ツチヤの口車 第1330回 土屋 賢二 2024/02/24
透明人間になりたい
カッコをつけることほどカッコ悪いことはない。わたしはどんなことがあっても、カッコをつけていることを悟られないよう長年、細心の注意を払ってきた。
わたしから見ると最近の若者は理解を超えている。男が臆面もなくファッション誌を読み、脱毛(だつもう)し、パックし、メイクし、エステに行き、整形し、その上、散髪(さんぱつ)し、爪を切り、風呂にまで入って、テンとして恥じることがないのだ。
てん‐と‐して【恬として】平気で。少しも気にかけないで。頓着しないで。「―恥じない」
若者がこんなに軟弱(なんじゃく)でいいのか。わたしの中には、「男たるもの、見た目には無関心であれ」という確固(かっこ)たる信念がある。
立ち居振る舞いも例外ではない。女性タレントは脚を斜めに揃えて座り、コンテストに出た犬は見栄えのいい立ち方をさせられるが、もし男に「美しい座り方」があっても、そんなカッコをつけた座り方は心理的にできないだろう。
イギリスにいたとき、テレビのインタビューで10代の少女が「おしゃれをするような男子は嫌い」と言うのを聞いて、「よくぞ言った!」と快哉(かいさい)を叫んだ。努力は無駄ではなかった。おしゃれにも女にも興味がない男を装ってきたのは、そういう男を好む女性が多い(と思う)からだ。
服装にこだわっていないように見せるのは簡単ではない。昔のバンカラの「弊衣破帽(へいいはぼう)」を実践するには、腰に下げる手拭いは「三年醤油で五年煮しめた」ような汚い手拭い、帽子は、卵、ワセリン、その他不明の物を使ってテカテカに固める必要がある。服装にこだわっていないことを見せるためにはこれほど服装にこだわる必要があるのだ。これだけ苦労して服装に無関心だと訴えても、悲しいことに、そういう男が女にモテた形跡はない。
ばん‐カラ【蛮カラ】風采・言動の粗野なこと。ハイカラをもじって対応させた語。夏目漱石、彼岸過迄「上はハイカラでも下は蛮殻ばんからなんだから」。「―な校風」 ハイカラ 〈形〉Modish, stylish, fashionable, smart (person or costume)
バンカラまで行かなくても、男はなぜ服装を工夫しないのかと女は思うだろうが、男の服装は迷いに迷った結果である。男はカッコをつけているように見えないのにカッコいいという境地を目指している。「カッコつけているように見えない」ところまでは成功しているが、それをカッコいいところまでもっていくのは至難(しなん)なのだ。ただ、至難だが不可能ではない。現に無造作(むぞうさ)にボロを身にまとった二枚目スターはカッコいいではないか。女にモテるではないか。それを実現するにはどうしたらいいか分からないまま、手探りで試行錯誤(しこうさくご)しているため、ほぼ確実に失敗してしまうのだ。
これまでわたしは服装には辛酸をなめてきた。昔、目にも鮮やかなネクタイを手に入れ、秘蔵(ひぞう)していた。錦鯉(にしきこい)のような鮮やかな朱色(しゅいろ)に金糸銀糸(きんしぎんし)をあしらい、絢爛(けんらん)たる華やかさに輝くネクタイだ。ここぞという機会にそのネクタイを締めて人前に出たとき、それを見たほとんどの人が笑ったのである。自信をもって披露(ひろう)した物が全否定された経験は、純真(じゅんしん)な心を深く傷つけた。その後の出来事がその傷をさらにえぐった。
数年後、かつてないほど気に入ったポロシャツを見つけて、色違いも含めて3枚買い、弟にも買ってやった。弟はカッコいいと喜んだ。これほど満足のいく買い物もなかった。
満を持して(じして)それを着て大学に行くと、学生や助手が「気に入って買ったんですか?」「目が痛い」と、わたしの自信がゆらいでいるのをいいことに、かさにかかって攻撃した。
かすかに残っていた自信は跡形もなく崩れ去った。学者には不幸にも制服がない。自由に選ぶとセンスが丸わかりになる。センスに自信を失った者にとっては、進退極まる状況である。
それ以来、わたしはカッコいい服装をあきらめ、極力(きょくりょく)目立たない服装を目指している。それでも不安は付き纏う(つきまとう)。できることなら透明人間になりたい。