町山智浩の言霊USA 第706回 2024/01/20
Munchausen Syndrome By Proxy(代理ミュンヒハウゼン症候群)
Munchausen syndrome by proxy is a mental illness and a form of child abuse. The caretaker of a child, most often a mother, either makes up fake symptoms or causes real symptoms to make it look like the child is sick.
2023年12月28日、ジプシー・ローズ・ブランチャード(32歳)が仮釈放された。彼女はボーイフレンドと共謀して母親を殺した罪で服役していた。母ディー・ディーは、娘ジプシー・ローズを不治の病に偽装し、全米の同情と寄付を集めて暮らし、そのために娘を20年間監禁し、必要のない手術や投薬で娘を身体障碍者にしようとした。
ディー・ディーは1967年、ルイジアナ州に生まれた。24歳の時、17歳の高校生ロッドと性交渉を持って妊娠し、ジプシー・ローズを産んだ。無理やり関係を持たされたロッドはディー・ディーとは別れたが娘ジプシー・ローズには会いたがった。しかし、ディー・ディーはそうさせなかった。
ディー・ディーはジプシー・ローズが先天性の染色体異常で、筋ジストロフィーで白血病で、自分では歩くこともできず、知的に遅滞していると主張し、学校にも行かせなかった。
重度の障害に苦しむ少女ジプシー・ローズはマスコミに注目され、全米から寄付が集まった。ディー・ディーは定職も持たず、寄付と福祉に頼って暮らした。
父ロッドは再婚し、定期的に娘を家に預かることになった。するとロッドの妻は倒れた。誰かに除草剤を飲まされたらしい。ロッドの妻が入院している間に、ディー・ディーは娘を連れ去り、ロッドに会わせなくなった。
2005年、ハリケーン・カトリーナによってルイジアナに水害が起こると、住む家を失ったディー・ディーは、ミズーリ州に慈善団体が提供した一軒家に引っ越した。
その間もロッドは娘に毎月1200ドル送金し続けた。しかしディー・ディーはマスコミに「彼はいちども養育費を送らないアル中の暴力夫だ」と言い続けた。
ジプシー・ローズは成長したが、健康は悪化した。車椅子なしではどこにも行けず、白血病の化学療法で髪の毛は抜け落ち、すべての歯も失った。でも「4歳の知能しかない」とディー・ディーが言うジプシー・ローズの無垢な笑顔は人々の心を打った。
しかし、ジプシー・ローズを診た小児科医ベルナルド・フラスタースタインは、どう検査しても、筋ジストロフィーや白血病を見つけられなかった。しかも彼女は車椅子無しでも歩けるし、知能はむしろ高い。
実はジプシー・ローズはまったく健康だった。幼い頃から母親に「お前は病気だ」と洗脳され、それを演じ続けた。髪の毛は抜けたのではなくディー・ディーに剃られた。人前では歩かないようにしつけられた。必要もなく唾液腺を手術で切除され、唾液がないので口の中で菌が増殖し、歯はすべて腐り落ちた。離乳食しか与えられず、いつも極度の栄養失調にあった。
ディー・ディーは「代理ミュンヒハウゼン症候群」だった。ほら男爵として知られるミュンヒハウゼンのごとく、病気を偽ったりして周囲の注目を集めようとする精神病だが、ディー・ディーのように自分の代わりに自分の子どもの病気や事故、誘拐を偽装して同情を買おうとする親もいる。
疑われるとディー・ディーはフラスタースタイン医師から逃げた。彼も通報する勇気がなかった。ジプシー・ローズは既にテレビのワイドショーや週刊誌で全米の人気者だったからだ。
2011年、ジプシー・ローズは20歳になった。ここから逃げなくちゃ、でも、どうやって? 友達は誰もいないし、お金は1セントもないのに。
ジプシー・ローズは、インターネットで理解者を見つけ、彼の助けでついに家から脱出した。しかし、逃亡先のホテルで母親に発見されて家に引き戻され、ベッドに手錠で縛り付けられて折檻を受けた。パソコンはハンマーで破壊された。 20年にわたる虐待事件
それでもジプシー・ローズはあきらめなかった。翌年、彼女は、深夜、母親が眠った後、母親のスマホからネットに入り、キリスト教徒向けの出会い系サイトで、自分と同年代のニコラス・ゴデジョンという青年と知り合った。
2015年6月のある夜、ジプシー・ローズは自宅にニコラスを引き入れた。彼はベッドで眠るディー・ディーをナイフで17回刺して殺した。その後、ジプシー・ローズの部屋で2人はセックスし、ディー・ディーが隠していた4000ドルを持って逃亡した。
それは、父ロッドから彼女に送られた養育費だった。
ジプシー・ローズは逮捕されたが、母親殺しの事件というよりも、20年以上にわたる虐待事件として全米を驚かせた。
実行犯のニコラスは第1級殺人で終身刑、計画を立てたジプシー・ローズは第2級殺人で懲役10年の判決を受けた。今回、仮釈放されるまでの8年半でジプシー・ローズはどんどん健康になっていった。それは今まで一度も許されなかったことだ。面会に来た父ロッドに会うこともできた。ニコラスとは別れたが、自分のために命を賭けた彼を法廷で支援し続けている。
もうひとつの夢もかなった。勉強することだ。獄中でジプシー・ローズは授業を受けて、GED(高卒資格)も取得した。それを助けた37歳の教師と結婚し、出所後(仮釈放中)は彼と暮らす。
母親に奪われた人生を取り返し始めたジプシー・ローズを支えたのは、テイラー・スウィフトの歌だった。なかでもお気に入りの歌は「カルマKARMA」だという。
この数十年で私が何を学んだと思う?
この涙から私が何を得たと思う?
私は消えそうだった でも、ここにいる
人はカルマ(業)から逃げられない
でも、カルマ(業)は私の恋人