池上彰のそこからですか!? 第641回 2024/12/05

現代版アヘン戦争対策に関税?

 アメリカの大統領に返り咲くことになったドナルド・トランプ氏が、早くも世界を揺るがしています。11月25日、来年1月の大統領就任初日にメキシコとカナダから輸入(ゆにゅう)される商品に25%の関税をかけるとSNSへの投稿で明らかにしたからです。そもそもアメリカとカナダ、メキシコはNAFTA(北米自由貿易協定(ほくべいじゆうぼうえききょうてい))で、互いの輸出品に関税がかからないことになっていましたが、1期目のトランプ政権は「アメリカに不利だ」と主張。2020年にNAFTAを見直して、アメリカに有利なUSMCA(アメリカ・メキシコ・カナダ協定)を結び直しました。この協定でも輸出品に関税をかけないことになっていたのですが、今回トランプ氏は自ら成立させた協定を無視する方針を打ち出したのです。

 日本の自動車産業各社は人件費(じんけんひ)の安いメキシコで製造してアメリカに輸出してきましたが、これからはアメリカでの販売価格が上がってしまい、経営に影響が出そうです。

 トランプ氏としては、自動車会社各社がメキシコに工場を移したことで国内の産業空洞化(くうどうか)が進んだと考え、「アメリカ国内で製造しろ」と圧力をかけているのです。

 このニュースは日本国内でも大きく報じられましたが、私が注目したのは、中国からの輸入品に10%の追加関税をかけることも同時に明らかにしたことです。中国からの輸入品に関しては、トランプ政権1期目のときに1万を超える品目に追加関税がかかっていますが、それに上乗せ(うわのせ)するというのです。なぜ追加するのか。トランプ氏は、中国からメキシコなどを経由して合成麻薬フェンタニルが流入していることを指摘し、これを止めなければいけないと主張しているのです。

 合成麻薬が密輸入されているから関税をかけるというのは不思議な論理ですが、アメリカでは、それほど合成麻薬の被害が深刻です。これが中国から輸入されてくるというわけです。

 フェンタニルが問題になるきっかけは、アメリカで強力な鎮痛剤「オピオイド」が広まったことです。これは医療用の麻薬です。末期がんの患者の中には全身の耐え難い(たえがたい)痛みに苦しむ人がいます。こうした人に使われるようになりました。日本でも認可されていますが、厳重に管理され、他の薬で対処できない患者に限って使用されています。麻薬の一種ですから中毒性がありますが、末期がんの患者に緩和ケアとして使われれば、穏やかに家族や友人との別れもできるのです。

 アメリカでは、このオピオイド系の鎮痛剤として開発された商品名「オキシコンチン」が1995年に認可され、国内の製薬大手パーデュー・ファーマ社が翌年に発売すると、様相が変わりました。これまでのオピオイドの成分を含みながら、ゆっくり溶け出すように加工されたことで、効果が長時間持続。これが歓迎されたのです。長時間かけて溶け出すので、従来のものより一錠あたりの量が増えていました。 製薬大手が積極的に売り込み

 この薬をパーデュー・ファーマ社は医師に対して積極的に処方するように売り込んだのです。末期がん患者に限らず、過酷な労働で身体を痛めたり、スポーツでけがをしたりした人に対して気軽(きがる)に処方されるようになりました。

 その後の調べで、パーデュー・ファーマ社は、この薬の中毒性が強いことを知りながら販売を続けていたことがわかっています。

 アメリカでは以前からコカインなどの麻薬が蔓延して問題になっていますが、コカインは違法なのに対し、オキシコンチンはアメリカ食品医薬品局が認可した薬ですから、堂々と販売可能。単に鎮痛剤としてではなく麻薬の代用になると知れ渡ると、一段と売れるようになったのです。しかし、使っているうちに耐性がつき、中毒性もありますから、もっと、もっとと使用量が増えていくと、あるとき突然致死量に達して死亡してしまうのです。毎年8万人を超える人たちが「過剰摂取」で死亡しています。

 その結果、全米各地でパーデュー・ファーマ社に対する訴訟が続発。薬の危険性を知りながら処方していた医師や薬剤師が司法省から訴追されるようにもなり、2019年、パーデュー・ファーマ社はアメリカ連邦破産法11条を申請し、事実上倒産しました。

 パーデュー・ファーマ社は被害者救済などに最大60億ドル(約9000億円)を支払う代わりに会社の創業者一族が法的責任を免れるという和解案を提案しました。ムシがいい話です。当然のことながら、この案は今年6月、連邦最高裁判所が却下(きゃっか)。和解案は白紙に戻っています。

 一連の事件をきっかけに、オキシコンチンに対する規制がようやく厳しくなりました。しかし、いったん麻薬を知ってしまった人は、代わりを求めます。それが合成麻薬フェンタニルというわけです。

 フェンタニルもオピオイド系ですが、その効果はヘロインの50倍、モルヒネの100倍と言われます。致死量はわずか2ミリグラム。爪先に乗るほどの量です。

 今回トランプ氏が問題にしているのは、このフェンタニルの原料が中国で生産され、メキシコの麻薬組織が輸入して合成、それをアメリカに持ち込んでいるからです。

 アメリカの司法省は去年10月、フェンタニルの密造や密輸に関与したとして中国を拠点とするものを含む28の企業や個人を制裁対象に指定、また関係者らを起訴しましたが、いずれも中国にいて逮捕には至っていません。

 アメリカと中国は今年1月に合同の麻薬対策作業部会を発足させていますが、アメリカ政府の関係者は、中国がフェンタニルの輸出を黙認することで、アメリカ国内の混乱を狙っているのではないかと疑っています。「現代版アヘン戦争」というわけです。