池上彰のそこからですか!? 第617回 2024/05/31
大統領墜落死でイランどうなる?
イランのライシ大統領がヘリコプターの事故で死亡(しぼう)したというニュースを知って、「これから中東はどうなるのだろう」という不安を持った人もいることでしょう。大統領というと、国家元首だと思ってしまうからです。
ところがイランの大統領は「行政のトップ」であって、最高権力者ではないのです。最高権力者は「最高指導者」と呼ばれ、現在はアリー・ハメネイ師です。「師」とは高位のイスラム法学者の敬称(けいしょう)です。最高指導者は健在ですから、イランが大きく混乱することは、現時点ではないでしょう。
今回の事故は、ヘリコプターが山岳(さんがく)地帯で墜落したというもの。驚いたのは、大統領のヘリコプターに外相(がいしょう)が同乗していたことです。政権の重要人物は、リスクを避けるために飛行機やヘリコプターに乗るときは別々に行動するのが常識だからです。アメリカも大統領と副大統領は飛行機もヘリコプターも別々です。イスラエルと厳しく対立し、イスラエルからのミサイル攻撃を受けていたイランにしては、あまりに無防備(むぼうび)です。
また、今回は墜落したヘリコプターの残骸が発見されると、イラン政府は直ちに「事故だった」と発表しました。「大統領のヘリコプターが墜落した」というニュースを聞くと、「イスラエルの仕業(しわざ)か」と疑う人も出ることでしょう。そうではないとイラン政府が急いで否定したということでもあるのです。イスラエルとの対立がエスカレートしてしまうことをイラン政府が危惧(きぐ)していたことをうかがわせます。
事故後、大統領が乗っていたヘリコプターは1960年代にアメリカで開発されたものであることをイランのメディアが伝えました。イランは1979年に起きたイスラム革命前は親米の王制で、アメリカから多数の航空機やヘリコプターを購入していました。国王を追放したイスラム革命の際、アメリカが国王の亡命を受け入れたことに怒った学生たちが駐テヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を人質にとったことからアメリカ政府が激怒(げきど)。大使館員はのちに解放されましたが、アメリカはイランに制裁を科しています。その結果、航空機やヘリコプター、それに部品を輸入することができなくなっています。そんな旧型機だったので、部品類の不調が事故につながった可能性もあります。
今回、新たに大統領を選出する選挙は6月28日に実施されることになりました。この日は金曜日。イスラム教の休日ですから、この日なら投票しやすいだろうというわけです。では、イランはどんな体制なのか。
イランの最高指導者はイスラム革命を指導したホメイニ師の後継者であるハメネイ師。いったんこの地位に就くと終身制です。ハメネイ師はライシ大統領を後継に想定していたとされます。最高指導者の下で行政のトップになる大統領は国民の選挙で選ばれます。
「選ばれた人」の中から選ぶ
これだけ聞くと、民主的な選挙制度に思えますが、実は大統領選挙に立候補しようとする者は、事前に「護憲評議会」というイスラム法学者たちによる組織の審査に通らなければなりません。2021年の大統領選挙でライシ師が当選しましたが、このときは事前に実に592人もの人が立候補を希望しています。この中で審査を通ったのは、わずか7人。
一般国民が直接選挙で大統領を選出できるという、一見民主的な政治制度ですが、イスラム法学者によって全体がコントロールされているのです。現体制に批判的な人物は立候補できないのです。
こんな仕組みになっているのはイスラム革命が起きたからです。この革命によりイランは、イスラム教シーア派を国教としました。
シーア派は、イスラム教の預言者ムハンマドの従弟のアリーの血筋を引く者がイスラム教徒を率いるべきだという考え方です。アリーの血を引く後継者はイマーム(指導者)と呼ばれ、イマームに指導されるのが理想と考えられています。
ところが874年、12代目のイマームが姿を消してしまいます。困惑した信者たちは、「イマームは神によって隠された。この世の終わりに再臨する」と考えました。イランは、この考え方を受け継ぎ、12代目のイマームが再臨するまでの間は、イスラム法学者が最高指導者として国を統治すべきだとしてその指導に従う国家になったのです。
つまりイランの大統領は、いわば最高指導者に従うだけの立場ではありますが、それでも穏健派になるか反米強硬派になるかで、対外政策は変わってくるのです。
たとえば2001年のアメリカ同時多発テロの翌年1月、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、「悪の枢軸(すうじく)」としてイラク、イラン、北朝鮮の名前を挙げました。核開発疑惑のある3か国の名前を出したのです。
当時、イランの大統領は穏健派のモハマド・ハタミ。ハタミ大統領は、それまで反米国家だったイランの政策を変更し、アメリカとの関係を改善しようとしていました。ところが、ブッシュ大統領の敵視発言でイラン国内の雰囲気は一変します。ハタミ大統領の親米路線は国内で批判され、2005年の大統領選挙では、反米保守強硬派(きょうこうは)のマフムード・アフマディネジャドが当選しました。
しかし、イランの国民がみんな反米というわけではありません。実はアメリカが好きという人も多く、アフマディネジャド大統領の強硬路線に辟易した人たちが、2013年の選挙では、穏健派のロウハニ大統領を誕生させました。ロウハニ大統領はアメリカとの協調路線を進み、オバマ大統領との間で核開発を縮小する合意を成立させました。
ところが後任のトランプ大統領が合意から離脱。「アメリカに裏切られた」と怒ったイラン国民は保守強硬派のライシ師を選出したのです。さて次はどんな路線の人でしょうか。