池上彰のそこからですか!? 第647回 2025/02/01

アメリカ大統領令とは?

 アメリカのトランプ大統領が大統領に就任するやいなや、次々に「大統領令」を出しています。地球温暖化対策の「パリ協定」やWHO(世界保健機関)からの脱退を命じたことは大きなニュースです。

 また南部メキシコとの国境を守るために軍隊を派遣しています。大統領はアメリカ軍の最高指揮官ですから、軍隊が大統領の命令に従うのは当然ですが、そもそも大統領令とはどういうものなのでしょうか。

 大統領令とは「大統領の命令」のことですが、勘違いしている人が多いでしょう。国民に対する命令ではないのです。大統領は行政のトップですから、行政機関つまり連邦政府の役人たちに対する命令です。それでも、多くの関係者に大きな影響を与えます。

 たとえば過去には2017年、1期目のトランプ政権が「イスラム圏7か国からの国民の入国を拒否する」と決め、混乱したことがあります。このときはアメリカへの入国審査を担当する「税関・国境取締局」(CBP)の職員に対し、「イスラム圏7か国のパスポートを持っている者の入国を拒否せよ」という命令を出し、担当者がその命令に従ったのです。

 大統領令を簡単に言うと、大統領が書面にサインするだけで「独断で成立させることができる法律のような命令」です。法律のような命令なので効果は同じようなものですが、違いは、その決まり方です。

 まず法律は、アメリカの場合、議会の下院と上院の双方で法案が可決されて議会を通過し、その後、大統領がサインして初めて成立します。大統領がサインしないと、「大統領が拒否権を行使した」と言われます。それでも議会が法律を成立させたいときには、改めて上下両院(じょうかりょういん)の3分の2以上の賛成で可決すれば、大統領の拒否権は無効になって法律が成立します。

 法律は、これだけ時間をかけて初めて効力を持ちますが、大統領令は、議会の承認なしに大統領がサインした途端に効力(こうりょく)を持ちます。

 ただし、いくら大統領でも何でもできるわけではありません。まずはアメリカの憲法の範囲内であること、そして新しく予算を組まないで済むものという条件があります。新たに予算を組むのは議会の権限ですから、大統領令では新たな予算を組むことはできないのです。ですから、「すでにある省庁(しょうちょう)の予算の中でやれ」ということになるのです。

 トランプ大統領は1期目の当初、「メキシコとの国境に壁を建設しろ」という大統領令を出しましたが、このときは、そんな予算はありませんでした。そこでトランプ大統領は「国境を守るという国防上必要な金だ」という理屈をつけて、国家非常事態を宣言し、軍の予算の中から費用を捻出(ねんしゅつ)しました。

 このため世界中のアメリカ軍が、それぞれ使おうとしていた予算を削られ、壁の建設費に充てられました。沖縄のアメリカ軍基地でも予算が削られ(けずられ)、施設の改築が先送りされたりしたのです。

前任者の大統領令は撤回できる

 一方、バイデン前大統領は壁の建設費を別のことに使おうとしましたが、壁建設に用途が決まっていたために、渋々(しぶしぶ)建設を続けました。

 いったん出された大統領令は、議会が否定する法律を成立させれば撤回させることができますが、過半数で可決しても大統領が拒否権を行使するでしょうから、拒否権を覆すためには、やはり3分の2の賛成が必要になります。難しいですね。

 ただ、次の大統領が、前任者が出した大統領令を否定する大統領令を出せば、撤回させられます。バイデン前大統領は、1期目のトランプ大統領が出した大統領令を次々(つぎつぎ)に撤回しました。そして今度はトランプ大統領が、バイデン前大統領が出した大統領令を次々に否定しています。

 とりわけパリ協定からの離脱は、二酸化炭素を中心とする温室効果ガスの排出量世界2位(1位は中国)のアメリカが対策に協力しないというのですから、世界に大きな影響を与えます。

 ただし、パリ協定からの離脱は、直ちに効力を持つわけではありません。離脱を通告してから実際に離脱できるのは1年後。つまり来年1月までアメリカはパリ協定に留まるのです。なぜこういう仕組みになっているのでしょうか。そこには、トランプ氏のような大統領が出現することへの備えがあったのです。

 そもそもパリ協定が採択されたのは2015年12月のこと。地球温暖化対策を話し合うCOP21での会議です。ちなみにCOPとは「条約を結んだ仲間の会議」のこと。温暖化対策の「国連気候変動枠組条約締約国会議」の第21回会合で採択されました。

 このときアメリカは温暖化対策に熱心な民主党のオバマ大統領でした。でも、会議では「もし次の大統領が温暖化対策に否定的な共和党の大統領になったらどうするのか」という懸念がありました。というのも温暖化対策としては1997年に採択された「京都議定書」の教訓があったからです。このときアメリカは温暖化対策に熱心なクリントン大統領とゴア副大統領のコンビでした。アメリカも京都議定書に賛成したのですが、次の大統領選挙で共和党のジョージ・ブッシュ(息子)大統領が誕生して、議定書から離脱してしまったのです。

 そこでパリ協定では協定が発効してから3年間は離脱を通告できないことにしました。さらに通告しても離脱するには1年間の猶予(ゆうよ)期間を設けました。このため1期目にトランプ大統領が「離脱する」と宣言しても、実際に離脱できたのは2020年11月になってから。翌年1月にバイデン大統領が誕生すると、再び加入したのです。

 ただ、今回は1年の猶予期間だけですから、来年にはアメリカは離脱してしまうのです。さて、日本や世界はどうすべきなのか。