池上彰のそこからですか!? 第614回 2024/05/10
イスラエル、歴史的資産喪失
イスラエルといえば、思い出すのはナチスドイツによるユダヤ人虐殺事件とユダヤ人少女の『アンネの日記』。戦争中の迫害を知った世界の人たちはユダヤ人に同情。戦後、かつてユダヤの王国があったパレスチナにユダヤ人国家を樹立したいというユダヤ人たちを支援しました。
とりわけヨーロッパ諸国は、ユダヤ人迫害を知っていながら知らないふりをしていたために虐殺を防げなかったという贖罪意識(しょくざいいしき) に駆られることになります。
そのため国連は1947年、「パレスチナ分割決議」を採択。この決議にもとづいて翌年イスラエルが建国されました。
ところが、イスラエル建国に反対するアラブ諸国がイスラエルを攻撃したことで、第一次中東戦争が起きました。その結果、イスラエルは国連決議で「ユダヤ人国家」と認められたよりも広い土地を占領。パレスチナ難民が発生しました。
このイスラエルの行為は国連決議に反するものでしたが、最初に手を出したのがアラブ諸国だったことや、迫害を受けてきたユダヤ人に対する同情から、国際社会はイスラエルを強く非難することはありませんでした。
イスラエルにとっては、苦難の歴史が、表立ってイスラエルが非難されることのない、いわば歴史的資産になっていたのです。
それでもイスラエルによるパレスチナ人への振舞いをとがめる人たちもいましたが、それは「反ユダヤ主義」として強く批判され、多くの人が「反ユダヤだ」として差別主義者のレッテルを貼られることを恐れ、沈黙を強いられました。
ところが今回、イスラエルがガザ地区のハマスを攻撃し、ガザ地区の住民に大きな被害が出たことからイスラエルに対する視線に大きな変化が見られます。
そのひとつが、アメリカ各地の名門大学での「反イスラエル集会」です。ニューヨークの名門大学であるコロンビア大学で「反イスラエル」の集会が開かれると、大学は「反ユダヤ主義の危険な集会」だとして警察に介入を要請。警官隊が学内に入り、多数の学生らを逮捕しました。彼らは別に暴力的な行為に出ていたわけではありませんが、パレスチナの旗を振る学生がいて、こうした行動が学内のユダヤ人学生を脅えさせたというのが理由です。
このコロンビア大学の行為の背景には「反イスラエル集会」を黙認するとユダヤ人の卒業生たちから批判され、寄付金が集まらなくなるという恐怖があります。アメリカには多くの私立大学があります。卒業生からの寄付金が頼りです。とりわけ卒業生で富豪になっているユダヤ人からの多額の寄付は、大学経営の生命線です。
しかし、コロンビア大学の行為に怒った全米各地の大学生たちが学内で抗議集会を開催。「反イスラエル」の動きが拡大しています。
世界の目がイスラエルに厳しく
こうした若者たちを動かす原動力になっているのが、ガザ地区の惨状です。イスラエル軍による攻撃で、ガザ地区のパレスチナ人の犠牲は増えるばかり。4月中旬段階で死者は3万4000人を超えています。亡くなった5歳のめいを抱きしめて泣く女性の姿が撮影され、この様子がSNSで拡散。目を覆わんばかりの惨状に、「どうしてこんなことが許されるのか」という憤りが高まっているのです。
とりわけ衝撃を与えたのが、4月22日、ガザ南部ハンユニスのナセル病院の敷地内から多数の遺体が見つかったというニュースです。4月末時点で発見された遺体は中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると310体。遺体には女性や子どもも含まれているということです。その後も発掘作業が続いているので、遺体はさらに増えるかもしれません。
イスラエルは虐殺を否定していますが、多数の遺体が地中に埋められていたことから、「イスラエル軍が住民虐殺の証拠を隠蔽した」という見方が出ています。
これが事実かどうかはっきりしませんが、イスラエル軍が疑惑の目で見られてしまっているのです。これはイスラエルの評判を落とします。
さらに、この遺体発見より前の段階で、アメリカ政府がイスラエル軍の部隊に制裁を科す方針だというニュースが流れました。親イスラエルの立場をとってきたバイデン政権が、軍の一部に対してとはいえ制裁を科すのは異例のこと。ここには、パレスチナ自治区のうちヨルダン川西岸地区にユダヤ人強硬派が入植地を建設するのをイスラエル軍が支援しているという現状があります。
イスラエルとパレスチナの問題では、1993年に成立した「オスロ合意」があります。これは、ヨルダン川西岸地区とガザ地区にパレスチナ自治区を設定し、パレスチナ人の暫定自治を認めるというものです。
ところが、保守強硬派のネタニヤフ政権が誕生すると、保守強硬派の人々はヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に入り込み入植地を建設。大規模な住宅団地を作ってしまうのです。
さらに入植者たちは近隣のパレスチナ人を襲撃。銃で撃たれた死傷者まで出ています。
これに怒った近隣のパレスチナ人が抗議すると、イスラエル軍が出動し、パレスチナ人を追い払うという事態も頻発しています。
この入植者たちは、「ここは神から与えられた約束の地。ユダヤ人の土地であり、パレスチナ人は出て行け」と主張する保守強硬派なのです。こうした入植者たちの振舞いと、今回のイスラエル軍の行動は別のものだとはいえ、イスラエルに対する非難は高まるばかりです。
ネタニヤフ政権は、イスラエルを非難する声には「反ユダヤだ」とレッテルを貼って反論するだけ。結局、イスラエルが長年培って(つちかって)きた歴史的資産を食いつぶしているのです。