夜ふけのなわとび 第1886回 2025/04/18

 リーダーになったり、“長”がついたりすると持ち出しは凄く増える。

 自前で若い者たちにおごらなきゃならないし、何かの会食でも、ワリカンではなく、

「あ、今日はこちらで持たせてください」

 と言わなければならない。

 トランプ大統領は、もうそういうことをする気は全くないようだ。

「もう世界のリーダーやーめた」

 と宣言した。

 私はニュースを見るたびに、

「トランプさん、年とってついにヤキが回ったのでは」

 と考えていたが、その後専門家の話を聞いていると、この計画は何年も前から周到に準備されていたらしい。有名な学者が論文を出し、トランプさんはそれにのっとり実行しているとも。

 私は3代前の大統領、オバマさんのことを思い出す。理想論だけで何もやらなかったじゃないか、という人もいるが、あの時はとにかくアメリカ大統領は、哲学を持っていた。当然のことながら知性もあった。

 それが今では、アメリカ大統領はただのがめついセールスマン。

がめつい, ▸ がめつい⦅貪欲な⦆人, a greedy [a grasping] person.

 教育費を大幅に削ったのにも驚いた。教育というのは国家の未来の基本ではないか。反対する側近はいないのか。トランプさんが何か言うたびに、まわりで頷いているキャビネットメンバーを見て、ぞっとするのは私だけであろうか。

 ヒトラーのまわりで、笑ったり拍手したりする当時のイエスマンたちを思い出すのである。

 そして驚愕(きょうがく)したのは、アメリカがWHOを脱退すると聞いた時。

 私は以前、小説の取材でスイス、ジュネーブのWHOを訪れたことがあるのである。世界中から集まった学者や医師たちが、食堂でランチを食べながら議論する光景は頼もしかった。

 アメリカが脱退して拠出金(きょしゅつきん)がなくなると、WHOの運営は立ちいかなくなるという。病に苦しむ貧しい国の人たちは救えなくなるし、近いうちにパンデミックが起こっても対策がうてない。

 この1週間のアメリカの動きを見ているととても現実に起こっていることとは思えないのである。

 が、日本は今のところ平和だ。石破さんは何も出来ず、まごまごしているだけであるが、

「まぁ、今は仕方ないかも。相手が相手だし」

 と国民は寛大である。

 そして私はといえば、ウクライナやガザのことに心を痛めつつも、日常の忙しさの中に身を置き、あっという間に日はすぎていく。

 先週の土曜日は「木挽町(こびきちょう)のあだ討ち」を見に歌舞伎座に出かけた。これは永井紗耶子さんがお書きになった直木賞受賞作を劇化したものだ。お読みになった方もいると思うが、これは推理小説の要素がある。どうやって歌舞伎にするのかとても興味があった。

 はたしてお芝居はとてもうまく出来ていて、芝居に生きる人たちの優しさにじーんとくる。主演の市川染五郎(いちかわ そめごろう)さんがりりしく清潔で役柄にぴったりだった。

「あの染五郎さんが主演やるようになって……」

 歌舞伎を見る楽しみは、子どもの頃から見ている俳優さんの成長した姿を見ること。

「染五郎さんはね、13歳ぐらいの時に対談したことがあるのよ」

 一緒に行った友人に自慢した。

「少年時代の染五郎さんの美しさといったら……。みんなびっくりして、よくメディアでも取り上げられたけど、悪魔的といおうか、ヴィスコンティの映画に出てくるような、といおうか、現実の少年とは思えないほどだったのよ。こんなに綺麗でふつうの人生歩めるのかと心配してたけど、立派な青年になって実力も身につけてよかった、よかった」

心配しても仕方ないでしょ

 そして歌舞伎(かぶき)が終わった後、三越の地下へ行き、夕飯の買い物をした。地下鉄にのってスマホを見ると、隣家のオクタニさんからLINEが入っていた。

「何してるの。4時からでしょ。すぐ来てください」

 えー、5時の約束ではなかったかと彼女からの履歴を見直したら、確かに4時とあった。

「すみません、私が間違えてました。別の日でも」

「いいからすぐに来て。呉服屋(ごふくや)さん待たせてるから」

 大学の卒業式の時に色留(いろとめ)を着た。その手入れをオクタニさん出入りの呉服屋さんに頼もうとしていたのである。

「あそこで買ったものじゃないけどいいかしら」

「とにかく持ってきてよ」

 着物を預かってもらいたいだけだが、彼女としてはちょっと呉服屋さんの持ってきたものを見ていったらということらしい。

 地下鉄からタクシーに乗り替え、やっと隣家に着いたのは5時前。オクタニさんは素敵な白大島をお召しだ。これから食事に行くという。目の前には2枚の色留が拡げられている。呉服屋さんと番頭さんが控えていた。

「私がハヤシさんのために選んどいたわよ。いいでしょ」

 豪華な加賀友禅(かがゆうぜん)と、もう一枚は刺繍のもの。

「ちょっと待ってよ。私はもう色留は3枚持ってます。色留なんて毎年つくるもんじゃないでしょ」

「これから色留、いくらでも着る機会あるわよ。大学の行事あるんでしょ。宮中に行くかもしれないじゃないの」

「宮中なんて、これから行くことあるとは思えない。私は今お金がないし、世界情勢だって大変なことになってる」

 オクタニさんは出かける時間が迫ってきたらしく苛立ってきた。目の前でタクシーを呼びながら言った。

「ハヤシさん、トランプ、これからどう出るかわかんないし、そんなこと心配しても仕方ないでしょ」

「でも、日本でも株が乱高下して……」

 が、彼女とここで世界情勢について議論しても仕方ないと悟った。遅刻した私が悪い、私は気が弱い。5分で帯を買いました……はい。