林真理子 夜ふけのなわとび 第1887回  林 真理子 2025/04/25

職業婦人

 先日の「阿川対談(あがわ たいだん)」のゲストは、女優の佐久間良子(さくまよしこ)さんであった。

 ちょうど半生を綴った著書を読んだばかり。対談の中でもお話しになっていたが、佐久間さんの「美少女伝説」はすごかったらしい。

 お嬢さま学校の制服を着た佐久間さんが、朝、通学のために電車に乗ると、近隣の男子校生がわっと同じ車輛に詰めかけて大変な騒ぎになった。それどころか、駅員までがうちまでついてきたというのだ。

 私は自分とはかけ離れた、こういう美女の逸話が大好き。20年以上前、山本富士子さんが日経新聞「私の履歴書」をお書きになっていたことがある。

 それによると、女学校時代の男性教師から歌を贈られたということだ。すごいなあ。

 山本さんには、おめにかかったことがないが、佐久間さんとは何度かある。大女優のオーラときたら、それこそ目がくらむようであった。

 ところで「阿川対談」の中で、佐久間さんは「細雪(ささめゆき)」を撮った時の思い出を語っている。早朝から助監督さんたちが、セットの階段の手すりを磨いていたという。そんなくだりを読んでいたら、どうしても市川崑監督の名作「細雪」を観たくなった。私はリアルタイムでも観ているし、DVDも探せばあるはずであるが、てっとり早くアマゾンで注文した。

 さっそく届いた日に観る。まあ、その贅沢で美しいことといったらない。京都の花見に、四人姉妹の歩くシーンときたら、名画を見ているようだ。中でも佐久間さんは、大輪(だいりん)の花のような美しさ。他の3人とは違うしたたるような色香(いろか)が漂っている。おそらく市川監督の演出によるものだろうが、もろ肌脱でお白粉を塗るシーンは、妹でなくても頬を寄せたくなるほどの艶やかさである。

 秘書のセトが観たいというので貸してやって、その次の日は「細雪」談義。

「昔はあんなにお金がかかった映画、つくれたんですね」

「確か東宝の50周年記念か何かだったんじゃないの」

「佐久間さん、本当にお綺麗でした。それから吉永小百合(よしなが さゆり)さん。信じられないぐらい美しい」

「だけどあの雪子を、すごくうまく演じてるよね。楚々(そそ)としているようで、どっかずぶとくてつかみどころがない。歯につまったものを、ぺっと取り出すようなところもある。もちろん市川監督の指示だろうけど」

 ついこのあいだ、鎌倉での食事会でさんざん成瀬巳喜男監督について喋り合った私は、ちょっとした映画マニア気取り。

「私はね、今回DVDを観て気づいたことがある。それは横山道代(現在は横山通乃)の存在だよ」

「その人、誰ですか」

「昔、黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さんなんかと一緒に活躍していた人。都会的でしゃれた女優さんだったなあ。『細雪』の中で、美容院の女主人として出てくる人だよ」

「ああ、あの人ですね」

 原作とは違って、次女の夫、石坂浩二さん扮する貞之助とどうやら深い仲の様子。さりげなく手を重ね合わせるところが本当にイヤらしい。

「あの役はぴったりだったよね。職業婦人の抜けめなさ、みたいなものもちゃんと出ていたし。それよりもね、いちばん感じるのは当時、仕事を持っている女は一段低くみられている、ということかな」

 原作の地の文でも、この美容院の女主人のことは「夫人」とつかず苗字だけ。しかしいろんなうちのことに精通していて、縁談を持ってきてくれる。だから長女も次女もないがしろにはしていないが、自分よりも低く見ているのはあきらか。船場や芦屋に住む奥さまたちからしたら、働いている女なんかフン、という感じなのである。

「あの美容師みてると、とても他人ごととは思えないよ。あの頃だったら女の作家なんて、もう規格外。いいとこの奥さんからは口をきいてもらえなかったに違いないもの」

もう取り返しつかない

「でもあの女主人、立派だと思います。女手ひとつで、娘を女子大に通わせているんです。戦争があってあの後、世の中変わりますが、ちゃんと残るのはああいう人たちだと思います」

 などというが、これはいかにも現代の女性の意見。昭和を生きてきた私にはつらいことがいくつかあった……。そう、お金持ちのいいとこの専業主婦がいちばんエラくて、働いている女はヒエラルキーのずっと下にあった時代である。

 その何日か前の土曜日は、恩師を囲んで小さな集まりがあった。お墓まいりを兼ねて山梨に出かけた。私たちの高校時代の先生は、今年93歳。ちょっと耳が遠くなったが、とてもお元気である。8人のメンバーのうち、3人が女性であったがなんと全員が現役で働いている。うち一人は英語力を生かしてIT企業勤務。もう一人も会社の嘱託になっている。一人はバツイチ、一人は独身であった。私たちの頃は、女子は若いうちに結婚するのがあたり前。地元の短大を出て、銀行や保育園に勤め、2、3年後に結婚、というのが王道とされた。そんな時に私たちはなぜかキャリアを求め、一人は海外で暮らしたりしたのだ。

「みんなまだ給料ちゃんともらって年金もある。マンションも持ってる。ああいう生き方いいよねー」

「でもこの頃私は、そういう生き方よりハヤシさんと仲よしの◯◯さんみたいになりたいです。旦那さんは名門企業オーナー社長で大金持ち(おおかねもち)。奥さんのことを大切にして2人仲よし。しょっちゅう海外旅行行ってる。どうしたらあんな結婚出来るんでしょうか」

「前世でよっぽどいいことしたんだよ」

「いいことですか」

「村人のために人柱に立ったとか……」

「なるほど。もう私、取り返しつかないです」

 私も……と言い合った春の宵(よい)であった。