ツチヤの口車 第1333回 土屋 賢二 2024/03/16
冷蔵庫にモヤシがある
モヤシ(糵、萌やし)は、主に穀類(こくるい)や豆類(まめるい)の種子(しゅし)を人為的に暗所(あんしょ)で発芽(はつが)させ、軟化栽培(なんかさいばい)したスプラウト(srpout)野菜である。
冷蔵庫(れいぞうこ)を開けると数日前に買ったモヤシがある。使わないと傷んでしまう。それではもったいない。モヤシを使う料理で知っているのは、野菜炒めと焼きそばだけだが、野菜炒めはおいしくできたことがない。焼きそばなら市販の焼きそばソースを使えば失敗しない。そこで麺、豚肉、ソース、人参、ピーマン、キャベツを買ってきて焼きそばを作る。
だが1袋(いちふくろ)20円のモヤシを救うために何十倍(なんじゅうばい)もの金を投じるのはもったいなくないか? 「もったいない」が分からなくなった。
かりに大谷翔平と藤井聡太の2人の才能を合わせもった人が野球にも将棋にも進まず、まったく才能がない演歌の世界に身を投じたらどうだろうか。時代の寵児(ちょうじ)となって何千億円と稼げるのに、がんばってもカラオケの機械で60点を越えられない歌の世界に入るなんて、どう考えても、もったいないと思うだろう。
人間はもったいないことをするものだ。高学歴で年収1億円の絶世(ぜっせい)の美女(びじょ)から結婚を申し込まれた男が、「妻は夫より学歴、収入で上回ってはいけない」という旧弊(きゅうへい)な考えから結婚を断ったり、目の前に出された最高級ステーキを宗教上(しゅうきょうじょう)の理由で食べないなど。
わたし自身、大学に入って、法学部に進むコースから哲学科に転向したとき、周囲から「もったいない」と何度も言われた。洋々たる未来を哲学のようなわけの分からないことでつぶすのかと言われた。もし法学部に進んで官僚か弁護士を経て政治家になっていたら、いまごろ裏金問題(うらきんもんだい)で吊し上げられて(つるしあげられて)いただろう。
世の中にはもったいないことがあふれている。料理を残すともったいないが、食べてしまうとメタボになって健康上もったいない。
メタボリックシンドローム 10 metabolic syndrome
先日、探し物をしていて考えた。わたしに残された時間は少ない。探し物に費やす時間はあまりにももったいない。そこで一念発起し、整理に着手したが、途中ふと気づいた。整理するのに使う時間はもったいなくないのか。余命1週間になったら整理に時間を費やすはずがない。
翌日考えた。探すのも整理するのも時間と労力がもったいない。その間で右往左往する時間ももったいない。全部やめてしまおう。そう決心した。だが考えてみると、これまで何事もそうやって中途半端なまま放置し、何一つやり遂げたことがない。これはあまりにももったいない結果だ。
もったいなくないものが世の中にあるのだろうか。研究やゲームに没頭しているときは寝る時間も食べる時間ももったいない。だが10年後には、寝食(ねしょく)を惜しんで研究やゲームに没頭した時間がもったいなかったと反省したりする。
高額治療を受ける病人にとっては、ほかのことに使う金はすべてもったいない。だが大金を費やしてめでたく命拾いすると、老い先((おいさき)短い老人の命を救うために国が補助するのはもったいないという意見が出る。
若者が命を落とすと「まだ若いのにもったいない」と惜しむ。若者が死ぬのはもったいないが、老人が死ぬのはもったいなくないのだ。だが若者も例外ではない。もし若者の命がもったいないのなら、なぜ世界中で多数の若者が戦場に送り込まれているのだろうか。
どんな状況でも「もったいない」とは言えないものが世の中に存在するのだろうか。こんな問題に頭を使うのはもったいないのではなかろうか。そう考えながら冷蔵庫を開けると、数カ月前に買った糸こんにゃくがある。無駄にするのはもったいない。糸こんにゃくを使う料理はすき焼きしか知らない。市販のすき焼きのタレを使えば失敗しないで作ることができる。