町山智浩の言霊USA 第740回 2024/09/28
“They are eating the cats.”
(移民たちは猫を食べている)byドナルド・トランプ前大統領
とうとうこの日が来た。カマラ・ハリス副大統領とトランプ前大統領のテレビ討論会だ。
ABCテレビが主催するこの討論会をトランプはずっと拒んで(こばんで)いた。ヨボヨボのバイデンより20歳も若い元検事ハリスの追及に勝てる自信が無かったのだろう。でも、ついに観念してフィラデルフィアの米国憲法(けんぽう)センターの会場に現れた。
最初の質問は「有権者が最も関心のある」経済についての具体的なプランは何か。
カマラ・ハリスは中間層救済案を開陳(かいちん)。ついでに「でも私の対立候補(トランプ)は日用品に20%課税するそうですよ」とトランプを挑発した。
トランプは乗せられて「違う。私がやるのは輸入品に対する関税で、輸出国に課するものだ」と反論。これは嘘。関税を支払うのは米国の輸入業者。それは値段に反映されて消費者が負担する。
興奮したトランプはなぜか「バイデン政権下で毎月不法移民が2100万人も来ている」と主張(しゅちょう)。これも嘘。実際はバイデン政権下の4年間で730万人が不法入国すると試算されている。
次は人工中絶問題。トランプが判事を3人も任命したことで、最高裁は中絶を憲法で守られた権利とした1973年の最高裁判決を覆し、現在20以上の保守的な州が基本的に中絶全面禁止、あるいは妊娠6週目以降の中絶を禁止にした。
カマラ・ハリスは「トランプは就任したら連邦規模(れんぽうきぼ)の中絶禁止法に署名するでしょう」と言った。これは間違い。それを言ったのはトランプの副大統領候補J・D・ヴァンス。だからトランプは「私はJDと話し合ってない。そんな法案には署名しない」と反論。ヴァンスと足並みがそろってない。トランプは「ハリスの副大統領候補ティム・ウォルズは、妊娠9か月目の中絶もOKだと言ってる。生まれた後で“処刑”してもいいと言ってる」とも言い出した。もちろん嘘なので司会に粛々と訂正された。
次にトランプが話したがってる移民と国境警備について。彼はメキシコとの国境を越えて流入(りゅうにゅう)する移民はバイデンとハリスの失政だと主張しているが、ハリスは「先日、私たちは国境警備強化法案を提出しました」と先手(せんて)を取った。「ところが共和党の反対で議会を通過しませんでした。トランプが議員に電話して法案を阻止(そし)したのです。自分が選挙に勝つために問題を残したかったから」
さらにハリスはまたトランプを挑発。「トランプの集会では、突然『羊たちの沈黙』のレクター博士の話をしたり、風力発電がガンの原因だと言ったり、支持者も呆れてゾロゾロ退出するんです」
トランプはまんまと乗せられる。「ハリスの集会には誰も来たがらない。金を払って聴衆を集めてる」さらにデタラメを列挙する。「アメリカは破綻している。第三次世界大戦になる。オハイオ州スプリングフィールドでは移民が猫を食べている。ペットを盗んで!」
司会は淡々と「我々ABCは現地を取材しましたが、そのような事実はありません」と訂正。「でもテレビで観た!」トランプは反論。「私の犬が食べられたと言ってた」と繰り返した。
そんなテレビは存在しない。「移民の猫食べ」デマはハイチ移民の増加に苛立つスプリングフィールドの住人(じゅうにん)が根も葉もない噂を投稿したフェイスブックが元だから。
「世界中で犯罪が減り、アメリカでは移民による殺人が増えている。外国が犯罪者をアメリカに送り込んでいるからだ!」トランプが叫ぶ。司会は「FBIのデータによるとアメリカの暴力犯罪は減少しています」と訂正する。トランプは「FBIより私を信じろ」と聞く耳持たず。ハリスは「面白いですね。国家安全保障犯罪、経済犯罪、選挙介入で起訴され、性的暴行で有罪判決を受けた人が犯罪について話すのは」と微笑んだ。
6710万人が視聴して…
そして最も重大な質問。「トランプ前大統領、あなたは2021年1月6日、支持者に連邦議会を襲撃させ、警官が亡くなりました。後悔していますか?」
「私のせいじゃない。ちゃんと議会を警備してなかったペロシ下院議長とワシントン市長の責任だ」
よっ! 世界一の無責任男!
トランプは「ロシアとの戦争でウクライナに勝利してほしいですか?」と何度聞かれても絶対に答えない。代わりにハリスが「トランプはウクライナを見捨てるつもりですよ」と答えてみせた。実際、トランプはウクライナへの軍事支援打ち切りを主張している。するとトランプは「ロシアがウクライナに攻め込んだのは、バイデンがアフガニスタンから撤退して弱さを見せたからだ」と言い出した。ハリスは淡々と「タリバンと直接交渉してアフガニスタンからの撤退に署名したのはトランプですよ」と指摘する。
ハリスはあらゆる質問に対して実によく予習していた。トランプは常に言うことが破綻していた。「カマラ・ハリスはイスラエルを憎んでいる」と言ったかと思うと(ハリスの夫はユダヤ系)、「彼女はアラブ人も憎んでいる。あのへん全部憎んでる」。もう無茶苦茶。
「ハリスは国民の銃を没収(ぼっしゅう)するぞ!」トランプは脈絡なく(みゃくらくなく)叫ぶ。ハリスは「そんなことしません。私も銃の所有者ですから」トランプは言葉を失った。
この討論を観たのは6710万人。視聴者の6割がカマラ・ハリスの勝利だと答えた。討論中にトランプが言った嘘は33とカウントされた。
でも、トランプ信者は嘘だと思ってない。SNSではトランプが猫をつかんでハイチ移民から逃げるAI画像が拡散し、早くも翌朝にはアリゾナ州フェニックスに「猫を食べる量を減らして共和党に投票しよう」と書かれたビルボードが建てられた。減らすって……。
(まちやまともひろ 1962年生まれ。映画評論家。米カリフォルニア州バークレー在住。BS朝日「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」が不定期放送中。当連載2022年夏からの1年分をまとめた単行本『ゾンビ化するアメリカ』(小社刊)が発売中!)