池上彰のそこからですか!? 第627回 2024/08/22
イスラエルの超正統派とは
ガザ地区のハマスを攻撃しているイスラエルにとって、いまや内憂外患(ないゆうがいかん)とでも言うべき事態が起きています。このうち「外患」はわかりやすいですね。イスラエルがハマスを攻撃していることに対し、イスラエルの北隣のレバノンにいるイスラム教シーア派組織のヒズボラがハマスに連帯してイスラエルを攻撃していることです。あるいは、ヒズボラ(シーア派イスラム主義の政治組織、武装組織)¥の後ろ盾になっているイランが、ドローンやミサイルで攻撃してくることです。
こうした「外患」に対しては、強力なイスラエル国防軍(こくぼうぐん)はそれなりに対処できますし、かの有名な(悪名高い(わるなだかい)?)諜報機関のモサドが情報を収集しています。しかし、「内憂」は厄介(やっかい)です。イスラエルという国家が独特の問題を抱え込んでいるからです。それが、国内の「超正統派(ちょうせいとうは)」の扱いについてです。
イスラエルの最高裁判所は今年6月、超正統派のユダヤ教徒の学生を徴兵するように政府に命じる判決を言い渡したのです。
超正統派とは、男性の場合、白いシャツに黒いスーツを着て黒い帽子をかぶり、もみあげを長く伸ばしている格好の人たちです。イスラエルに行くと、この格好をした人たちが行き来している光景をよく見かけます。それもそのはず、超正統派の人たちは出生率が高く、人口が増え続けているからです。現在はイスラエルの人口の約13%を占めていますが、2050年には人口の4分の1が超正統派になるという予測もあります。
彼らはひたすらユダヤ教について勉強しているため、一般(いっぱん)の国民の義務になっている兵役を免除されてきました。その“特権”が失われることに超正統派の人たちが猛烈に抗議しているのです。
ところで、イスラエルというとユダヤ人国家というイメージが強いですが、実は1948年にイスラエルが建国された際、イスラエル国籍を選択したアラブ人も約20%存在していました。彼らにも兵役の義務が免除されています。要はイスラエル政府がアラブ人のことを信用せず、アラブ人に兵役を課して武器の使い方を教えると、武力で反乱を起こしかねないと疑って(うたがって)いるのです。
そのため、兵役の義務があるのはユダヤ人とイスラム教ドゥルーズ派の国民、それに一部の少数民族だけなのです。イスラム教ドゥルーズ派に兵役の義務があるというのは奇異(きい)に聞こえるかも知れませんが、イスラム教徒の中でもドゥルーズ派は少数派で、イスラエルが建国された際に協力的だったことから、兵役の義務が課せられる一方で、独自の自治や裁判制度を持つことが認められています。
今回の最高裁の判決の背景には、イスラエルがガザ地区のハマスを攻撃して以来、イスラエル軍兵士の死傷者も増え続けているため、超正統派も兵役を免除されていることに一般国民から不満の声が上がっていたことがあるのです。
イスラエル建国を認めない派も
いま述べたユダヤ人とはユダヤ教徒のことなのですが、ユダヤ教徒といっても、敬虔(けいけん)な信者ばかりではありません。世俗派(せぞくは)と呼ばれる人たちの中には戒律(かいりつ)を守らない人もいますし、超正統派ほど極端ではありませんが、戒律を守る正統派の人たちもいます。
しかし、超正統派の人たちは、ユダヤ教の経典(けいてん)である『トーラー』(律法(りつほう))を堅く信じ、教えの通りに生きることを信条としています。この『トーラー』は、キリスト教で言うところの、『旧約聖書』の最初の五書の別名です。
キリスト教では、イエスが地上に遣わされた(つかわされた)ことで人間は神との新しい契約を結んだとされ、それが『新約聖書』となり、それまでの聖書を古い契約である『旧約』と呼んでいます。もちろんユダヤ教徒は、こうした呼び方を認めていません。
さて、超正統派の中にはイスラエルという国家を建国したことに反対する人たちもいるというのですから驚きです。それはなぜか。すべては神の意思に従うべきであり、ユダヤ教徒にとっての国家は救世主(メシア)が建国してくださるものであって、人間たちが勝手に建国してはならないという考え方からです。
イスラエルが建国された際、こうした考えから建国反対を主張する人たちがいたため、建国を推進した世俗派との間で妥協が成立。超正統派は兵役の義務を免除されていたのです。それだけではなく、生涯をユダヤ教の研究に費やすことが認められ、そのための宗教学校に政府の補助金が出ています。
宗教学校では、ひたすらユダヤ教について学ぶため、数学や社会、理科などの世俗の学問を学ぶ機会は少なくなります。イスラエルというと先進的なIT国家のイメージがありますが、こういう国民も存在するのです。
彼らは働かないで研究に没頭するのですから、生活は困窮します。そこで生活保護を受けているのです。
また避妊は認められず、多くの子どもを出産することが奨励されます。子どもの数に応じて手当が出ますから、子だくさんになればなるほど生活が楽になる仕組みで、出生率は6.5という高さです。
イスラエルの議会は一院制で、完全比例代表制です。超正統派の人口が増えれば、その代表の国会議員も増えていきます。その結果、現在は超正統派の二つの政党がネタニヤフ首相の連立政権に閣僚を出しています。つまりネタニヤフ首相は、超正統派の主張を認めないと、連立政権が崩壊(ほうかい)し、首相の座を失うことになります。
ネタニヤフ首相は収賄などの罪で起訴されている被告の身。いまでこそハマスとの戦闘を「戦争」と宣言し、非常事態だとして裁判にも時間がかかっていますが、首相の座を失えば有罪となって収監されかねません。超正統派の顔色をうかがう毎日。まさに内憂なのです。