夜ふけのなわとび 第1843回 2024/05/31

言葉は、弱くて強い

 私は本当にわからない。

 上川陽子(かみかわ ようこ)外務大臣の発言である。

「大きな、大きな命を預かる仕事であります。今、一歩を踏み出していただいたこの方(推薦候補)を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」

 かなり長く引用したが、切り取られる時は、

「私たち女性がうまずして」

 から始まる。

 この発言が、出産をしない女性に対しての差別となるそうだ。

 上川大臣は、新知事を誕生させるために、皆で力を合わせようと、その場に集まった女性の支持者に訴えようとしたのであろう。

「私たち女性が――」

 と呼びかけたのは、自分自身への鼓舞(こぶ)と思われる。

 政治家らしいそのリップサービスを不快に思う人もいるかもしれないが、それがどうして、子どもを産まない女性への差別となるのか。こうなったらもう「産みの苦しみ」という表現も使えないかもしれない。

 上川大臣は、文語調のやや文学的表現を使った。そのせいだろうか、それが理解出来ない人がいたのだ。今、本を読まない人が増えて、読解力の低下は驚くばかりである。しかも“切り取り”は当たり前になり、皆、都合のいい言葉を使ってああだ、こうだと言いたてる。

 しかしこのようなことは知的レベルが高いはずの新聞でも行なわれていてびっくりしてしまう。これだったら政治家や人の前に立つ人は、ひっかからないようにと、通りいっぺんのつまらないことしか言わないだろう。

 かつて小泉純一郎元総理の言葉が、あれほど人の心をうったのは、とおりいっぺんでない体あたりで本当のことを言ったからだ。怒る時はナマの言葉がほとばしり出ていた。今は何か言えば、すぐにマスコミやネットが騒ぎ立てる。本当につまらない嫌な世の中になったものだ。

 先日知り合いの弁護士さんとご飯を食べていたら、突然朝ドラの話になった。「虎に翼」は私も大好きで、毎朝欠かさず見ている。

 弁護士さんいわく、

「刺さる言葉が多いよね。あれはものすごく優秀な弁護士が監修しているよね」

 ということであった。

 確かに寅とも子こが試験に合格した祝賀会(しゅくがかい)で発した、

「私たちすごく怒っているんです」

 という言葉は胸に深く残った。なんて真摯に生きている女性なんだろう。

 その後寅子さんは妊娠していることがわかり、弁護士の仕事を辞めてしまう。

「どうしてそんなことするの? 子どもが産まれても仕事続ければいいじゃないの。お母さんが預かってくれるよ」

 と思うのは現代の発想であろう。当時は子どもが出来たら、女性は家庭に入るのがふつうであった。しかも寅子さんは妊娠したことで、まわりの男性にいたわられることが恥ずかしくてたまらない。

 何よりよねさんの鋭い言葉は、

「本気で弁護士やるんだったら、計画性もなく子どもつくるんじゃない」

 という気持ちの表れであった。

 私もやめなくてもいいと思うが、辞表を出すことが寅子さんの責任のとり方だったのであろう。

 私のまわりでもわずか30年ぐらい前のこと、女性で編集長になる人がぽつぽつ出てきた頃だ。結婚をしていたが、子どもをつくらない人がとても多かった。

「今、子どもをつくったら、間違いなく異動させられる」

 と言うのである。今のように現場が整っていなかった頃だ。

「編集長になるのは私の夢だったから、絶対に辞めない」

 と言ったっけ。

差別と多様性と

 今、彼女たちが後悔しているかといったらそんなことはなくて、退職金をいっぱいもらった世代。悠々自適で楽しそう。夫婦でしょっちゅう海外に出かけている。

 私はこれを多様性のハシリと思っている。こういう人たちに向かって、

「子どもがいなくて本当は寂しいんじゃない」

 などと失礼なことを口にする人は誰もいない。

 それと同じように、子どもを産まない女性がすべてつらい思いをしていて、上川大臣の発言に傷ついている、と断定するのは、それこそ差別だと思うのであるが……。

 世の中にはいろいろな考え方の人がいる。上川大臣の発言を聞いて、

「ちょっと乱暴、イヤな感じ」

 と思う人がいても不思議ではない。しかし以前はこれほど大騒ぎにはならなかった。もし記事になったとしても、

「ふうーん、そういう解釈があるのか」

 とちょっと話題になったぐらい、いきり立って撤回など求めなかったと私は思う。

 ところで話は変わるようであるが、袴田巌(はかまた いわお)さんのお姉さんの姿を見るたび、私はいつも感服してしまうのだ。

 最初は袴田さんの妹さんだと思っていた。それがお姉さんで91歳と聞いて本当に驚いた。背筋がぴしっと伸び、スーツ姿が颯爽としている。袴田さんを迎え入れようと、自分でマンションを1棟建て、働きづめ( 働き詰め 【はたらきづめ】 (n) incessant working; working non-stop )に働いて借金をすべて返したという。

 私は犯罪についてはよくわからないが、お姉さんの言葉には説得力がある。弟を信じ助けたい気持ちでいっぱいなのだ。それに胸をうたれる。

 現在ネット上では、差別やデマ、汚い言葉が渦まいている。嘘が堂々とまかりとおり、他人への憎悪が繰り返し示される。こういうものにはほとんど手つかずで、肉声で発せられたものには厳しい裁きが下され、そのハードルは年々高くなるばかり。

 だから強い素朴な言葉を聞くと、本当にほっこりしてしまうのだ。袴田さんのお姉さん、素敵な人だなあと思う。どうかお姉さんの肉声は、きちんと判断してほしいものだ。