岸田首相襲撃犯 実父の告白「山上とウチの隆ちゃん、1億分の2だよ」

「週77刊文春」編集部 2023/04/19

 安倍晋三元首相の暗殺から9カ月と1週間。再び宰相を狙ったテロに激震が走った。1人で密かに爆弾を作り、決して許されぬ凶行に走った24歳の青年は どんな人生を歩んできたのか。父、兄、同級生らへの徹底取材で迫る。

▶木村は警察で「宇都宮健児弁護士を呼んでくれ」

▶事件直後、1歳上の兄は小誌直撃に絶句した

▶運送業者の父 近隣に響く怒声と5年前の出奔

▶百貨店の元美容部員 母が一戸建てを購入

▶中学時代の愛読書は「永遠の0」「涼宮ハルヒ」

 事件翌日の夕刻、記者は兵庫県川西市(かわにしし)内の団地(だんち)に、容疑者の父方(ちちかた)の祖母(祖母)を訪ねた。インターフォンを押すと、男性の声が返ってきた。

「婆さんはもう寝てるよ」

――もしかして、隆二(りゅうじ)さんのお父さんですか?

「そう、隆二の父親。何も話すことなんかないからね。隆ちゃんも、もう大人だから。本人がやったことでしょ。なんで親のところに来んの?  あなたも人の子だったら、こんなときの親の気持ちぐらい分かるでしょ。仕事なのは分かるけど」

――そんなことをするようなお子さんではなかったと話す人も多いのですが。

「やっちゃったんだから、そんなことするようなお子さんだったんだよ。あの安倍さんの、奈良の何とかさんと同じでしょ」

――山上徹也(やまがみ てつや)被告ですか?

「そう。山上と、ウチの隆ちゃん。1億分の2だよ。まぁ隆ちゃんは、宗教がどうとか、そういうのはないけどね。ただ、あんなことする奴なんて、どこかしら、頭のネジが外れてるんよ」

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 容疑者の自宅近隣の取材では、両親は5年ほど前から別居中とも、すでに離婚したとも囁かれていたが、それゆえか、どこか他人事のような突き放す口調(くちょう)だ。

 インターフォンに耳を近づけるが聞き取りにくく、何度か聞き返していると、実父(じっぷ)は「ああ、めんどくさい。出るわ。ちょっと待ってて」と呟いた。物音がして、 クリーム色の古びたドアがゆっくりと開くと、白髪の丸刈り頭、痩せた中年男性が姿を見せた――。

 急斜面の小路(小道、こみち)に家々が美しく立ち並ぶ和歌山県の雑賀崎(さいかざき)は、イタリアが誇る世界遺産の港町になぞらえて“日本のアマルフィ((イタリア語: Amalfi)”と 呼ばれる。4月15日午前、雑賀崎漁協の南東、約100メートルのところに急ごしらえで設営された演説会場には、柔らかな春の陽光が差し込んでいた。この日、予定されていたのは 岸田文雄首相(65)による衆院和歌山1区補選の応援演説だ。

 午前11時27分、観衆のどよめきが静寂を破る。発煙筒状(はつえんつつじょう)の物体が岸田氏の足元に投げ込まれ、「キャー!」と悲鳴が響いた。その刹那(せつな)、地元の漁師 によって捕らえられた若い男。威力業務妨害の疑いで現行犯逮捕されたのは無職の木村隆二(きむら りゅうじ.)容疑者(24)だった。

 木村の足元にタックルした漁師が、当日の様子を振り返る。

「(木村が)火をつけるような姿が見えて、何か投げよったんよ。咄嗟に仲間と一緒に飛びついた。1人が首のほう押さえつけて、ワシは足のほうを押さえて」

取り押さえた際に地面に落ちた銀色の筒状の物を手に取った。それは着火(ちゃくひ)していない2発目の爆弾だった。

「安倍政権の暴走ストップ!」

「掴んで警察に渡そうとしたら『そこ置いといてくれ!』言われてな。そこにバーッて放って、自分も避難したんや」(同前)

 岸田氏はすぐに退避し事なきを得た。その後も選挙応援を続けているが、事件直後、こう洩らしていた。

「爆発物は俺の真後ろ、だいたい1メートルのところにあった。なかなか爆発しなかったから良かったようなものだけど、もしすぐ爆発したら駄目だった」

 木村は逮捕後、完全黙秘を貫いていると報じられたが、実際は真っ先に、ある人物の名を口にしていた。

「宇都宮健児先生を呼んでください」

 宇都宮氏といえば、日弁連の元会長で、2012年、14年、20年と都知事選に野党の支援を受けて出馬。「安倍政権の暴走ストップ!」(14年) などを公約に掲げ三度とも次点に終わった。脱原発、反貧困を旗印として活動している。

 宇都宮氏に聞いた。

「私の事務所に和歌山県警の西警察署から連絡があったのは15日の土曜日、逮捕後のこと。ただ、私は土・日は事務所に出ておらず事務所自体も 閉めているので、留守電に気が付いたのは17日の月曜だったんです。留守電を聞いたところ『木村さんが弁護を依頼したいと言っている』と。その後、 17日の午前に再度、警察から連絡があり『もう別の弁護士と会ったので』とのことでした」

――今後、弁護を引き受ける考えはある?

「逮捕後の木村は雑談にも一切応じず、身元は所持していた免許証で割り出す(deduce ⦅from⦆)しかなかったほど。警察庁が所有する右翼や 左翼のデータベースにも該当はなく前科・前歴もなし。事件当日、木村はリュックサックと手提げ鞄を持っており、中には刃渡り(はわたり)約13センチの果物ナイフが入っていた」

 事件翌日、木村の自宅の捜索では金属管と工具類などが押収(おうしゅう)されている。

「逮捕容疑の威力業務妨害は身柄を押さえるための罪名に過ぎません。今後、肝となるのは、爆発物に殺傷能力があったかどうか。 慎重に鑑定をした上で、殺人未遂容疑で再逮捕する見通しです」(同前)

 銃器評論家の津田哲也(つだ てつや)氏が解説する。

100本のアカメが切られた

「今回使用されたのは黒色火薬。ホームセンターなどで市販されている園芸用の農薬などを使って製造することが出来ます。安倍晋三元首相襲撃事件で 使われた手製銃(てせいじゅう)のほうが殺傷能力も、製作上(せいさくじょう)の難易度も高い。今回の事件では、現場で飛散(ひさん)した破片(はへん)がほとんど 確認されておらず、威力がある爆弾とは言えませんが、中に釘(くぎ)を入れるなどして使用した場合には、惨事(さんじ)を招いていた可能性もある」

 時の総理を狙った24歳のテロリストは、どんな半生(はんしょう)を歩んできたのか――。

 1999年3月、木村は兵庫県川西市の県営住宅に4歳上の姉、1歳上の兄を持つ末っ子として生まれた。父は03年頃、屋号に長女の名を冠した赤帽の 配送業者として独立。間もなく兵庫県内の製麺会社に出入りし、配送を担当する。

「仕事は夜がメイン。社員が全員帰った後の夜10時くらいに来て、あらかじめ準備してある麺の商品を積み込んで取引先に配り、夜中2時には会社に戻って きてトラックの鍵を返す、という生活を送っていました」(製麺会社役員)

仕事ぶりは極めて真面目だったという。

「1日7、8000円の報酬制。年中無休ですが、勤務態度は素晴らしかった。月収は20万円ほどだけど365日、一度も穴を開けることがなかった」(同前)

 小学校に入学した木村は、地元のサッカークラブに入った。当時のコーチが証言する。

「確かにうちのクラブチームに在籍はしていたが、目立つ子ではなかった。卒団式の前に辞めているので在籍期間は短かったと思う」

 そんな木村が心を許していたのが、同じ小学校に通う1歳上の兄だった。

「兄弟仲はめっちゃ良くて、帰り道も一緒に帰るほどだったな。バスケ部だったお兄ちゃんは明るい性格で頭も良かった。小学生の頃、弟が教室に顔を出してしまうため、お兄ちゃんは照れ隠しで『隆二、来るなや!』と言って追い返したりしていた」(兄の友人)

 子供3人がいる家計を縁の下で支えたのは母だった。

「お母さんは昔は阪急百貨店で、美容部員として長らく働いていた。また、15年ほど前に自分でホームページを作成して美容系の小売店を営んでいたこともありました」(仕事仲間)

 一家の環境が変化したのは、木村が小学3年生だった08年2月のこと。県営住宅から約2キロ離れた新興住宅街に立つ2階建ての一軒家に引っ越したのだ。延床面積127平米、築14年の中古物件だった。元所有者が振り返る。

「当時、私たちの都合で売りたくて銀行にお願いしたところ、連れてきてくれたのが木村さんやった。積水ハウスの新築で6800万円だったのに、売るときには2480万円でした。でも団地に住んでいた木村さんにとっては買いやすかったんやと思います。不思議やったのが、契約時にも旦那さんはまったく姿を見せなかったこと。所有者の名義も奥さんだけでした」

 当時、父は赤帽を辞め、個人で配送業を再スタートさせていた。

「売却後、あの家の前を通り過ぎることが何度かあって、ウッドデッキで遊んでいる子供たちを見かけました。私たちが植えていたロベリアと100本のアカメが全部切られていたのは悲しかったです」(同前)

 ただし、庭の花木は今も丁寧に丹精され、決して荒んだ印象はない。それは家族の暮らしも同様だ。木村の父と15年以上の付き合いがある地元商店の元店主が打ち明けるのは、一家を彩るこんな風景だ。

「隆二くんは小さいときからお父さんとよく店に来てね。10円、20円のスルメのお菓子やうまい棒を買っていった。当時、奥さんはフルタイムで働いていて、日中は家にいない。お父さんは夜中の配送の仕事が終わった後、早朝にうちに寄って『明日の弁当は何にしよ。何のおかずを作ろう』なんて話をしていた。帰宅後、子供たちにお弁当を作ってあげていたんです」

 小学校の卒業文集に木村が綴った将来の夢の1つは〈パティシエ〉だった。

〈いろんなお菓子を作りたいです。食べた人が秘密にしておきたくなるお菓子をいっぱい作りたいです〉

 元店主が回想する。

「僕も隆二くん本人から『パティシエになりたい』と聞いたことがあるんや。それは、お父さんがお弁当を毎日作っている姿を見ていたからやと思うんです」