町山智浩の言霊USA 第694回 2023/10/21

Even Better Than The Real Thing(むしろ本物よりも素晴らしい)

ラスベガスースフィア.png

 9月29日、ラスベガスに新しくオープンしたアリーナ「スフィア」に行ってきた。

 飛行機でラスベガスに近づくと、ザ・ストリップ(目抜き通り, (The Strip))に立ち並ぶ高層ホテルの合間に巨大な球体が見える。スフィア(きゅうたい)の高さは112メートル。世界最大の球形建築(きゅうけいけんちく)だ。その球体が地球や月や巨大な眼球になって瞬きする。スフィアはLEDスクリーンになっていて、ラスベガスの強烈な昼の光の下でもくっきりとヴィジュアルを映し出す。

 スフィアの内部は最大2万人収容のホールになっている。今夜、こけら落とし(杮落とし、こけらおとし、新築または改築した劇場の初興行(はつこうぎょう)。)としてU2のライブが行われる。

 中に入ると床から天井まで球形のスクリーンが視界のすべてを覆いつくす。スクリーンの大きさは1万5000平方メートル。もちろん世界最大だ。IMAX(大型スクリーンに映写する方式の映画)なんか目じゃない。

 しかし、開演前はそのスクリーンがむき出しのコンクリートの壁になっていた。まるで『未来世紀ブラジル』の拷問部屋のようだ(あれは廃炉になった原発の中で撮影)。

 あ、中央のステージにU2のメンバーが上がった。ギターの唸りで背後のコンクリートの壁に亀裂が走る(もちろんそんな映像)。壁が十字型に破壊され、そこにボノ、ジ・エッジ、アダムのクロースアップが映し出される。

 今回、ドラムのラリーの代わりにオランダ人のブラム・ファン・デン・ベルフが参加。ラリーは寄る年波(としなみ)でひざやひじが痛くてツアーをあきらめたとのこと。1976年、アイルランドのダブリンの中等学校でラリーが結成したバンドが後のU2。それから47年。まあ、ひざにもガタがくるわな。

 スフィアで驚いたのはスクリーンの大きさだけじゃない。音がいい! これくらい大きな会場だと遠くのスピーカーからの音がディレイ(遅延)して届くので音がダブってしまう。ところがスフィアではそれが一切無い。大きなスピーカーではなく、小さなスピーカーを会場全体に16万も設置する方式と、スクリーンが網目状(あみめじょう)になっていて余計な音を吸収することで、ディレイや反響を減らしているようだ。

「みんなー、どこにいるんだい?」ボノが呼びかけると2万人の観客は「ラスべガース!」と答えた。すると天蓋からラスベガスが降りてきた!

 正確に言うと、ラスベガスのホテルのネオンやカジノやルーレットやダイスなどの映像と、エルヴィス・プレスリーやプレスリーのコスプレしたニコラス・ケイジやシナトラやビヨンセや、ラスベガスっぽいゴージャスなハリウッド映画の断片を集めて神殿のようにコラージュした巨大曼荼羅としか言いようのないものが降りてきたのだ。平面ではなく3Dの立体映像。16Kで1秒間60コマの超精密映像なので実物にしか見えない。しかも実際にこの映像の大きさが100メートル以上あるのだ。

 中学生の時、テアトル東京のシネラマで『2001年宇宙の旅』のスターゲイトや『未知との遭遇』のマザーシップを見た時以来の衝撃。まるで宇治・平等院鳳凰堂の天蓋! ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画! バルセロナのサグラダ・ファミリア! でも、映し出されているのは天国ではなく、インチキきわまりないラスベガスの風景なのだ。

 その時、ボノが歌うのは「Even Better Than The Real Thing」(むしろ本物よりも素晴らしい)。この皮肉!

 スクリーンにラスベガスの夜景が映し出される。このスフィアの屋上から撮影した風景なので、壁が突然無くなったように感じる。その夜景も本物じゃなかった。ホテルは次々に解体され、ラスベガスはマフィアがカジノを建てる前の荒野に戻っていく。そして、ジ・エッジのギターから「Where The Streets Have No Name」(約束の地)が始まる。

思わぬ臨時収入で…

 この曲が収録されたアルバム『ヨシュア・トゥリー』(1987年)は、どこまでも緑の草原の国アイルランドで生まれ育ったU2がアメリカの広大な荒野を体験したことで作られ、全世界で2500万枚を売るメガヒットになった。どの収録曲を聴いても、地平線の彼方まで広がる荒野のハイウェイを疾走する気分になる。それを「現場」であるラスベガスで、バーチャルな荒野を見ながら聴くという倒錯(とうさく、上下を転倒すること。逆になること。)。

 スフィアではこのスクリーンのための専用カメラ「ビッグスカイ」が開発され、それで世界中の大自然を撮影した映画『地球からの便り』が公開中。スフィアの可能性は無限だ。すでにUFC(Ultimate Fighting Championship)がここで総合格闘技のイベントを行うと発表した。エンターテインメントのまったく新しい可能性が広がった感じだ。

 スフィアの建造費は23億ドル(約3400億円)。大阪万博の予算を軽く超える。チケットは平均400ドルだが、いい席は2000ドルを超える値がついている。ラスベガスへの往復航空券と1泊のホテル代がかかるのでけっこうな出費(しゅっぴ)だ。でも、その価値はあったよ。

 とはいえ、行こうと決意したのは、思わぬ臨時収入があったから。カリフォルニア州ではインフレによる物価高の補助金として、世帯年収に応じて給付金が出た。個人では合計1400ドル。夫婦で2800ドル(約42万円)が送られてきた。

 日本は給付については資格を絞り、めんどくさい申請手続きやらマイナカードやらを必要とし、事業を業者に委託して中抜きされ、結局わずかな額しか庶民に届かないけどね。

 ところで、この夜、U2は「I Still Haven't Found What I'm Looking For」(終りなき旅)を歌わなかった。このヒット曲のPVは36年前にラスベガスで撮影されたのに。やっぱ60歳過ぎて「僕はまだ自分が探しているものを見つけてない」とは歌えなかったのかな?