町山智浩の言霊USA 第683回 2023/07/29
Brown Paper Bag Rule(茶色の紙袋のルール)
6月29日、アメリカ連邦最高裁がハーヴァード大学などが黒人の入学を優遇(ゆうぐう)していたアファーマティヴ・アクション(差別是正積極措置、さべつぜひせっきょくそち)を違憲と判決した。それは去年、最高裁が人工中絶(じんこうちゅうぜつ)は憲法で守られる女性の権利「ではない」としたのと並んで、歴史を大きく逆行(ぎゃっこう)させる判決だ。
アファーマティヴ・アクションは1960年代に人種格差を是正するために始まった。この判決で黒人は再び負のスパイラル(ふの spiral)に陥ることが危惧(きぐ)されている。
違憲判断を下したのは最高裁判事9人のうち6人を占める共和党系の判事。その指揮をとったのは黒人判事クラレンス・トーマス((Clarence Thomas、75歳)。彼はアファーマティヴ・アクションを憎み続けた。
自伝によれば、クラレンス・トーマスは黒人のなかでも貧しく育った。トーマスの故郷の南部ジョージア州ピンポイントはアフリカから連行された黒人奴隷(どれい)が白人社会とあまり接触してこなかった地域で、今もガラ語という英語ベースのアフリカ由来の言葉が使われている。トーマスの母もガラ語しか話せなかった。
トーマスが幼い頃、父は妻子(さいし)を捨てた。ホームレスになったトーマス母子(ははこ)は母の父の農家( のうか)に引き取られた。しかし祖父は孫を愛さなかった。ベルトで鞭打ち(むちうち)ながら農場(のうじょう)で働かせた。
トーマスは学校に通い始めた。当時の南部では人種隔離されていたので黒人だけの学校だったが、黒人の子どもたちはブラウン・ペーパー・バッグ・ルールといって茶色の紙袋より濃い肌色(はだいろ)の同胞(どうほう)を蔑んだ(さげすんだ)。「肌の色が黒く、広がった鼻の私は揶揄(やゆ)されていじめられた」
そんなトーマスを受け入れたのはカトリックの教会だけだった。救いを求めてトーマスは高校で神学校(しんがっこう)に進学した。しかし、1968年、黒人差別の解消のために戦ったキング牧師(ぼくし)が暗殺されたニュースを観て白人神学生が「ざまあみろ(you deserve it )」と笑っているのを見て神父(しんぷ)への道にも失望(しつぼう)した。
それでも勉強ができたトーマスはカトリック系の大学ホーリークロス(College of the Holy Cross)に入学した。当初、彼は黒人解放運動の指導者マルコムXのポスターを部屋に貼り、デモにも参加したというが……。
今度は法曹(ほうそう)を目指して名門イエール大の法科大学院に入った。ほんのわずかの黒人学生は弁護士か医者か経営者の息子で、劣等感を抱いたトーマスは黒人学生とも友人になれず、いつも独りだった。
イエールを卒業してもトーマスをどこの弁護士事務所も採用しなかった。
彼はこう考えた。「どうせアファーマティヴ・アクションでイエールに入ったと思われたからだ」その考えには何の根拠もない。だが、彼はそう思い込んだ。それからアファーマティヴ・アクションを憎み続けた。
やっと彼を採用したのは、ミズーリ州の司法長官ジョン・ダンフォース(共和党)だった。保守的なダンフォースはアファーマティヴ・アクションに反対していたので、黒人でありながらそれに反対する稀有な存在であるトーマスを補佐(ほさ)に求めたのだ。
同じ理由で1981年に就任したロナルド・レーガン大統領もアファーマティヴ・アクションに反対だったので、アファーマティヴ・アクションを進める機関である雇用機会均等委員会の委員長に、それに反対するトーマスを任命した。
共和党には黒人は少ないので、トーマスはたちまち重要人物に駆け上がり、結婚した。白人女性ジニ・ランプと。
ジニはトーマスと正反対の女性だった。裕福(ゆうふく)な白人家庭に生まれ、家政婦や清掃人(せいそうじん)以外の黒人は見たこともなかった。
念願かなって「殺した」
しかもジニの両親はジョン・バーチ協会(John Birch Society)の会員だった。ジョン・バーチ協会は1958年設立(せつりつ)の極右反共団体(きょくうはんきょうだんたい)で、黒人解放運動は共産主義者とユダヤ資本と結託(けったく)しているという陰謀論を喧伝していた。おまけに母親はフィリス・シュラフリー((Phyllis McAlpin Stewart Schlafly)の支持者だった。シュラフリーは男女平等(だんじょびょうどう)に反対する女性運動家で、女性の就業を批判し、人工中絶に反対した。
大学を出たジニは首都ワシントンの共和党事務所で働いたが、上司に性的に攻撃され(詳細は不明)トラウマを負った。
しかし、彼女は共和党に幻滅したり、女性の権利に目覚めることはなかった。
その代わりジニはトーマスと結婚した。「黒人と結婚なんて!」両親は反対したが、2人は固く結びついた。黒人の権利を抑圧したい黒人と、女性の権利を抑圧したい女性の似たもの夫婦だった。
1991年、トーマスが父ブッシュ大統領から最高裁判事に指名された時、トーマスの部下の女性アニタ・ヒルが彼からセクハラを受けたと訴えた。ジニは直接ヒルに電話して黙るよう恫喝(どうかつ)した。ジニ自身セクハラの被害者だったのに。
そして現在、最高裁の最高齢判事になったトーマスは念願かなって、人工中絶の権利とアファーマティヴ・アクションを「殺した」。次に潰すのは同性婚と同性愛だと宣言している。
そんな夫婦はずっと億万長者(おくまんちょうじゃ)で共和党の巨額献金者ハーラン・クロウから莫大な接待を受けていたことがわかった。豪華なレジャー、トーマスの孫甥(まごおい、兄弟姉妹の孫にあたる男。⇔孫姪(うまごめい)の学費、数十万ドルもの贈り物……。
トーマスは接待を受けた事実を認めたが、最高裁判事は司法の独立を守るため、罷免できない。彼を罰する唯一の方法は議会による弾劾(だんがい)だけだが、それには下院の過半数が賛成して訴追(そつい)する必要があるため、共和党が過半数を占める現在、不可能。
白人からも黒人からも除け者(のけもの)にされてきた1人の男の怨念がアメリカの民主主義を解体し、それを誰も止められない。
- クレンス・トーマス
- クレンス・トマスの妻ジニ
- HarlanCrow
- マルコム・X
- 茶色の紙袋のルール