編集部コラム 第142回 「週刊文春」編集長 ]2024/01/13

2024年、波乱の幕開け

 こんにちは。遅ればせながら、2024年最初のコラムですね。本年もよろしくお願い申し上げます。

「遅ればせながら」は、「遅くなってしまいましたが」「今さらですが」を意味する謝罪の意思を含んだ表現です。

 元日から能登(のと)の大地震、翌日には羽田空港の衝突事故と波乱の幕開けとなりました。私は富山(とやま)出身なので、元日に多方面からメールやLINEで、「大丈夫ですか?」「帰省中?」などとご連絡を頂戴しました。実家は富山市内ですが、幸い特に大きな被害はなく、富山で一人暮らす母親を今年は、「たまには東京で年越しでも」と年末から連れてきていたので、その点では安心でした。

 被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 小誌には石川県七尾市(ななおし)出身のエース記者がいます。電子版の動画番組にも何度も登場してきた事件取材26年のレジェンド記者、石垣篤志(いしがき あつし)さんです。

 元日から「富山は大丈夫そう?」「こちらは大丈夫。石垣さんの御両親は?」「すぐに逃げたみたい。先ほど連絡はついた」などとLINEでやり取りを交わしました。後日聞くと、16時6分の地震直後は実家と連絡がついたものの、16時10分の地震後は両親や妹さん夫婦、どなたとも連絡がつかなくなり、さらに津波警報ではなく“大津波警報”が出たのを見て、血の気(ちのけ)が引いた、と。幸い、約2時間後に電話があり無事を確認、近くの道の駅にある公衆電話からだったそうです。

 元日、2日とニュースで刻一刻と変わる被災地の様子を見ていて気持ちは焦り(あせり)ますが、編集部の仕事始めは4日からの予定でした。結局、いてもたってもいられず、3日には石垣記者と電話で相談し、現地に入ってもらうべく準備を開始。2011年の「3・11」の現場取材の経験も豊富で、最も頼りになる記者であるうえに、故郷への思いも強く、道路も寸断されズタズタになってしまった郷里の様子をきちんと報じたい、という意欲に燃える石垣記者以外にそもそも選択肢はありませんでした。

「週刊文春」は、令和の現代に最も頼りになる、人々の関心に沿う「瓦版(かわら‐ばん)」でありたいと日頃から思っています。瓦版が読まれていた江戸時代も、2024年も、「人間の好奇心」に大きな違いはないでしょう。一説によると、瓦版の三大キラーコンテンツは「火事や地震などの災難」「男女の心中話」「壮絶な敵討ち」だそう。現代に置き換えれば、「災害報道や事件取材」「著名人の熱愛や不倫ネタ」「政界や財界の凄まじい権力闘争」かもしれません。とりわけ地震などの災害報道においては、そのメディアの地力が試されるような気がします。

 今回、石垣記者をキャップに、幾多の修羅場を潜って(くぐって)きたベテランカメラマンのYさん、新聞、写真誌での経験も豊富なK記者、毎日新聞出身で鉄火場(てっかば)でも頼りになるもうひとりのK記者、入社4年目で去年は柳葉敏郎(やなぎば としろう)に怒られた際に小欄に登場したO記者、新人女性記者のS記者と総勢6名が現地に入りました。取材班は6人が3台の車に分かれ、ひび割れ、隆起した道を走り、時に車中泊し、余震が続いて、トイレもままならない中で懸命に取材を続けました。今回の4ページの記事中、18名の方の実名が載っています。紙幅の都合でご紹介できなかった肉声はもっとあります。総力を挙げて取材したこちらの記事を、ぜひご高覧(こうらん)ください。

 ダウンタウンの松本人志(まつもと ひとし)さんの記事についても方々で聞かれます。各メディアからもお問い合わせを多数いただいたので、編集部からは「一連の報道には十分に自信を持っており、現在も小誌には情報提供が多数寄せられています。今後も報じるべき事柄があれば、慎重に取材を尽くしたうえで報じてまいります」とコメントを出しました。

 現在進行形のため、舞台裏や詳細をここに綴ることは難しいのですが、今年も「週刊文春」の仕事は変わりません。どこにも出ていないスクープ情報を、どこよりも丁寧に取材し、ひとつずつ正確に読者の皆様にお届けする――これに尽きます。

 本年もどうかご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

「週刊文春」編集長 竹田聖(たけだ さとし)