第680回 町山 智浩 2023/07/08

Implosion(爆縮)

 1912年、豪華客船タイタニック号がイギリスからニューヨークに向けて大西洋を航行中、氷山(ひょうざん)に衝突して沈没(ちんぼつ)、乗客乗員約2200人のうち半分以上が亡くなる史上最大の海難事故となった。

 そのタイタニックの残骸(ざんがい)を観に行くツアーの潜水艇(せんすいてい)タイタン号が6月18日から消息不明になったが、6月22日、米沿岸警備隊(べいえんがんけいびたい)は海中で潜水艇の破片(はへん)を発見したと発表した。

-タイタン号 タイタン号.png

 タイタンは爆縮 (ばくしゅく)Implosionした。水圧で、内側に向かって爆発 Explosionしたのだ。

 タイタン号には5人が乗っていた。まずこのツアーを主催したオーシャンゲートのCEO、ストックトン・ラッシュ氏(61歳)。それにフランス人のダイバー、ポール・アンリ・ナルジョレ氏(77歳)。1987年から35回も現場に潜って(もぐって)タイタニックの探査に身を捧げてきた彼は「ミスター・タイタニック」の異名を取る。

タイタン号-死亡の5人.png

 その他の乗客は大富豪だった。なぜなら、このツアーの参加費は25万ドル(約3570万円)だから。

 シャザダ・ダウッド氏(48歳)は、食料、繊維、肥料(ひりょう)、エネルギーなどパキスタンのあらゆる産業に広がるコングロマリットの経営者。彼は息子のスレマン君(19歳)を連れて参加した。伯母によるとスレマン君は乗り気(のりき)でなかったという……。

 ハミッシュ・ハーディング氏(58歳)は自家用ジェット機販売会社を経営する億万長者(おくまんちょうじゃ)で冒険家。今まで、世界で最も深いマリアナ海溝(かいこう)にも潜り、南極点に到達し、2022年には、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスが経営する民間宇宙ロケット観光のブルー・オリジンの宇宙船で大気圏外にも行っている。そっちの値段は280万ドル以上という。

 さて、ハーディング氏の妻にはブライアン・ザス氏(37歳)という連れ子がいた。継父(けいふ)が海底で行方不明になっていた6月19日、ザスはSNSに「ブリンク182のコンサートに行く」と書き込んだ。ブリンク182はザスが学生だった90年代に人気だったパンクバンド。それにしても継父の捜索の最中にRock Out(羽目を外して楽しむ)?

「たとえ大富豪でも家族に忘れられてるんじゃ悲しいわ。一文無しでも家族に愛されるほうがマシよ」

 インスタにそう書いたのは大物女性(おおものじょせい)ラッパー、カーディB姐さん。フォロワー数1億6000万人だからたまらない。ザスは全世界から「人でなし」と呼ばれた。

「ビッチめ!」

 ザスはカーディB姐さんにインスタで反撃。「もっと大人になれよ。品位が必要だね」

 ザスは「継父が心配だけど何もできないから気を紛らわせるためにブリンク182を観に行った」と自己弁護。ところが、その数分後に、セクシー・モデルの女性にSNSでちょっかい出している(make a pass) のを発見されて、「そんなことしてないで継父を助けに行けば?」と言われる羽目になった。

「行きたくても行けないんだ。僕はパスポートがないから」と言うザスは、刑事事件で起訴されてパスポートを停止されていた。去年、彼は、ツイッターで女性に異常な数のDMを送信し、女性に拒否されると脅迫じみたメッセージを投稿したりして、サイバーストーキング(Cyberstalking)で逮捕勾留されたのだ。

「それに、信じられないかもしれないが、僕には100ドルのお金もない」

 まるでブリンク182の最大のヒット曲「僕、いくつだっけ?」の歌詞みたいだ。

「23歳にもなるのに、どうして年相応(としそうおう)の振る舞いができないの?」

 ザスは37歳の自称オーディオ・エンジニア(Audio Engineer)なんだけどね。

 タイタン号は今まで何度も使われて、船体(せんたい)も疲労していた。これでは水圧に耐えられないと危惧する人々は少なくなかった。映画『タイタニック』のために33回も海底に潜った監督ジェームズ・キャメロンもその一人だ。彼はCNNの取材に「ショックを受けている」とコメントした。「警告が聞き入れられなかった点で、タイタン号はタイタニックとあまりに似ている」

そういえば、難民は?

 タイタン号のオーナー、ストックトン・ラッシュ氏の妻、ウェンディさんの祖先は、タイタニックと共に亡くなっている。映画『タイタニック』で老夫婦がベッドで抱き合ったまま水没していくシーンがあるが、あのモデルになったイシドールとアイダ・ストラウス夫妻だ。

 イシドール氏はアメリカの大手デパート、メイシーズを共同経営する富豪で、タイタニックで最高の客室カップル・スイートに乗っていた。しかし、船が沈み始め(しずみはじめ)、救命具も救命ボートも人数分無いことを知って、イシドール氏は、若い者を差し置いて老いた自分が生き延びるのを拒否した。

 タイタニックの船底(せんてい)には、アイルランドや東欧からアメリカを目指す貧しい移民たちが乗っていた。彼らには救命具もボートもなく、ほとんどが死亡した。

 タイタン号に乗った5人の金持ちのことばかり報道していた英米メディアは、思い出したように「そういえば、750人の難民は?」と言い出した。

 750人もの難民を満載(まんさい)してイタリアに向かって地中海を進んでいた漁船がギリシャ沖で沈没した。100人ほどが救出されたが、それ以上の数の遺体が回収されつつある。

 漁船はリビアから出港したが、乗っていた半分がパキスタンの人々だと推測されている。パキスタンでは経済が崩壊し、人口2億3000万人の11%以上が失業していると言われ、リビアを経由してヨーロッパを目指す経済難民が急増している。

 パキスタンの富豪ダウッド氏が潜水艇から見物しようとしたタイタニックの残骸の中には今も貧しい名も無き移民たちが眠っている。