ツチヤの口車 第1334回 土屋 賢二 2024/03/22
手を抜くにもほどがある
コスパやタイパがブームである。映画を早送りで見たり、小説の結末をあらかじめ読んで、無駄を排除する若者の姿勢を嘆く人もいるが、わたしはまだ生ぬるいと思う。
コスパ 01 〔コスプレ-ダンス-パーティーの略〕→コスプレ-ダンス-パーティー
タイパ タイパ島 - マカオの一地域。 タイムパフォーマンス - 「時間対効果」を意味する語。
なまぬる・い 40【生温い】 (形)《文ク なまぬる・し》 ① あまり冷たくもなく,熱くもない。少しあたたかい感じがする。「―・い水」 ② はっきりしない。どっちつかずだ。あいまいだ。「―・い態度をとる」「忌(いや)な眼付をして―・い吻(くち)を利(き)かれると」〈社会百面相•魯庵〉 ③ 処置や方法が手ぬるい。厳しさが足りない。「取り締まりが―・い」
わたしのまわりには何十年も前からその傾向は存在していた。はるかに徹底した形で。
イギリスに滞在していたとき、妻は個人教師に英語を教わっていた。毎回、問題集のレッスン1回分の問題を解くことが宿題だった。あるとき、妻が問題を1つおきにしか解いていないことに先生が気づいた。そのときのやり取りは次のようだったと思われる。
「なぜ1問おきに解いているのですか?」
「2問おきの方がよかったんですか?」
「違う! なぜ問題を全部やらないのですか?」
「間引きを知ってますか?大根を育てるときに間引かないといい大根がとれません」
まびき 03【間引き】 (名)スル ① 農作物などをまびくこと。「大根を―する」「―運転」 ② 口べらしのために生まれたばかりの子を殺すこと。
「あなたは大根農家(のうか)なんですか?」
「違います。ただの常識です。筋トレだって毎日やると筋肉がつきません」
きんトレ 0【筋トレ】 →筋力(きんりよく)トレーニング
「あなたは筋トレをやっているのですか?」
「やってません。常識です。さらに、オリンピックは4年に一度です。日曜日も1週間に1回しか来ません。偶数も奇数も1つおきです。なお、わたしはオリンピック関係者でも数学者でもありません」
「あなたが言っていることはどれも、1問おきにしか問題を解かない理由にはなりません」
「でも、足し算を理解したかどうかをテストするとき、あらゆる足し算をやらせるでしょうか? 足し算は無限にありますから、やろうとしても不可能です。テストではごく一部だけをやらせるのではありませんか? 足し算の理解度を知るにはそれで十分だからです。なおわたしは算数の教師ではありません」
「あなたはその間引きした問題をさらに勝手に間引きしています」
「問題がやさしすぎて面白くないんです」
こういった展開になるところだが、その展開になるには妻の英語力があまりにも貧弱だ。実際に妻が言ったのはこうだった。
「わたしはたやすい。わたし、たやすい物を憎む」
宿題は全部やるか、全然やらないかだと思っていたわたしは、1問おきにやるだけで、堂々と「全部すませた」ことにして提出する神経に驚いた。これほどあからさまな手抜きも珍しい。教師も驚いたことだろう。
もう一つの例は、わたしが中学1年生のときのことだ。1カ月ほど原因不明の病気になり、一晩中、腸からの出血と嘔吐(おうと)で苦しむ日が何日も続き、生死の境目をさまよった。クラスの生徒が先生に引率されて見舞いに来てくれたほどだ。夜は仰向けに寝ることもできず、他の家族が寝ている中、人一倍(ひといちばい)働いて眠いはずの父が、わたしの上半身を支え、徹夜で看病してくれた。
毎夜ぐっすり眠っていた母は、1週間に2、3日、岡山市に箏(琴、こと)を教えに行っていたが、ある日「よく効く岡山市の神社にお百度参りをしてきたよ。もう大丈夫だからね!」と言ってくれた。このときほど両親に感謝したことはなかった。
ひゃくどまいり ―まゐり 4【百度参り】 病気平癒(へいゆ)などの祈願のため,社寺に行き,その境内の一定の距離(多くは百度石と本堂との間)を一〇〇回往復し,一回ごとに礼拝すること。おひゃくど。
後で知ったが、お百度参りしてくれた母が実際にやったのは、箏の弟子といっしょに10人で1人10回ずつお参りすることだった。
儀式は一般に昔と比べて簡素化されているといっても、お百度参りを10人で分担してもいいのだろうか。ちょうどマラソンを10人で分担して走り、「完走した」と言うに等しい。よく罰が当たらなかったものだ。
早送りでドラマを見るぐらいで満足してはならない。妻や母のように大胆に無駄を断ち切ってほしいものだ。