回の戦闘がいずれ終わるとして、ガザをどうするのでしょうか。とても統治できないでしょうけれど、ファタハに任せるのか。イスラエルが占領を続けるのか。
飯塚 ファタハでは無理でしょうし、国連に即時撤退を求められているイスラエルが統治するのも、双方にとって不幸だと思います。
ヨルダン川西岸には聖地エルサレムがありますから、自国の領土だと思うイスラエル人は多いでしょう。しかしガザに関しては、欲しい気持ちはさほど強くないはずです。むしろヨルダン川西岸に加えてガザまで抱えてしまうと、220万人のパレスチナ人を追い出さない限り、ユダヤ人よりパレスチナ人のほうが多い国家になってしまいます。
池上 イスラエルのネタニヤフ首相は戦時内閣を作って、戦争のための予算を組みました。その中に、ヨルダン川西岸の入植地を新たに作る費用が計上されています。どさくさに紛れて入植地をさらに広げようとしているわけで、現在は野党を率いているガンツ前国防相などが怒っていますね。 イスラエルのネタニヤフ首相
飯塚 パレスチナとイスラエルの共存を考えると、ヨルダン川西岸地区に入植しているユダヤ人をどうするのかという問題こそ、いまとなっては深刻です。
池上 約200カ所の入植地があり、約50万人のユダヤ人が住んでいるそうです。2005年にイスラエルがガザ地区を放棄したときは、入植していたユダヤ人をイスラエル政府が追い出しました。国内では、かなり反発がありましたけれども。
飯塚 いまはヨルダン川西岸にも高い壁を作って、入植者を守っています。一転して彼らを追い出すことになったら、ネタニヤフ政権は持つかどうか。 問題の核心「完全比例代表制」
池上 この先はどうなるでしょうか。
飯塚 イスラエルは下手をすると、ガザからハマスのみならず、住民まで追放することを考えているかもしれません。パレスチナ人の行き先はエジプトしかありませんが、受け入れてもらえないでしょう。すると、とんでもない数の人間が死んでいくことになりかねません。国際社会はそれを止められないかもしれない。
あるいは、イスラエルの報復攻撃を支持した国々が、怒り狂ったイスラム武闘派のテロのターゲットになる危険性も出てくるでしょう。
池上 パレスチナ問題を、根本的に解決する方法はありますか。
飯塚 大変な遠回りに聞こえるでしょうが、一院制のイスラエルが完全比例代表制を変えなければパレスチナ問題は解決しない、というのが私の考えです。国民の意思にも関わりますが、この選挙制度こそイスラエルの内政の最も深刻な問題だからです。
池上 完全比例代表制だと少数政党が乱立して、連立を組まなければ政府が誕生しません。
飯塚 日本でこの制度に変更すると、自民党も3割くらいしか議席が取れない計算になります。
池上 現政権は、ネタニヤフ首相が率いる右派政党リクードだけでは組閣できずに極右と連立を組み、重要閣僚にも起用しました。元々右寄りのネタニヤフ首相ですから、「パレスチナ人は全て追い出せ」という強硬意見(きょうこういけん)に引っ張られます。
仮に、パレスチナと共存していこうと考える勢力と連立を組めば比較的温和な政権ができるし、極右を切り離して大連立ができればいまより穏当になるはずです。ところが現実には、なかなか難しい。
飯塚 イスラエルが自ら、この50年パレスチナでやってきた行ないを改める必要があるんです。しかし長年パレスチナ問題を見てきた立場からすると、国際世論がイスラエル政府に届いて事態を動かす可能性はまずないでしょう。それでも諦めたら終わりなのですが。