町山智浩の言霊USA 第707回 2024/01/27

Von Erich Curse(フォン・エリック家の呪い)

 ジャイアント馬場選手が主人公のマンガ『ジャイアント台風』(原作・梶原一騎((かじわら いっき)、作画(さくが)・辻なおき)には、フリッツ・フォン・エリックという身長195センチの巨体レスラーが登場する。

 フリッツの必殺技(ひっさつわざ)はアイアン・クロー(鉄の爪)。巨大な手で相手の顔をつかみ、ビール缶を握り潰し、電話帳を引き裂く握力(あくりょく)で、こめかみを締め付けて、ギブアップさせる。これに対抗するため、馬場は地面に掘った溝に体を横たえて、顔をジープに何度も轢かせて(引かせて)鍛える!

 んなアホな! これを読んだのはガキの頃だが、さすがに笑ってしまった。でも、フリッツ・フォン・エリックには笑えない話がある。彼には6人の息子がいて、その多くがプロレスラーを目指したが、次々と悲惨な死を遂げた(とげた)。これを人は「フォン・エリック家の呪い(のろい)」と呼んだ。

 この呪いの正体に迫る映画が先日アメリカで公開された『アイアンクロー』。青春スターだったザック・エフロンが徹底的に鍛え上げた体で、次男ケヴィン・フォン・エリック(1957年生まれ)を演じる。

 実はケヴィンの上にはジャックという息子がいたが、6歳の時、切れた電線に触れて感電し、失神して水たまりに倒れて溺死してしまった。父フリッツはその悲しみをぶつけるような容赦ない試合ぶりで恐れられた。

 その後、フリッツは、ケヴィン、デヴィッド、ケリー、マイク、クリスという5人の息子をテキサスで育てた。彼らは思春期の頃から毎日3時間以上レスリングの特訓(とっくん)を受け続けた。逆さに(さかさに)ぶら下げられた状態で格闘(かくとう)するというトレーニングもあったという。それ、マンガ『タイガーマスク』のレスラー養成所「虎の穴」じゃん!

 彼らは高校ではスポーツ選手として活躍し、学業も優秀で、大学への奨学金も獲得したが、進学しなかった。高校を卒業するとプロレスラーになった。

「父は『プロレスラーになれ』とは言わなかった」とケヴィンは言うが、朝から晩までレスリングばかりで育てられたので、他の選択肢は考えられなかった。何よりも息子たちは、父に愛されたかった(Above all, the sons wanted to be loved by their father.)。

 フォン・エリック兄弟(きょうだい)は強面(こわおもて)の父と違って若くハンサムで、ロックスターのようだった。それまでプロレスに縁がなかったティーン(teen)の女の子が試合会場に押し寄せた。テキサスのプロモーターでもある父フリッツは莫大な(ばくだい)利益を得た。

 だが、プロレスラーの生活は過酷(かこく)だ。連日の試合で悲鳴をあげ続ける関節や筋肉の痛みを鎮痛薬(ちんつうやく)で抑え込む。彼らはギリシア彫刻のような筋肉を維持するため、ステロイドも注射していた。そして試合で勇気を出すためのコカイン……。

 苦労の甲斐あって、1984年5月、ついにデヴィッドが世界チャンピオンのリック・フレアーに挑戦することになった。ところがその数カ月前にデヴィッドは東京のホテルで急死してしまう。これは日本でも大きなニュースになった。急性腸炎と報じられたが、実際の死因は今でも論議されている。まだ25歳だった彼の体はボロボロだったらしい。

 悲しみに沈むフォン・エリック兄弟。ところが親父(おやじ)はすぐに代わりにケリーをチャンピオンに挑戦させた。弔い合戦だ! 会場のテキサス・スタジアムには4万の観衆が集まった。我が子の死を客寄せに利用して儲けるなんて!

 ケリーはチャンピオンになったが、バイクでパトカーと衝突する大事故で片足首を負傷する。ところが全治する前に試合に出て傷を悪化させ、切断する羽目になる。驚いたことに、フォン・エリック家はケリーの足切断を隠して義足の上にレスリングシューズをはかせて試合に出し続けた。

「これ以上の悲劇に……」

 5番目の息子マイクは高2の時に肩を怪我したのでプロレスをあきらめて、ミュージシャンを目指した。だが、デヴィッドの穴を埋めるためにプロレス界入りすることになった。心配されたとおり、試合中に肩を脱臼(だっきゅう)し手術した。その手術中、TSS(バクテリア増殖によるショック症状)で危篤状態になった。

 命はとりとめたものの、全身に後遺症が残り、話すことも歩くことも困難になった。プロレスなどできるはずもなく、マイクは睡眠薬プラシジルに溺れ、1987年、過剰摂取で死亡した。

 片足でレスラーを続けたケリーは足の痛みに苦しみ、鎮痛剤の中毒になり、何度もリハビリ施設に入院したが、治らなかった。1993年、コカイン所持で逮捕されたケリーは、刑務所に行くのを恐れて、父の農場で44マグナム拳銃で自分の胸を撃ちぬいて死んだ。33歳だった。

 末っ子のクリスは1969年生まれ。身長165センチで、プロレスラーには小さく、また喘息(ぜんそく)持ちでもあったが、兄弟の誰よりもプロレスラーにあこがれていた。背が高くなるよう成長ホルモンも使ってついに試合に出たが、両腕を骨折してしまった。長年、使っていた喘息の薬のせいで骨粗鬆症になっていたのだ。1991年、クリスも農場で拳銃で頭を撃ちぬいて自殺した。

 映画『アイアンクロー』にはクリスは登場せず、亡くなる兄弟は5人から4人に減らされた。監督のショーン・ダーキンは「これ以上の悲劇に観客は耐えられないだろうと思って」と言っている。

 ケヴィンは試合中、鉄柱に頭をぶつけて脳震盪になり……1995年にプロレスを引退した。家族を連れてハワイに移住して、父親の呪縛(じゅばく)から逃れた。

「父は僕たちを愛していたとは思います」とケヴィンは言うが、愛し方が間違っていた。フリッツは息子たちを自分の兵隊のように扱った。妻はフリッツと離婚して、ケヴィンと同居した。何もかも失ったフリッツは一人寂しく死んでいった。呪いは終わった。

 ケヴィンには4人の子供と11人の孫がいる。そのうち数人がプロレスラーになったが、まだ、誰も死んでいない。