夜ふけのなわとび 第1829回 林 真理子 2024/02/09
動き出した
JALに、CA出身の女性社長が誕生する。
本当に素晴らしいことである。拍手しながら、私はサナエちゃんのことを思い出した。
昔はよく私のエッセイに出てきたサナエちゃんとは、生まれた時からずっと一緒であった。田舎の駅前の小さな商店街で、うちから4軒め(よんけんめ)。同い齢(よわい)で仲よし。
新社長と同じように、短大(当時大人気の青山学院)を出てJALに入った彼女はとても優秀で、たちまち頭角を現したらしい。総理大臣を乗せる特別フライトを経験したりし、長く教官をしていた。
昔はJALに乗ると、
「教官にお世話になりまして」
とよくCAさんに声をかけられたものだ。最近はさすがに少なくなり、そう言ってくれるのは白い制服のチーフの方ぐらいになった。
とにかくサナエちゃんは、よく働いて社内で認められ、辞めた時は部長だったと記憶している。
私は今度のことで、さっそくLINEした。
「サナエちゃん、あと10年遅く生まれてたら、きっとサナエちゃんは社長になれたよ」
「そしたら、マリちゃんとは出会ってないじゃん」
「そんなことないよ。近所の可愛い子としてサナエちゃんと遊んだよ」
これにはじーんときて、
「おたがい長生きしようね」
と結んだ。
JALの新社長就任をはじめとして、最近女性の場所が大きく変わろうとしている。私の世代だと、ウーマンリブとかフェミニズムというものがあったが、それらが成し得なかったこと、遅々(ちち)として進まなかったことが、この頃、ぽーんといっきに変わったという感じ。
上川陽子(かみかわようこ)外相の外見を揶揄したとして、麻生太郎氏が批判されている。
「このおばさんやるね」
「少なくともそんなに美しい方とは言わんけれども」
この発言はルッキズムだ。
ルッキズムとは、外見に対する差別や偏見のことだ。1970年頃、アメリカを中心として始まった肥満差別の廃絶を訴えるファット・アクセプタンス運動のなかで生まれた言葉とされている。
以前だったら見逃されたこのようなことが問題視されるのは、とてもいいことだと思う。
私など昔から、いつもこの種のことをやられて、どれだけうんざりしたことであろうか。
つい先日、あるパーティーで名刺交換をした。相手はお爺さんで、自分が建築屋としてどんなにすごいか、ということを延々と話すのである。有名な建物の床も、そのお爺さんの会社が施工したそうである。
「そうですか、すごいですねー」
あいづちをうつ私。その後、
「だけど、アンタの体重だとね、床が抜けるからねー、来ちゃダメだよ」
田舎のお爺さんは、これがユーモアだと思っているから始末が悪い。少なくとも、初対面の来賓(らいひん)に言う言葉じゃないでしょ。
「そういうのセクハラですよ」
思わず声に出た。
「私はそこには何度も行ってるからご心配なく」
思いきりイヤ味を言ったのであるがきょとんとしている。自分では親しみを込めて冗談を言ったつもりらしい。日本のお爺さんにこういう人は、まだいっぱいいる。
絶対に許されない
上川陽子大臣は、どうして怒らないのかと、テレビで女性コメンテーターは言うが、私はさすがと感じた。私のように怒るのはカンタンであるが、軽くいなすのははるかに高度な技である。
「さまざまな意見があることは承知しているが、どのような声もありがたく受け止めている」
これは麻生さんへの、かなりの嫌味ととった。
上川さんとはほぼ同い齢。私なんかから見ると目もくらむような経歴である。そのような方でも「おばさん」などと言われるのが、日本の社会である。今まではあたり前のようにスルーされてきた、ちょっとした暴言であるが、もう社会は許さなくなっているのだ。
そしてこのような時、デキる女はどう対処するか、鮮やかに見せてくれた上川さん。
風は吹いてきた。日本で初めての総理大臣というのも、現実のものになるかもしれない。
さて、ちょっとした暴言も問題になるようになったわが国。たとえ数年以上前のことでも、性的暴力は絶対に許されない。
松本人志(まつもと ひとし)さんについてであるが、私がまず思ったのは、どうして一対一で口説かないのだろうということである。
もし私が地方に住む女の子だったとする。若くて容姿にも自信がある。そんなある日、東京からスターがやってきて飲み会に誘われた。絶対に行くはずだ。ドキドキして、うんとおしゃれして。
そしてスターさんの隣に座り、楽しいひとときを過ごす。そしてこっそりコースターを渡される。部屋番号が書いてある。たぶん私は行く。そしてそこの部屋で2人きりになり、やさしくされたら、きっと断わらない。青春の思い出として……。そして帰りはやさしい言葉が必要。私はタクシー代なんていらないけど、携帯の番号は欲しい……。
と、ここまでの手続きを踏めば、誰だって恨まなかった。地元の仲のいい友だちには言いふらすが、週刊文春に売ったりはしない。
それを松本さんの場合、子分の芸人たちが囃し立て、無理やりに“献上品”みたいに、2人きりの部屋に押し込もうとしたらしい。もし本当ならば、身の毛がざわつくほど、おぞましい光景である。
こんなことをすれば、松本さんへの好意と好奇心とでやってきた、女の子の心はズタズタになるはず。
女性の尊厳を損うことは、絶対に許されないとようやく皆が気づいた。そして同じぐらいの強さで、優れた女性はきちんと評価すべきと社会が気づいた。
JALの新社長就任と、松本さんの事件は源流は繋っているのである。
許さないことと、認めること。私たちはずっとこれを待っていた。
鳥取 三津子(とっとり みつこ、1964年(昭和39年)12月31日 - )は、日本の経営者、元客室乗務員。福岡県久留米市出身。2024年4月に日本航空(JAL)の第14代代表取締役社長に就任予定。