池上彰のそこからですか!? 第645回 2025/01/18
韓国大統領拘束めぐり混乱
Q 韓国はどうなっているんすか?
大統領を逮捕しようとしたら逮捕できなかったりして、何をやっているんだと呆れているんすが。
A 韓国の尹錫悦((ユン・ソンニョル)大統領は、去年の暮れに突然「非常戒厳(かいげん)」を出した。日本で言うところの「戒厳令」で、議会の停止や報道の規制などを実行しようとしたけれど、失敗。これは大統領の弾劾事由(だんがいじゆう)に値するとして野党が大統領弾劾訴追案を議会に提出して可決された。でも、大統領を正式に辞めさせるためには憲法裁判所(けんぽうさいばんしょ)が弾劾を承認しなければならない。現在、これは審理が始まっている。
その一方で、大統領の行為は刑法の「内乱罪(ないらんざい)」に当たるとして、捜査機関(そうさきかん)が独自に捜査を始めているが、大統領を拘束(こうそく)できないままなんだ。
Q 日本のメディアは捜査機関が「拘束令状」を取ったとか、「逮捕令状」を取ったとか言ってるけど、どちらなんすか?
A おお、いいところに気づいたな。日本では逮捕令状はあるけど、拘束令状というものはない。韓国にはどちらもある。容疑者に関して、まずは裁判所から拘束令状を取り、最長48時間拘束して事情を聴き、本格的に捜査するかどうかを判断する。その上で容疑が濃くなれば、改めて裁判所から逮捕令状を取って、逮捕するという2段階になっているんだ。
でも、日本にはこんな仕組みがないので、メディアによっては、拘束令状のことを「逮捕令状」と意訳しているんだ。
Q 韓国の捜査機関で聞きなれない名前が「高位公職者犯罪捜査処」っすよね、なんすか?
A これは、前の文在寅大統領の時代に創設されたばかりの捜査機関だ。韓国の大統領って、大統領を辞めた途端に逮捕されることが相次いでいるだろう。これは、いずれも検察が捜査・逮捕している。そこで文大統領は、自分も大統領を辞めたら逮捕されるのではないかと恐れ、政治家などに対する検察の捜査権限を移した高位公職者犯罪捜査処という独立機関を作ったんだ。だから、今回はここが捜査に乗り出したんだが、そもそも捜査をする検事は15人しかいない弱小(じゃくしょう)機関なんだ。
Q なるほど、前大統領が逮捕されないための仕掛けをしたのが、今回の混乱の遠因なんすね。こんな弱小機関では捜査ができないので、警察などとの合同捜査本部にした。でも、大統領を拘束できなかったっすよね。
A 現職の大統領は不逮捕特権があって、通常は罪に問われることはないんだが、内乱罪(ないらんざい)は特別。大統領も捜査の対象になるんだ。でも、大統領をいきなり逮捕するわけにもいかないと考えて、当初は大統領から任意で事情を聴こうとした。ところが大統領がこれを拒否。そこで拘束令状を取ったというわけだ。
Q でも、「大統領警護処(けいごしょ)」が、高位公職者犯罪捜査処と警察の捜査員が大統領公邸に近づくのを阻止したんすよね。これは大統領を守る組織なんすよね。
A そうなんだ。大統領を拘束しようとする国家組織と、大統領を守ろうとする国家組織が対立するという前代未聞(ぜんだいみもん)の事態が起きている。
双方が立件・告発合戦
Q 大統領を守ったのは大統領警護処だけでなく、軍隊の兵士もいたというニュースがあったんすが、これはどういうことっすか?
A 大統領公邸の警備には警護処だけでなく、陸軍の首都防衛司令部第55警備団も配されて(はいされて)いる。この兵士たちは、身分は陸軍なんだけど、大統領警護法などにもとづいて大統領警護処に派遣されている。陸軍の指揮命令系統からははずれて、大統領警護処の指揮下(しきか)にある。
Q なんで軍隊が大統領を守っているんすか? 警護処だけじゃいけないんすか?
A これは、かつて韓国の大統領が北朝鮮の特殊部隊によって狙われた(ねらわれて)ことがあるからだ。「青瓦台襲撃事件(せいがだいしゅうげきじけん)」という。青瓦台(せいがだい)とは当時の大統領官邸のこと。1968年1月、北朝鮮軍の特殊部隊31人が韓国軍兵士を装って韓国に潜入し、大統領官邸を襲撃して朴正熙((パク・チョンヒ)大統領を暗殺しようとした事件だ。兵士たちは、北朝鮮で「韓国はアメリカの植民地で国民は貧しく、大統領を暗殺すれば国民は立ち上がる」と教え込まれていた。ところがソウルに近づくと、ソウルの街は華やかで、聞かされていた話と違う。迷った兵士たちは、たまたま遭遇(そうぐ)した韓国の市民に「ソウルはどっちだ?」と尋ねたという。韓国の兵士がソウルの街を知らないのはおかしいと思った市民は、警察に通報。警察が待ち構えていたところに兵士たちが到着し、銃撃戦となったんだ。自動小銃を持った特殊部隊の兵士に拳銃だけで警察官が立ち向かったのでは勝負にならない。のちに韓国軍も駆け付けたが、結局、警察官ら68人が殺害された。北朝鮮軍の兵士は29人が射殺され、1人が逮捕、1人が自爆した。
Q そうか、それ以来、警察官だけでなく陸軍兵士も一緒に守るようになったんすね。で、これからどうなるんすか?
A 警察の中には「警察特攻隊」(特殊部隊)を動員して警護処の警備を突破し、大統領を拘束しようという強硬な意見も出ているというが、そんなことをしたら流血の惨事になりかねない。
Q そもそも高位公職者犯罪捜査処を創立する段階で、あらゆる状況を想定して法律を整備しておくべき話っすよね。情けない。
A 2つの国家機関が対立する中、合同捜査本部は大統領の拘束を妨害した疑いで大統領警護処の処長(当時)などを捜査することにした。逮捕しようとしたが、なかなか出頭要請に応じなかった。一方、大統領の側も、高位公職者犯罪捜査処の処長など捜査関係者十数名をすでに特殊公務執行妨害や「軍事基地および軍事施設保護法」(大統領官邸も該当)違反の容疑で検察に告発した。
Q こんな騒ぎでも大統領公邸の前には、大統領の支持者が大勢押し掛けているっすよね。不思議だなあ。