町山智浩の言霊USA 第691回 2023/09/30
Ordnung(オルドゥヌング:アーミッシュ(Amish)の秩序)
オハイオ州ジョン・グレン・コロンバス(John Glenn Columbus International Airport)国際空港から車で2時間くらい走って山の中に入っていく。深い森を抜けると、「アメリカのスイス」と呼ばれる美しい緑の丘が広がる。丘を行くのは黒い馬車。乗っているのはアーミッシュ。科学文明を拒否して17世紀の生き方を今も守り続けるキリスト教徒だ。
アーミッシュを生んだのは1440年ごろにドイツのグーテンベルクが発明した活版印刷(かぱんいんさつ)だ。それまで、本というものは手書き(てがき)写本(しゃほん)か木版印刷(もくはんいんさつ) しかなく、高価で希少だったうえにラテン語で書かれていた。だから聖書(せいしょ)を所有し、読めるのはローマン・カトリック教会の神父(しんぷ)だけだった。しかし、聖書がドイツ語に翻訳され、活版印刷で大量生産されると、ドイツ語圏で宗教改革(しゅうきょうかいかく)が始まった。人々は自分で聖書を読み、聖書にはバチカンの権威も、彼らが売っている免罪符(買うと天国に行けるとされた)も書かれていないと知った。「聖書そのものに立ち返ろう(すぐにかえろう)!」そう叫んでカトリック教会に反抗した人々はプロテスタントと呼ばれた。
オランダのプロテスタントとしてメノナイトというグループが生まれた。彼らは神以外の一切の権威を認めなかったので、カトリック教会と国家権力(この二つは癒着(ゆちゃく)していた)から徹底的に弾圧された。メノナイトからはさらに先鋭的(せんえいてき)なグループ、アーミッシュが生まれたが、彼らはいくら拷問され、虐殺されても抵抗しなかった。聖書の教えに従って暴力を否定しているから。
このままではフランスのプロテスタントのように追いやられてしまう……。ところが1776年にアメリカが独立した。憲法で政治と宗教の分離を唱えたアメリカは、あらゆる宗教の人々を移民として迎えた。メノナイトとアーミッシュはアメリカに渡った。いわば宗教難民だ。
斯くして(かくして)アメリカには現在38万人のアーミッシュがいて、そのうち8万人がオハイオ州に住む。特にベルリン村周辺はアーミッシュ・カントリーと呼ばれ、人口のほとんどをアーミッシュとメノナイト(Mennonite)が占める。基本的にスイス系なのでアメリカのスイスと呼ばれているわけだ。
スイスと同様に名産品はチーズ。スイスでしゃべっていた17世紀頃のドイツ語をアーミッシュ同士では話す。自分たち以外の人々をイングリッシュと呼んでいる。「英語を話す人」という意味で、アジア人の自分も彼らからするとイングリッシュになる。アーミッシュはアジアには興味がない。
アーミッシュは14歳までは学校に通うが、習うのは母語と算数だけで、理科も社会も学ばない。世界にどんな国があるか知らない。本は聖書以外、農業の本しか読まない。ラジオは聴かない、テレビは観ない。余計な知識で人は高慢になり神への敬意を忘れるから。
大学に行かないから医者はいない。病気や怪我は神の決めた運命だから、できるだけ逆らわない。保険にも入らない。避雷針(ひらいしん)もない。雷(かみなり)は神の裁きだから。
アーミッシュは厳しいオルドゥヌングOrdnung(ドイツ語で秩序)に従っている。服装はみんな同じ。男は普段は麦わら帽子、襟付きの木綿のシャツ、柄物(がらもの、patterned cloth)は禁止。ズボンは前にファスナーがない独特のもの。女性は長袖(ながそで)、裾は足首まで隠すワンピース。頭には白いボンネットをかぶる。アクセサリーは禁止。結婚指輪もしない。だが、既婚の男性はもみあげとあごひげを伸ばさないとならない。ただし、鼻の下のひげは剃る。口ひげは威厳、高慢さの象徴だから。
家には鏡がない。自分の見かけを気にするのも高慢さだ。写真も撮らない。家には家族写真や子どもの写真もない。もちろん化粧(けしょう)は禁じられている。子どもが遊ぶ人形には顔がない。おしゃれな着せ替え人形などもってのほか(とんでもないこと)だ。
300年前の生き方を続ける人々
このオハイオのアーミッシュ・カントリーを歩いていて気付くのは、まず、電柱がない。電柱があってもそれぞれの家に電線がつながってない。アーミッシュ家庭は電気の供給を受けないから。ガスも水道も使わない。水は井戸で地下水をくみ上げ、屎尿(しにょう)は農業に使う。電話はない。
アーミッシュ・カントリーにないものはもうひとつ、教会だ。教会の建物がないのだ。アーミッシュはキリストと同じく、信者の集まりこそを「教会」とする。具体的には、隔週の日曜日に各自の家が持ち回り(rotation)で教会になる。みんなが並んで座るベンチだけは必要なのでトレイラーで馬に曳かせて運ぶ。牧師はくじ引きで決まる。牧師は礼拝を司会するだけで、何の特権も報酬もない。カトリックのように教会や神父が権力になってはいけないから。
自分がアーミッシュの存在を初めて知ったのは1985年のハリウッド映画『刑事ジョン・ブック/目撃者』だった。アーミッシュの少年が目撃した殺人事件を捜査する刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)は、犯人たちに追われてアーミッシュの村で暮らすことになる。そこで、未亡人レイチェル(ケリー・マクギリス)と恋に落ち……。現代のアメリカに300年前の生き方を続ける人々がいるという事実は衝撃だった。
しかし、その『目撃者』も、もう38年も前の映画だ。いったい現在のアーミッシュはどうなっているのか。それが知りたくて自分は、BS朝日の番組『町山智浩のアメリカの今を知るTV』の取材で、オハイオ州のアーミッシュ・カントリーにやって来た。来て驚いた。
緑の丘を自転車で上り下りするアーミッシュの人々は、ほとんど全員が電動自転車に乗っている。アーミッシュの家の屋根にはソーラー・パネル。オルドゥヌングは変わったのか……。