夜ふけのなわとび 第1831回 2024/02/23

有名な人

 下町(しもまち)のおいしいイタリアン。

「カウンター8席借り切ってるから行かない」

 と親しい友人から誘われた。

 行ってわかった。4人4人のグループに分かれていたのである。

 私の友人A氏と、彼の友人のB氏とが自分の友人をそれぞれ連れてきていたのだ。B氏の方は若く綺麗な女性が3人いた。

 あちらは私のことをご存知ないようで、A氏が説明する。

「マリコさんは週刊文春に毎週エッセイを書いていて、それはギネスにも載ったんだよ」

「へえー」

 驚く3人。

「本当に毎週書いているんですか」

「まぁ……、40年以上書いてますかね」

「すごいですねー」

 と頷いたのは、ショートカットの美しい女性。顔が異様に小さい。確か元タカラジェンヌと聞いたような。私の方も質問しないと申し訳ないか。

「えーと、何組にいらしたんですか」

「〇〇組にいて、それから□□組に移りました」

「今はどんなお仕事されているんですか」

「主に舞台ですかね。最近は△△△△に出ました」

「あぁ、あの人気のミュージカルですね」

 家に帰ってから気になったので、ヨガ仲間のグループLINEに問うてみた。

「皆さん、こういう方とさっきまでご一緒でしたがご存知ですか」

「キャーッ♥」

「!!!!」

 たちまち数人からわき起こる文字の絶叫。彼女たちは熱狂的なタカラヅカファンなのである。

「マリコさん、その方は元、□□組のトップスターではないですか!」

「××さま! 私、大ファンでした」

「××さまは、このあいだ女性誌の表紙になったんですよ」

 申し訳ないことをした。かねてより、スポーツ選手と宝塚の方々は気をつかわなければいけなかった。私が無知なゆえに、名前を言われてもピンとこないのだ。それで失礼なことをしてしまう。

 まあスポーツ選手の方々はお近づきになることもほとんどないからいいとして、困ってしまうのが宝塚の方々だ。私のように恒常的に見ているわけではないと、名前が憶えきれない。しかもファンは、「ターさま」とか、「ズンコさん」とか愛称で呼ぶのでますます混乱してしまう。ヅカファンの友人たちの会話にまるでついていけない。

 先日、そのうちのひとりの自宅で鍋パーティーがあったのだが、終わった後はDVD鑑賞会。みんなで過去の名作舞台を見る。

 そして、この時の何々さんがあーだった、こーだったと嬉々として語り合うのだ。フリーランスで働いている女性が多いので、スケジュールは宝塚を中心にまわっているといってもいい。本場の宝塚大劇場はもとより、博多や韓国にもとんでいく。チケットを手に入れるために、一人一人が大変な努力をして、皆にまわす。本当に宝塚を愛しているのだ。そんな彼女たちにとって、私の元トップスターさんへのふるまいは、信じがたいものだったらしい。すみませんでした。そしてそんな彼女たちにとって、今度の宝塚の事件は、つらく悲しいことであったようだ。

「外部の人間はわからないことだし……」

 と口を閉ざす。

「生徒はみんな一生懸命やっているのは確かなんです。私たちは変わらず応援するだけ」

私生活がわからないこと

 ところで、A氏グループのこちら側に、映画関係の方がいた。こちらはA氏からあらかじめ情報を聞いていてよかった。大ヒット映画を次々と生み出しているプロデューサーである。相当に有名な方らしい。らしい、と言うのはこれまた失礼であるが、別の世界にいる人間にとって、映画プロデューサーの名前は知らないのがふつうではなかろうか。みんなが知っているのは、ジブリのプロデューサーの鈴木さんぐらい。

 この方は男性にしては珍しく、私の本を何冊も読んでくださっていた。私もこの方が手がけた映画を2本見ていた。こうなってくると会話もはずむ。よかった、よかった。

 その最中、彼は突然尋ねた。

「あの、ハヤシさんは結婚してらっしゃるんでしょうか」

「ええ、してますよ」

「えー!」

 ものすごく驚かれた。

「ハヤシさんと結婚する男性が、この世にいるなんて」

 聞きようによっては非常に失礼な言い方であるが、全くそうはとらなかったのは、その前に小説「愉楽にて」の話をしていたからだ。

「あんな官能的な話をよく書けますよね。あれは実体験なんですかね。そうだとしたらすごいですよねー」

 作家にとって、結婚しているのか、と聞かれるのは実はとても嬉しいことだ。私生活がわからないということ、生活臭がしないということだ。

 昔、渡辺淳一先生がお元気な頃、こうおっしゃったことがある。

「講演の最後の質問で、中年の女性が手を挙げて、あなたは結婚しているのか、と聞いてきた。びっくりしたが嬉しかったねえ」

「失楽園」の頃だったろうか。

 そのプロデューサー氏は帰り際、A氏グループの皆に苺の箱をお土産にくださった。

「まっ、千疋屋(せんびきや)」

 千疋屋とか村上開新堂のクッキー、すし萬の大阪すしは、わかる人にしか持っていかない。開新堂のクッキーなんて、いただいても自分で食べたことがない。すぐに大切な人にまわす。入手困難で、ある一定の人たちが、価値をわかってものすごく珍重する。これって宝塚に似ていると思いませんか。