ツチヤの口車 第1353回 土屋 賢二 2024/08/10
勉強禁止の喫茶店
少し遠出して見つけた喫茶店でくつろいでいると、驚いたことに、勉強を始めた青年にウェイトレスが「すみません。ここは勉強禁止です」と言った。
温厚なわたしも腹が立った。ウェイトレスに言う。
「若者はこれからの日本を背負って立つんだ。ここで勉強したことが将来の日本を救うことにつながるかもしれない。目先の利益でその芽を摘んでいいのか。何か迷惑でもかけたのか。あそこの2人組の女性なんてしゃべり通しだ。あっちの方がうるさくて迷惑だろう。あんなのを禁止すべきだ」
「でもおしゃべりするためにいらっしゃるお客様もいますので」
「勉強しに来る客だっているじゃないか。家はうるさくて落ち着かない。図書館は重苦しすぎて息苦しい。信じられないことに、勉強禁止の図書館さえある。快適に勉強したいなら喫茶店しかないんだ」
「でもご自宅のリビングが一番快適に勉強できるからって、他人にそこで勉強させますか?」
「自宅に入れるはずがないだろう。カフェはだれでも入れるはずだ。あそこにスマホを見ているおっさんがいるだろう? エロ動画を見てるんだ。トイレに行くときに見たんだ。あんなのでも店に入っているんだ」
「スマホで何をごらんになっても口出しできません」
「じゃあ勉強にも口出しするな。見ろ。親や先生が勉強しろと言っても勉強しない顔だ。せっかく訪れた勉強しようという気持ちはまさに奇跡なんだ。いまを逃したらこの後いつ勉強する気になるか。次の日蝕までは訪れないかもしれない」
「勉強する気になるかどうかは関係ありません。うちは勉強用ではないんです」
「でも見ろ。あの顔を。合格すると思うか?」
「不合格の顔です」
「どうせ不合格なのに勉強してるんだ。フビンじゃないか。第一、本を広げているが、読んでいるかどうかもあやしい。読んでいても理解しているか分かったもんじゃない。そうだろ?」
「理解できそうにないように見えます」
「サルが本を広げているからって、『勉強している』と言えるか? 本を広げているとしか言えないだろう? 現にわたしも英語の論文を広げているが、研究していると言えるか?」
「言えません。論文かどうかも分かりませんし」
「なぜ研究していると言えない? 編み物でもしているように見えるか?」
「そうは見えません。眠っているように見えました。失礼ですが、もしかしてお亡くなりになっているのではないか、それだけに気をつけていました」
「失礼だろうっ! わたしは貧乏ゆすりしているんだから分かるはずだ」
「その貧乏ゆすりがときどき止まるんです。そのときが心配なんです」
「失礼すぎるだろう」
「お客様を気づかうのがなぜ失礼なんですか?」
「死んでいるかどうか見張るなんて、どこの世界にそんなやつがいる」
「病院ではそうです。看護師をしていましたから」
「もういい! あいつのコーヒー代をわたしが出そう。300円でいいか?」
「500円です。でもお金の問題じゃないんです。長居されると他のお客様が入れないんです」
「長居するほどの忍耐力があいつにあると思うか? あの女性2人組なんか永久に終わりそうにない」
「さっきから延々と、もしかしてカスハラ案件として報告しましょうか」
「と、とんでもな……ありません。毎日おつとめご苦労さまです」
正義感の強い男なら、このように抗議するだろう。わたしは正義感は強くない。青年が漫画を読み始めるのを見て小さい胸を痛めた。