町山智浩の言霊USA 第709回 2024/02/10
Live Free or Die(自由に生きられないなら死を選ぶ)
今年のアメリカの大統領選挙はバイデン対トランプのリターンマッチというみんなウンザリなことになりそうだが、各党の候補を決める予備選が始まった。
通常はまずアイオワ州、次にニューハンプシャー州で行われる。ところが今年、民主党全国委員会(党執行部)は、アイオワでもニューハンプシャーでも予備選をしないと決めた。どちらも人口の大半が白人だから、もっと人種的な多様性のあるサウス・カロライナから予備選を始めるというのだ。
本当の理由は違う。バイデンは2020年の予備選ではアイオワで4位、ニューハンプシャーで5位と惨敗(ざんぱい)し、初めて1位を取れたのがサウス・カロライナだったからだ。
しかしニューハンプシャー州は民主党に逆らって1月23日に予備選を行った。バイデンの名前を投票用紙に載せないまま。あわてた民主党はバイデンの名前を手書きで書き込むよう指示した。
これは面白そうだ。筆者は予備選2日前のニューハンプシャーを訪れた。
アメリカの北東の端で、着いた日には氷点下12度。面積2万4000平方キロメートル(新潟と秋田を足したくらい)。産業は酪農(らくのう)、漁業(ぎょぎょう)、リンゴ。人口140万人、共和党と民主党の支持者数が拮抗(きっこう)する。ここが100年以上にわたって予備選のスタート地点であり続けたのは、党派性から自由な判断をする州だからだ。
Live Free or Die(自由に生きられないなら死を選ぶ)。ニューハンプシャーの自動車のナンバーには、独立革命の猛将(もうしょう)、ジョン・スタークの言葉が刻印(こくいん)されている。
ニューハンプシャーはオバマを大統領にした州だ。2008年のニューハンプシャー予備選で、無名の若手(わかて)上院議員だったオバマはヒラリー・クリントンに得票率3%弱の差で迫り、「オバマって誰?」と注目され、最終的に大統領の座を掴んだ(つかんだ)。州内を駆けまわって有権者一人一人と語り合ったのが勝因だった。小さな州だから直接民主制が残っている。
筆者が最初に覗いたのは、マンチェスター市の高校の体育館で開かれた共和党のニッキー・ヘイリー候補(52歳)の集会。共和党内では50%以上の支持率を誇るトランプ前大統領の前に候補者たちは次々と膝を屈し、残る挑戦者はヘイリーのみ。彼女をバックアップするのは共和党主流派を支援してきた大富豪コーク兄弟。ニューハンプシャー予備選でヘイリー陣営は宣伝費にトランプ陣営の倍の2860万ドル以上使っている。
苛立つ(いらだつ)トランプはヘイリーをわざとインド名の「ニマラータ」と呼び、「インドで生まれたから大統領になる資格がない」と、オバマに対して言ったのと同じ嘘で攻撃。さらには自分が扇動した暴徒が連邦議会に乱入したのはヘイリーが議会の警備を怠った(おこたった)からだと言い出した。事件当時の下院議長のナンシー・ペロシと間違えているのだ。
「トランプはデタラメ(出鱈目)ばかり。ボケてるとしか思えません」ヘイリーは集会で肩をすくめた。「77歳のトランプや81歳のバイデンに国の舵取り(かじとり)を任せていいのでしょうか?」
「私たち高齢者に敬意がないの!」
会場から老人の声が飛んだ。
「安全保障の問題ですよ」ヘイリーが答えた。つまり戦争になったらどうするのだと。
「世代交代が必要なんです」と訴えるのは、民主党の政治家で唯一バイデンに挑戦するディーン・フィリップス下院議員(55歳)。
筆者は、ロチェスター市で開かれた彼の集会も取材した。ディーン・フィリップス候補はミネソタのウィスキー会社の息子でユダヤ系。自分の閣僚にはイーロン・マスクやビル・アックマンなどの大富豪を登用したいなどとトンチンカン(頓珍漢)なことも言う民主党の反主流派。だから党に逆らって出馬したわけだ。「民主党も共和党も関係ありません。私はトランプ支持者とも対話します。彼らだって有権者なんです」
開票結果は…
もちろんそうだ。翌日、筆者はラコニアという湖畔(こはん)のリゾートのホテルで開かれるトランプの集会で、寒空(さむぞら)の下、行列している人々に声をかけた。
「朝の10時から並んでる。トランプの演説があるのは夜の9時だけどな」と言うのは列の先頭にいたエドワードさん。ニュージャージーから来ていた。「全米で17のトランプの集会に参加したよ」
じゃあ、2021年1月6日の議会襲撃も?
「ああ、そこにいた。でも、議会には乱入しなかった。悪い予感がしたんでね」
「私は入っちゃったわよ!」とミネソタから来たシンディさん(二人とも60歳代)。
「裁判中だけど有罪になれば4年の刑よ!」
それでもトランプ支持なの?
「彼は、グローバリストの世界征服からアメリカを救うために神が遣わした(つかわした)戦士なのよ!」
そんな信者を11時間も待たせてやっと登場したトランプは「バイデン政権が続けば地獄になるぞ」と低く重い声で呪文(じゅもん)のように何度も繰り返した。でも、帰り際に筆者がかぶった星条旗(せいじょうき)の毛糸帽(けいとぼう)を指さして「いい帽子だね!」って褒めてくれたけどね。
翌日の投票日(とうひょうび)。雪の降る投票所前にはマーク・スチュワート・グリーンスタインという聞いたこともない民主党の候補が座っていた。
「バイデン以外の選択肢を示したいんだ。ニューハンプシャーは供託金わずか1000ドルで誰でも立候補できるからね。それが民主主義さ。日本はどう?」
開票結果はトランプ(得票率約54%)とバイデン(約63%)が勝利。しかしニッキーは約43%とトランプに約11%差にまで迫って善戦。ディーン・フィリップスは約19%の票を獲得。グリーンスタイン候補は132票だった。
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Koch family (コーク家)
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Dean Phillips (ディーン・フィリップス)