池上彰のそこからですか!? 第603回 2024/02/09

東アジア反日武装戦線とは

Q 東アジア反日武装戦線という名前を初めて聞いたんすが、どんな組織なんすか?

A おお、メンバーの桐島聡(きりしま さとし)容疑者を名乗る男が、末期がんで入院中の病院で、正体(しょうたい)を明かした件だな。この連中の発想や行動は、いまの時代からは理解できないだろうなあ。

Q 連続企業爆破(ばくは)事件というのも初めて聞いたんすが。

A 中東で爆弾テロが起きると、「中東は怖いわねえ。その点、日本は平和でいいわ」なんて言う人がいるけど、1970年代の日本は爆弾テロが頻発(ひんぱつ)していたんだ。

Q どうしてなんすか?

A まず1968年頃から1972年頃にかけて、日本で学生運動が過激化(かげきか)したことは知ってるかな?

Q なんとなく聞いたことがあります。「『いちご白書(はくしょ)』をもう一度」なんていう曲は、学生運動に挫折(ざせつ)・転向して就職する若者の様子を歌ったとか。カラオケに一緒に行った団塊世代のおじさんが、そんなことを言って歌ってました。

A 1968年頃といえば、東京大学では医学部のインターン制度に反対する学生たちが医局長などをつるし上げて処分されたんだが、その場にいなかった学生までが処分されたことで怒った学生たちが安田講堂(やすだこうどう)に立てこもったところ、慌てた総長が警察の機動隊を呼んで学生たちを排除する事件があった。

Q ああ、安田講堂事件ですね。

A そうじゃないんだ。このとき大学が機動隊を学内に入れたことに怒った東大生が一斉にストライキに入り、再び安田講堂を占拠した。この学生のストライキが延々長引いたため、大学が再び警察を呼び入れ、安田講堂に立てこもった学生と攻防戦になったのが、安田講堂事件だ。

 ほぼ同じ頃、日本大学で使途不明金があることが東京国税局の調査で判明。真相解明を求めた学生たちを体育会の学生たちが襲撃して多数の負傷者が出る事件があった。これをきっかけに日大の学生たちもストライキに入った。

 この頃はベトナム戦争の最中。日本から米軍が出動していたこともあり、ベトナム戦争反対運動が盛り上がった。1970年は安保条約(あんぽじょうやく)が自動延長される時期にもあたり、安保反対運動が盛り上がり、日本中の多くの大学がベトナム戦争反対や安保反対でストライキに入ったんだ。

Q 理解不能っす。大学生がストライキで授業放棄したって、効果ないでしょうに。

A いまになって冷静に考えればそうなんだが、当時は学生たちが必死になっていたんだなあ。

Q ストライキになれば授業がなくなるから喜んでいた学生だっていたかも。

A 学生運動が盛り上がったことから、「革命が近づいた」と考える過激派が勢力を増し、デモや集会を繰り返した。でもね、結局は学生運動では世の中は変えられず、挫折意識(ざせついしき)にとらわれた若者が多かった。

Q だから「いちご白書」なんだ。

A ところが、そんな過激な学生運動とは一線を画して爆弾闘争を始めた組織があった。

3つのグループに分かれて闘争

Q それが「東アジア反日武装戦線」なんだ。

A その通り。この連中は日本の企業が東南アジアに進出していく様子を見て、「日本帝国主義の経済侵略だ」と考えたんだ。そこで、三菱重工(みつびしじゅうこう)や三井物産(みついぶっさん)、ゼネコンの間組(当時)などを狙って爆弾テロを始めた。

株式会社間組(はざまぐみ、英称:Hazama Corporation)は、かつて存在した日本の大手建設会社(中堅ゼネコン)。通称「土木の名門」、「ダムハザマ」。建設業界では「青山」と呼ばれていた。一般には会社名を片仮名表記のハザマとしている。

 でも、ほかの過激派組織が共産党をモデルにして、中央委員会をつくって、その指揮に従うという組織づくりをしていたのに対し、この連中はそんなことをしなかった。「狼(おおかみ)」「大地の牙(だいちのきば)」「さそり」の3つのグループに分かれて、別々に行動した。桐島聡容疑者は「さそり」に所属していた。このうち一番大きな事件を起こしたのが「狼」で、1974年8月、三菱重工ビル爆破事件を起こし、8人が死亡し、165人が重軽傷(じゅうけいしょう)を負う(おう)大事件になった。

 そもそもここで使われた爆弾は、その直前に昭和天皇が乗った「お召列車」を爆破するために作られたものだった。ところが、通行する予定の鉄橋に仕掛けようとしたところ、不審な人に見られているように思えて断念。それを三菱重工に使った。

お召し列車または御召列車[1](おめしれっしゃ)とは、日本において天皇、皇后、上皇、上皇后、太皇太后、皇太后が使うために特別に運行される列車である。随員など以外の一般客は乗車できない[2]。 なお、上記以外の皇族のために運行する列車は、御乗用列車(ごじょうようれっしゃ)と呼ばれる。

Q そんな、一般の罪のない人を死傷させるなんて、ひどいじゃないですか。

A 彼らはほかの過激派活動家とは異なり、普通の社会人や学生を装いながら犯行を繰り返していた。このため警察の捜査は難航したんだが、1975年5月に主要メンバーは一斉に逮捕された。このときメンバーの一人は、持っていた毒薬で自殺している。死を覚悟していたんだ。

Q なんだか凄い時代っすね。で、桐島容疑者は?

A 東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていた。

Q そうか、三菱重工の事件には関与していないんっすね。でも、この容疑だけなら、とっくに時効が成立しているんじゃないすか。

A そこなんだ。実は当時は全く別の過激派組織「日本赤軍」が海外で日航機を乗っ取って、「武装戦線」のメンバーの釈放を要求。超法規的措置(そち)で釈放され、海外に出て日本赤軍に合流したメンバーの中に、桐島容疑者の共犯者がいた。その共犯者の裁判が確定せず、桐島容疑者の時効も停止したままだったんだ。

Q でも、日本赤軍と武装戦線は別組織でしょ。どうして釈放を要求したんすか?

A 武装戦線の連中は起訴されて裁判になっても激しく抵抗していた。それを知った日本赤軍が、「これは使える」と考えて釈放を要求し、自分たちの仲間にしたんだ。

Q それにしても、桐島容疑者は、「最期は本名で死にたい」なんて、人間って、そんなものなのかなと思わされますね。